2016年【隼人】18 隣の家のカレーは美味い

 久我家のみなさまは、頻繁に隼人と撫子を夕食に誘ってくれる。

 隣の家に住む浅倉家が両親不在なのを気にかけてくれているのだ。

 作るのが二人分増えても大した問題ではない――というのは朱美の弁だ。


 男性が三名、女性が五名、猫多数の大家族からすれば、二人が増えたとしてもおかわりの誤差程度なのだろう。

 これだけ大人の手があるので、稲妻禽観神社を家族のみで管理できているわけだ。


 神社には古いしきたりが残っている。

 遥の母親の朱美が子供の頃は、なぁなぁとなっていたらしい。

 だが、朱美の姉の萌黄が堅物で、しきたりを今一度、現在にも適用させようとしている。その一環で、大人と子供の食事場所は別になっている。


 久我家の未成年組は、高校生の銀河と中学生の遥だけだ。 

 銀河と一緒に食事をするぐらいならば、一人で食べたほうがマシというのが遥の意見だ。

 実際、食事の時間帯に隼人の部屋で遊んでいることも多い。


 一人で食べているときも、こんなふうに美味しそうに食べるのかな。

 遥がカレーのCMに出ていたら、売上増加は間違いない。

 腹一杯でも、いくらでもカレーを食べられる気がする。


「いい食べっぷりね。まだ足りないんなら、おかわり入れてこようか?」


 笑顔でふざけたことを言わないでほしい。遥以外の奴だったら、怒っている


「いや、いま四皿目だから。これ以上は、遥の食べかけでないと食えねぇな」


「真面目な顔で、なに言ってんのよ」


「いや、カレーってスパイスが複雑な味を生み出すってテレビで言ってたんだよ。そこで、遥の食べかけ、つまりは唾液が素晴らしい効果を発揮すると思うわけであって」


「はい、気持ち悪い」


「真面目に聞けって。もしかしたら、朱美ちゃんが再現しようとしてる潰れた店のカレーに、また一歩、味が近づくかもしれないわけで」


「ばーか」


 隼人の熱弁など、遥のたったひとことに劣るのだ。

 もうなにも言わない。黙って、食事に戻る。

 ゆっくりとスプーンを動かし、口にカレーを運ぶ。


 こんな吐きそうになるまで、食べる気はなかった。

 一度おかわりしただけで、ごちそうさまを迎える予定が、ずいぶんと狂ってしまった。


 撫子と銀河が食べるはずだったカレーを、それぞれひと皿ずつ隼人が胃袋におさめて、いまに至る。

 妹の撫子は、おかわりした直後に眠ってしまった。

 一口も食べないまま、スースーと寝息をたてている。


 銀河は萌黄に調子のいいことを言って、大盛りでカレーを用意してもらっていた。

 そのくせに、スプーンを一度も汚すことはなかった。

 銀河の彼女の一人が晩飯を用意していると連絡を入れるのが、もう少し早ければ。

 隼人の摂取カロリーは、いまとちがったものとなっていただろう。


 なんにせよ、ひとり大食い大会もようやく終わりを迎える。

 スプーンを皿の上に置き、コップに手を伸ばす。口の中のものを流し込みたかったのだが、コップは空になっていた。

 お茶を探していると、遥がコップに注いでくれる。言わなくてもわかるとは、気の利く妻になりそうだ。


「あががごお」


「お礼とかいいから、食べながら喋らないで」


 ありがとうと言おうとしたのを察してくれていたようだ。

 遥からの指示通り、黙ってお茶を飲む。


「ごちそうさまでした」


 遥が手を合わせている。隼人も同じように手を合わせる。

 口の中にカレーはない。喋っても文句は言わせない。


「ごちそうさんです。あー、なんとか食い切ったぞ」


「残しそうだったら、あたしも手伝おうと思ってたのに。一人でなんとかしちゃったね」


「朱美ちゃんのカレーだから、なんとかなったようなもんだけどな。まずかったら、残してる」


 大きく膨れ上がった腹をさすっていると、部屋の襖が開いた。


「つまり、遥がつくったカレーだったら平気で残すってことね」


「笑えない冗談を言いながら、やって来ないでよ、朱美ちゃん。遥の料理は美味いから」


 朱美は撫子のために毛布を持ってきてくれたようだ。

 柔らかそうな羽毛の上には、子猫のみやむが乗っている。


 今年の二月で三〇歳となったのだが、制服を着ていれば女子高生物のアダルトビデオに出演できそうな若さがある。

 桐谷美玲似の美人な上に、料理も得意。なのに、一度も結婚経験がない。


 こんな女性と十代から付き合っていたのに、二十代半ばで別れた男もいるのだ。

 隼人が秘密基地がわりにしているMR2の持ち主はバカだ。

 どういった理由で破局したのかはわからないが、それでも勿体ないと思う。


「聞き間違いじゃないなら、いま遥の料理が美味いって言った?」


 朱美は実の娘を馬鹿にしながら、撫子には優しく毛布をかけている。


「いい加減なこと言わないでよ、お母さん。決して不味くないもん。隼人いっつも、全部食べてくれるんだからね」


 母親に反論しながら、遥は足をバタバタさせている。

 正面に座っている隼人に当たる。タイツの感触が気持ちいい。


「全部食べるのは、隼人が味音痴だからでしょ。ほら、味の感想を思い出してみ。美味いよりも先に熱いっていうような奴よ」


「それだけ、作りたての料理を食べてるってことだな」


「カッコつけんなガキんちょ。単純に、みやむと同じで猫舌ってだけでしょ」


 引き合いに出された子猫のみやむは、隼人をみつめて欠伸をした。

 一緒にされたのが不満なのか。

 いや、さすがに言葉は理解できないだろう。


 みやむは眠たそうにしながらも、撫子にかぶせた毛布の中には入っていかない。

 食べ終わった皿を持って出て行く朱美についていく。

 遥が布巾で机を拭きはじめた。

 なにか手伝おうと思って、邪魔になっているコップを持ち上げておく。


 隼人と遥の使っていたコップは色も形も同じだ。自分がどちらを使っていたのかわからなくなったので、てきとうに置く。

 自分のお茶を入れるついでに、遥がお茶を入れてくれる。


 お互いにお茶を飲む。

 もしかしたら間接キスしてるのかもしれないと思うと、中二の心臓はドキドキする。

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