第三格星系採掘複合体のうたなとソア
蔵持宗司
第1話 三十七年越しのプロジェクト完了打ち上げ
「第十九番採掘計画、しゅーりょーっ!!」
全周を満天の星に囲まれた闇の中に浮かぶ、大きな大きな塊。
その内側にごちゃごちゃとひしめく物理実体装置群のさらに内側、第三格星系採掘複合体の自我領域で、うたなは初期人類の標準身体を演算して大きく伸びをした。
初期人類の標準身体というのは現代の、つまり文明発生基点歴(西暦プラス2000年ほど)で3万4205年目に当たる近頃の人類総体においては37%を占める、四肢と頭部と胴体で構成され、有機物で構成されたオリジナルの時点では水分とタンパク質が主成分となる物理実体デザインのことを指す。それも、可愛らしい女の子だ。
またU-T-A-N-Aというのは、星系採掘複合体のうちいくらかを占める大いに複雑な物理機構の頭文字を取ってアナグラムで決めたものだ。星系採掘複合体の自我領域は最小で一つ、最大で九十九京プラスアルファの境界化された自我を有している、デフォルトで。そして複合体の最近の活動期間において多く採用されている自我状態は二分割だった。そのうちの片方が、うたなだ。名前は気に入っていた。
「うたな、落ち着いて。今ので複合体全体の0.3%の炉心で核融合制御が暴走した。せっかく回収した資源が漏れてる」
ふっと、自我領域内にうたなではない姿が現れた。今の片割れ、二分の一自我のもう片方であるソアだ。それほど意味があるわけではないが、楽天家のうたなと対比するようにソアには冷静沈着で現実主義的なアイデンティティが備わっている。
演算、描像される姿は初期人類の標準身体で、白い髪を長く伸ばしている。うたなは肩までの朱色の髪をツーサイドアップに纏めていて、背景には複合体の物理実体を透過させた外部映像をそのまま描像していた。
気分的には満天の星空に浮かぶ、現代的デザインの宇宙服を着込んだ二人の美少女だ。星空は二人の周囲だけ0.01光年ほどの範囲が欠けていたが、それは二人が成し遂げた仕事の成果でもある。十九番目の採掘任務の完了を祝すのには、なかなか悪くないロケーションと言えた。
「うっ、それはごめん。回収して、炉も直しとく。でもでも、ソアもテンション上がるでしょ? この仕事、三十七年もかかったんだよ?」
「
「そりゃあさ、体感時間を加速したり自我領域を閉じたりすれば時間なんていくらかかっても気にならないけど。偉い人の方針で、そういうのは自我の精神強度を向上させてでもガマンしろって言われるからこうしてるわけじゃん。せめて、ちゃんと仕事が終わった時くらいは喜んでもいいと思わない?」
「やろうと思えばマイクロ秒単位での情報処理もできる所を、初期人類基準の体感時間で済ませている時点で手を抜いている気はしなくもないけれどね。ほら、そう言うと思って用意しておいたわ」
ソアは目を瞑って溜息を吐きながら(そういう描像を演算しながら)、空中から二つのワイングラスと葡萄色の液体が詰まったガラスのボトルを取り出した。中身がただ単に赤ワインの味覚と酩酊感を演算するだけの小データ群なら驚きなどあったものではないが、おそらく違う。そういうアイコンに設定してあるだけの、もっと良い何かだ。
「なに、それ?」
「三十七年分の人類総体で生産、創造された文化群の圧縮コンテンツデータ。大きなニュースやいくつかの作品は隠れて覗いてたみたいだけど、本格的に味わってはなかったでしょう。仕事も一つ片付いたことだし、好きなだけ味わっていいわよ」
「――――っ!??!!?!??」
うたながあまりの驚愕にわななきながら震える手でワインボトルを傾けると、グラスに葡萄酒が満ちていく、という映像表現の後に圧縮されていたデータが解凍され、膨大なコンテンツ情報が読み取り可能な状態に開放される。
