2016年【隼人】22 烙印を押された夜

 小学生時代、遥はUMAを見たと自慢したことで、いじめられてしまったと言っても過言ではない。

 彼女にとって最悪だったであろう日々だが、あの逆境を乗り越えたことで、隼人と遥の絆は深いものとなった。


 それはUMAがいたから、築かれた関係だ。

 そんな風に思えるようになったのは、いるかいないかわからなかったものを、隼人も目撃したからだ。


「でもさ、今日見たあれは、オレには希望に見えた」


「なにを見たの?」


「萬守湖にいたんだ。ネッシーみたいなのが」


「ばかじゃないの」


「いや、いたんだって」


「信じないから。そんなのいなかった――」


 遥は目に涙を溜めながら、反論を続ける。


「――いてほしくない。いたせいで、隼人はあたしよりも夢を――」


 最初の違和感は、聴覚にあらわれた。

 遥の声がうまく聞き取れない。

 水の中で、音が聞こえづらくなる感覚に似ている。


 耳を押さえつけようとするが、動きづらい。

 体が重たい。

 なにかがまとわりついているみたいだ。


 体の異常に気づき、息があがる。

 空気を吸い込んだはずなのに、苦しい。溺れているような感じだ。

 ついには、月明かりで照らされる物体の輪郭が歪み、全てが黒く染まっていく。


 やばい、なんだこれ。


 死ぬのか。ふざけるな、死ぬのならばこの草の上で遥を押し倒してからだ。

 童貞のままくたばってたまるか。


 中学生の強固なる煩悩が意識をはっきりとさせる。

 聴覚も復活してきた。


「隼人? 大丈夫? 顔色、悪いよ? ねぇ、隼人。ふざけてるだけだよね。隼人」


 心配そうな遥の顔が間近にあった。


「悪い、なんか変な感じになってた」


「話、ちゃんと聞いてた?」


「いや、途中から耳に入ってなかった」


「嘘でしょ。あんた。なんで、こんなときにふざけるの、そんな風にとぼけないでよ、あたしが、どんな思いで、ばか! もういいよ、もういい」


「誤解だ、誤解。マジでやばかったんだって。死ぬかと思った」


「死ぬとか言ってる状況から、回復がはやすぎでしょ。なんなのよ、もう」


「まぁ、確かにそうだけど」


 いったい、どうしてあんな風になったのかわからない。

 体が拒否反応を示した。可能性としては、十分ありえる。


 この話題になったときから、聞くかも知れないと恐れていたことがある。

 それを耳にしないために体調不良となったのではないか。

 すなわち、遥の口から「倉田と付き合う」とか「告白の答えを前向きに考えている」とかを聞きたくないということだ。


 だから、隼人は聞き逃したことを、もう一度言ってくれと遥に頼まなかった。

 たとえ、幻滅されることになっても、傷つくのはいやだ。

 最低だと自覚する。

 自分を守るのに必死。


「そろそろ帰るか」


 立ち上がり、草を手ではらう。

 転がっている自転車を起こす。自走するのに問題はなさそうだ。

 レンタルビデオもカゴに入ったままだ。

 あとは、荷台に遥が乗るだけで、いつものビデオ屋からの帰り道と変わらなくなる。


「いまね、隼人に相談するんじゃなかったって思ってる」


「役に立たなくてすまんな」


「本当にそうね。教室で鼻つまんできた隼人とは、別人みたいだよ」


「あのときよりも、オレは分別のある大人になったってことだろ」


「てことは、あたしも大人になったのかな。だから、こんな結論が出てきたのかも」


 それは、どんな結論?


 隼人にとっていいのか、悪いのか。

 直接は聞けないから、それとなく探りを入れる。


「うしろに乗らないのか?」


「横を歩いてくから、気にしないで」


 この距離感が全てをあらわしているように思えてならない。

 付き合ってもいないのに、遥とはよく触れ合っていた。


 こんなのは『いつも』の帰り道とまったくちがう。

 もしかしたら、これが今後の『いつも』になるのかもしれない。


 ここでの選択が間違っていたとしても、人生はやり直せない。

 せいぜい、未来で思い出すだけだ。


 あの日は最低の夜だった、と。


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