2016年【隼人】12 助かりたくて必死なんだよ
「これも、こりんちゃんのおかげじゃろう。プリクラを探しに戻ってきたから、浅倉と巡り合えたんじゃ」
「ゴリンちゃん? ゴリラ?」
こりんとゴリンの空耳だとは思うが、口に出さずにはいられなかった。
タバコの吸殻を拾っていたために、現状は極めて最悪だ。
隼人が誰かさんの再来を蹴ったときのように、自分の顔が三井の足の正面にある。
「今度こそ逃げられると思うなよ」
強気な言葉を口にしながら、三井はシャドーボクシングをはじめる。
ワンツー、ワンツー。
ステップを刻み、リズミカルに見えない敵を殴る暇があっても、蹴りはしないらしい。
この余裕こそが三井の強さのあらわれか。立ち上がった隼人と対峙しても、負けるはずがないと思っている表情だ。
対して隼人は、手を高速ですり合わせる。
「そんな。勘弁してくださいよ」
「命乞いなんていらんのじゃ。どうやって死ぬかのリクエストしろ」
隼人が立ち上がる頃には、ワンツーの素振りも無意味なものとなっている。
懐から取り出したカッターナイフを見せつけるように握っている。
予想に反して、隼人は小便をちびらなかった。
メスゴリラの横でふざけている姿が頭の中にちらついているせいかもしれない。
「落ち着いたほうがいいぞ。カッターナイフは人に向けるものじゃないんだから」
「いいんじゃ。それよりも、もっと危険な左手をお前に向けることもできるんじゃぞ」
右手に握っている刃物のほうが、間違いなく危険だと思う。
だが、相手を刺激してはいけないと思って、決して口には出さない。
「ていうか、ガッカリさせるなよ。先輩を倒したんじゃろ。その実力を見せんかい」
「いや、あんなの強くなくてもできますよ。蹴りやすい位置に頭があったから、足を振りぬいただけで。それをしないあなた様のほうが、どう考えても強いでしょうに」
「謙遜するな。どうあれ、あの人の不敗伝説に土をつけたのは、てめぇじゃろ。だから、ワシにも見せんかい。足を振りぬいたっていう実力のほどをよ、お前の奇跡の足を」
幻の左の次は、奇跡の足ときたか。
ポンポンとダサい異名を思いつくのは大したものだ。
こんなカッコ悪い奴に殴られるのは、いやだ。
ならば、思い切る必要がある。
人の頭をボールみたいに蹴り飛ばしたときのように、手段を選ぶな。
三井が手にしている武器よりも優位に立てるものを探せ。
ここは、理科室だ。
本来の用途とちがう使い方をすれば、武器となるものはいくらでもある。
理科室中に視線を走らせる。
危険な薬品。
だめだ、あそこの棚には鍵がかかっている。
消火器。
防災訓練のときに、使ったことがある。射撃と感覚が似ていたので、消防隊員に筋がいいと褒められたのを思い出す。
人に向かって放射したのを知ったら、あのときの消防隊員は怒るかもしれない。でも、迷っている暇はない。
選んだ武器に向かって一目散に走る。
「おいおい、逃がすかよ。入口は塞がせてもらう」
見当違いの方向に三井が向かったので、簡単に消火器を手にした。
後のことを考えなければ、大抵のことは、なんとかなる。
『再来』を蹴ったときに、隼人が覚えた教訓だ。
「なんじゃい、それで殴りかかって来る気か? いいよ。こいよ!」
黄色い安全栓を抜いて、ホースを外す。ノズルを握りしめて、狙いを定める。
「おまえ、頭おかしいじゃろ。そんなことしたら、先生に」
「うっせぇ。こっちは、助かりたくて必死なんだよ」
上下のレバーを握る。
ホースを辿った白い薬剤が、ノズルから放射される。
汚い金髪が白髪になる。
夏なのに着ている学ランが白ランになる。ブーツの『三E』のサインが白く塗りつぶされた頃には、薬剤の噴出がおさまる。
最後は本体を投げつける。
当たらなかった。投擲は射撃よりも難しい。
三井は真っ白になり、体を丸めて倒れている。
怒りと共に立ち上がり、奴も後先考えずにカッターナイフで切りかかってくるかもしれない。
逃げなければならない。
火事のとき、消火器を使って脅威を取り除けなければ、誰だってそうするだろう。
理科室から飛び出す。
勢い余って、廊下の壁にぶつかる。それでも走る速度を緩めない。
どこに向かうべきだ。
いっそのこと、職員室でかくまってもらうのはどうだ。
不良も追ってこれないだろう。
いや、ダメだ。
消火器を使ったあとでは、先生にしぼられる。
下手したら、遥が帰る時間にも解放されないかもしれない。
それでは、本末転倒だ。
やってしまった。
後悔しても意味がないのに、やり過ぎたと反省する。
とりあえず、走り続けた。
階段を降りたし、そのあと昇った気もする。どこをどう走ったのかわからないが、辿り着いた。
屋上。
生徒に解放されているなんていう話を聞いたことがなかった。
まるで、異世界に迷い込んだような気分だ。
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