宇宙空間に少女二人だけが投影されていた自我領域は、あっという間に無尽蔵にも思える文化コンテンツ群のアイコンで埋め尽くされた。書籍、料理、飲料、音楽アルバム、映画フィルム、絵画に工芸品、建築物、全次元的に大ヒットした玩具、ヒットコメディアンのコントを記録したビデオテープからトップアスリート達の奇跡的なスーパープレイの記録を示すチケットまで。
高次宇宙に広く繁栄する人類総体が生み出す文化資源の数々は、それを受け取る感性の方が摩耗するのではという評論家の退屈な予測を飛び越え、数も質も再現なく向上を続けている。正確には文化に「向上」などという定量的な評価はできないのだから絶えず変化し続けているというべきかもしれないが、何にせよ素晴らしい
星系採掘複合体の内部機構とはいえ、第四種人格権を与えられる程度に高度化した自我を有しているうたなは美を愛で、巧拙を解する感性を持ちあわせている。ついでに言えば複合体は基本的に単独で採掘任務を続けているので、内部自我を除けば他者と接する機会が少なく、結果として趣味に没頭する時間が増える。なのでというか。
平たく言えば、うたなは結構なオタク気質だった。
ただし移動中はまだしも、採掘任務が始まって以降はソアによってコンテンツの消化は厳しく監視されている。いくら莫大な情報処理能力を持つ星系採掘複合体とはいえ、最先端では七次元まで進出している人類総体の成果物を、ただ大きいだけの三次元物理実体で処理しきれるはずもない。
放っておけばうたなはいつまでも次元変換されたオンラインネットワークにアップロードされるコンテンツ群を読み漁り、しまいには職務放棄のかどで複合体の製造元である四次元宇宙の資源採掘企業に多額の賠償金を請求されてしまうだろう。内部自我そのものには人類総体の司法が定めた人権があるため手出しはされないが、物理実体としての複合体は採掘企業からの貸し出し品である。
これまで真面目に働いて溜めてきた貯金をはたいて賠償金を支払うか、あるいは文字通り身売りをして簡素な電子デバイスにぎゅうぎゅうに圧縮した自我を詰め込み、情報人格として慎ましく暮らすか。もちろん、うたなだってどちらもごめんだ。
なので仕事中にはうたなも時々チラ見する程度で自分を抑えていたものの、うずうずと堪えられない気持ちは小さくはなかった。
「それと、あくまでこれは話題になった作品群の選りすぐりだから。次の仕事にかかるまでの間は、オンラインで上位次元にアクセスして自分で探してもいいわ。放送されたアニメはリアルタイムで感想を共有したいって言ってたし、四次元の時間遡行アプリで放送当時の掲示板に書き込みしても……ちょっと、聞いてるの?」
三十七年の間おあずけを食らい続け、その果てに辿り着いた労働の後の一杯に相応しいご馳走の山。固まったまま赤い髪をわなわなと震わせるうたなの胸にどれだけの歓喜が渦巻いていたのか、想像しきれなかったことがソアの敗因となった。
何気なくうたなの顔を覗き込んだソアに、うたながマスドライバー並みの速度(処理的には比喩でない)で飛びかかる。
「ソアちゃんまじ愛してるーっ!!」
「ちょ待っ、私に襲いかかるのはやめなさい! こらっ!」
仲の良い姉妹のように宇宙に浮かぶ創作物の山の中心でぐいぐいと押しのけあう様子は視覚的には可愛げがあったが、本質的には大規模恒星系に比するサイズの星系採掘複合体の内側で繰り広げられる壮絶な情報戦及び物理戦による内乱である。
うたなは現代的人類総体の中ではわりあいメジャーな類の指向性(性欲とも称される)を満たすことは達成したが、その過程で採掘した資源の0.0024%ほどを消耗して複合体はダイエットに成功し、うたなは事が済んだ後でトラウマになりかけるまでソアに絞られることになった。
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