第2話 星系採掘複合体

「うう、ひどいめにあったー。ソアちゃんったら、あんなに怒らなくてもいいのに」


 自我領域の中で、標準身体のうたなは痛む頭を抱えて蹲っていた。描像される宇宙服風の衣類はあちこちがボロボロで、うたなの受けたダメージを気分的にも処理能力的にもよく反映しているようだった。


 つい数日前、俗に性欲と呼ばれる欲求が高まったうたなは、星系採掘複合体においてうたなが権限を持つ自動機械群によってソアが管理する施設と機械群を占拠し、組み伏せ、複合体内のほぼあらゆる物理機構を思いのままにした。そしてさらに、ソアを演算している計算機の演算系(スタンダードな電子量子型から流体濃淡型、固体振動波形型、生体素子型、分子力学型まで百以上の方式を採用している)に対してクラッキングを仕掛け、無防備になったソア個人の自我領域を情報的につつき、撫で、さすり、くすぐり、舐め、つねり、揉み、突き入れ、前後し、その他諸々の比喩表現が可能な形で弄んだ。


 そしてしかし、思う存分ソアの個性的な情報構成を堪能し、ふぅ、と人心地ついたのが運の尽き。

 怒りを爆発させて反転攻勢に出たソアによって、うたなの侵攻域は瞬く間に奪還され、さらに本来の管轄まで奪い取られた上、一部の施設は原型を留めないほどに破壊された。そしてされるがままになっていると見せかけて構想を練っていた恐怖の情報攻撃によって、うたな個人の自我領域はこの世のありとあらゆる痛みを比喩表現に使っても足りないほどのバリエーションで痛めつけられた。

 その後もご立腹のソアは大半の設備の管理権限を返却してはくれなかったので、うたなは最低限の維持管理作業だけを担い、複合体の片隅で縮こまっている。


 それを物理的には複数の恒星系に匹敵するサイズの星系採掘複合体でやっているので、傍から見れば完全に銀河を二分する勢力が盛大な銀河間戦争でも開戦したようにしか見えなかったことだろう。しかし、その実態は単なる痴話喧嘩である。稼働開始から八百年。うたなとソアがこうしたじゃれあい、という言葉で済ませていいのかどうかわからない行為をするのはさほど珍しいことではなかった。


 涙目で横倒しになって蹲るうたなの傍で、ソアはそっぽを向いて語気を荒げる。ただしその頬は、いや耳まで肌が赤く火照っていたが。


「そ、それはこっちの台詞よ。まったく、まったくもう。うたなったら、本当に私と同じ自我インフラを二分割してるの? いきなりあんなことしてくるなんて……信じらんない!」


「ええー? ソアちゃんだって、途中からは楽しんでたじゃん。そりゃ基盤が同じでも人格はぜんぜん違うものにはなるけど、けっこー好みは一緒だったりすると思うよ? なんとなくわかるもん」


「へぁっ、なっ!?」


「あっ……そうか! さっきのお仕置きもソアちゃんなりの愛情表現だったの? 気付いてあげられなくてごめんね、今からでも二回戦をっ!」


「っ……! このっ、いい加減にしなさいっ!」


 ガカァッ、と宇宙を背景にした共有自我領域に雷が出現し、ソアに襲い掛かろうとしてそれをモロに浴びたうたなは黒焦げになって倒れた。今度は演算系に単なる一時的な過剰負荷を与えただけだが、うたなを構成している計算機群のうちいくつかは軽く回線をショートさせているかもしれない。そのためソアは誰に見られることもなく、頬をうっすらと赤く染める描像に精を出すことができた。




 星系採掘複合体というのは、基本的には三次元宇宙における余剰資源を回収し、人類総体の活動域へと輸送、各種産業へ活用するための流通分野における循環機構と位置付けられている。

 西暦が定められてから最初の一万年の間に、人類総体は次元を上昇させる技術を手に入れた。最初は時間という軸の四次元。それから可能性、すなわち分岐する並行宇宙という軸の五次元。過去や未来、そして並行世界へまでも辿り着き、ヒトと総称される諸族の指先は今では七つめの次元へも進出している。


 が、だからと言って三次元空間においてやることが何もなくなったのかと言えば、そんなことはない。

 そもそもが、人類総体の端緒なるホモ・サピエンスが誕生したのは三次元宇宙での出来事なのだ。その遺伝子的系譜を直系で受け継ぐ人々は、今も第三層、三次元宇宙で暮らしているし、つまりは近似値の歴史を持つ並行宇宙においても同じことが言える。

 人類総体という包括的概念は三次元宇宙から七次元宇宙に渡ってあまねく生活を営んでおり、つまりは三次元宇宙で暮らす人々には三次元の物理資源の需要がある。

 より高次の技術を使って第三格資源を生成することもできるのだが、そんなことをしていてはどうやってもコストがリターンに釣り合わない。原子炉の熱を微調整して釜に入れれば木炭が作れるとしても、それが馬鹿馬鹿しいことだというのはどの次元の小学生に相当する発達段階の幼い知性でもわかる。


 だからこそ、第三層領域においては星系採掘複合体という、第三格技術の粋を集めた(大半は大昔の技術だが、全次元横断型リアルタイムネットワークへの接続ルーターなど、一部の技術は未だに更新され続けている)存在が必要とされる。

 複数の恒星系に匹敵するスケールを持ち、宇宙艦隊とも、果てしなく巨大な怪物とも、機械でできた積乱雲ともつかない外観と、物理的及び情報的な『内側』を持つ、一個の稼働する系システム



 それが星系採掘複合体であり、この複合体を統括している情報人格こそ、うたなとソアの二人だった。

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