第六章 乙女の導く未来2

「アッシュ、何とか火竜を退けたい! 怪我を追わせるだけでいいの。どうすればいいかしら?」


 遠くを走り、火竜の出方をうかがっているアシュガルにリアは叫んだ。


「目を狙え! やつの柔らかなところは唯一そこだけだ!」

「目を……」


 アシュガルの答えに、リアはもう一度テオドルのそばに行こうかと考えた。再度、あの氷の槍を撃てればと。

 しかし、地上に降りてきた火竜は羽ばたきで強風を起こしながら、予測不能の動きをしている。

 こちらが飛ぶことをやめてから動きやすくなったように、向こうも地上のほうがやりやすいということらしい。

 走り回るリアたちを翻弄するように、羽ばたきと急降下を繰り返している。

 こちらが攻撃を仕掛けても、あくまでまだ向こうは狩る側だということだ。


「弓だ! 弓で射るんだ」

「弓なんて持ってないわ!」

「媒介の形を変えろ! 精霊の泉に授けられた媒介は、所有者の意思で形を変えられるんだ!」


 そうリアに言って、アシュガルはペンダントを首からもぎとると、それを長槍に変えた。


「俺が囮になってやる。動きが読みやすくなったら、目を射れ!」


 槍を構え、アシュガルはひとり、火竜に向かっていく。そのすぐ後ろを、ローランドが駆けていく。


「俺が盾になる! リアのために、一緒に時間を稼いでくれ!」


 そう言ったローランドの手には、大きな盾が握られている。彼の媒介の本来の姿だ。みんなを守りたいという、彼の意志そのもの。

(私も……やらなくちゃ!)

 決意を新たにしたリアは、杖を握りしめた。そして強く祈る。大きくて頑強で、風を切り裂く矢を射る弓を。

 その瞬間、ただの木の棒のようだったリアの杖はまばゆい光を放ち、大きな弓へと姿を変えた。てっぺんには、あの光の球をいただいている。

 導き手の杖が、光り輝く弓へと変わったのだ。


「矢なら僕が!」


 テオドルは叫ぶと、懐から羽ペンを取り出し、宙に放り投げた。それは本来のフクロウに姿を変え、矢に変わった。


「そんな大きな弓、片手じゃ引けないよ。降りて、地面に固定して!」

「わかったわ」


 テオドルに言われ、リアは大トカゲから飛び降りた。転がって、受け身を取り、立ち上がって弓を思いきり地面に突き立てる。


「僕が支える!」


 走ってきたテオドルが、弓の胴をリアと一緒になって握った。それから矢をつがえる。

 彼らの見据える先では、アシュガルとローランドが火竜を翻弄していた。アシュガルが高速で槍を繰り出すと、火竜は羽虫を追い払うかのような動きをする。その鋭い爪がアシュガルをかすめそうになるのを、ローランドがすべて盾で防いでいた。

 ふたりは健闘していた。でも、先に体力が尽きるのは目に見えている。


「……力が、足りない!」


 早くケリをつけねばと、リアはテオドルとふたり、弦を引き絞ろうとした。しかし、弦は弓に見合った固さで、非力なリアとテオドルが力を合わせて引いてもビクともしない。


「貸せ!」

「加勢するわ」


 駆けてきたホイスディングとアナスタシアが、弦を掴んだ。引く力が四人分になると、ようやく弦を引き絞ることができた。


「合図したら離して……三、二、一……今!」


 十分に引き絞り、リアは合図した。アシュガルとローランドが引きつけている火竜めがけて、矢は風を切り、飛んでいく。

 しかし、的は目だ。いくら普通の動物と比べて大きいと言えども、その体の面積の中ではわずかなものだ。……外せば、振り出しに戻る。


「ヴァイス、目だ! 目を射抜いて!」


 祈るように見つめているリアの横で、テオドルが叫んだ。すると、わずかに逸れていたかに見えた矢が、意思を持って火竜の目に向かっていった。

 名前を呼ばれたテオドルの媒介が、指示を聞いて動いているのだ。


「やった!」


 テオドルが歓喜の声をあげる。目に刺さった矢はフクロウの姿に戻り、テオドルの元へ帰ってくる。彼の媒介が、使命を果たしたのだ。

 火竜はもだえ、空へと飛び上がる。


「やったぞ! さっさと自分の世界に帰れー!」


 勝利を確信したホイスディングが、あと追いするように走っていって叫んだ。

 アナスタシアもテオドルも、竜が無事にいなくなるのを近くで見ようと駆けていった。リアにはそんな力は残っておらず、弓にしがみつくようにして、ただ空を見上げた。

 あたりが軋むような音を立て、空が割れる。時空の切れ目だ。そこに竜の体は飲まれていくかに見えた。

 しかし、竜は突然咆哮を上げた。そして、憎き人間を焼き払おうとでもいうかのように火を吐いたのだ。

 炎の舌は、リア目がけて伸びてくる。熱風が迫る。逃げなくてはと思ったのに、とっさに身体が動かなかった。

 そこへ、風のように何者かが横切った。


「リア!」


 ローランドが、盾を構えてリアの前に立った。文字通り、風の魔術で飛んできて。

 肩で大きく息をしているのを見て、リアは気がついた。

 ……きっと、今の移動で彼の魔力は尽きた。炎を防ぐだけの力は残されていないだろう。


「水よ! 風よ!」


 ローランドを失いたくない一心で、リアは念じた。水の精よ、風の精よ、氷の壁を作って、彼を邪悪な炎から守って――と。


「うわっ……!」


 リアの願いは聞き届けられた。

 小さな竜巻がふたりの身体をなぎ払い、後ろへと弾き飛ばした。そして、迫り来る炎の前に氷の盾が現れ、それを受け止め一瞬で霧散した。

 隻眼の竜は忌々しげに地上を睨んだまま、時空の狭間に消えていく。

 よくやく、危機は去ったのだ。


「みんな、無事かー!?」


 遠く、馴染みのある声と蹄の音が聞こえてくる。馬が走る震動を、リアは横たわる地面から感じた。


「リア様! カーリア様ー! 参りましたわー」


 懐かしい、ダニエラの野太い声も聞こえる。


「リア、もう大丈夫だ。兄さんが、みんなを連れてきてくれたよ」


 先に立ち上がったローランドが、リアの身体を抱き上げてくれた。安堵の浮かぶ美しい顔が、じっと見つめていた。

 いつも飄々としていて軽薄なのに、こうして見ると何て凛々しいのだろうと、リアは幼馴染の勇敢さに改めて感じ入った。


「……ロル、守ってくれてありがとう」

「どういたしまして。……ねえ、俺、頑張ったよ。ご褒美ちょうだい?」

「ご褒美? じゃあ、何か欲しいものを考えておいて……」


 薄目を開け、リアは目の前のローランドを、それから近づいてくるアルトゥルたちの姿を見た。

 アルトゥルの後方に続く騎士たちの中には、エーリクの姿も、騎士の服を身に着けたダニエラの姿もあった。

(……無事に、帰ってこられたんだわ。危機も、去ったのね……)

 安心したリアは力が抜け、再び目を閉じた。

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