学術的に少女漫画は、男女の色事の指南書となる。民〇書房刊「少女漫画大辞典」より
冨田秀一
第1話 少女漫画は指南書である。
学術的に少女漫画は、男女の色事の指南書となる。民〇書房「少女漫画大辞典」より
「あー最悪だ…。もうきっつい、ほんと勘弁してくれよー。こんなの無理だぁ…。」
高島翔は家に帰るなり、勢いよくに飛び込んだ。軽く死にたかった。簡単に死ぬなんて、絶対に口にしてはいけないことは知っている。だから口にはしないがそう思っていた。誰かこのどうしようもないバカを、締め上げて殺してくれと思っていた。
「お兄ちゃん…。家に帰ってくるなり、ソファで悶えて何してんの?すごい気持ち悪いんだけど…。」
「っひゃあ!?お前いたのかよ!?」
「ずっとコタツで寝てたよ。」
翔の妹である美咲は、コタツからヤドカリのように顔だけ出している。そして呆れたようにソファの上の兄の情けない姿を見ていた。
「家に帰ったら電気くらいつけなさい。街についたと思ったら、いきなりゴーレム出てきた時くらいびっくりした。」
「こっちの方がびっくりだよ。お兄ちゃん一人の時、こんな感じなんだね。」
翔は内心かなり恥ずかしかったが、冷静さを見せて兄の威厳を取り戻そうと努めた。
「まぁまぁ、一人の時に奇行に走るのは誰しもあるだろ。」
「例えば?」
「決して人前でできない物真似を練習したり、意味不明な言葉や動きを発狂したように繰り返したり……あれ?まさか僕だけ?」
「わたしはそんなことしないよ。いい歳してそんな恥ずかしいことする人間は、この世にお兄ちゃんだけだよ。」
「そうなの?絶対みんなやってるって。ジャ〇アンとかミッ〇ーとかエ〇モの物真似一人で練習してるって。」
「恥ずかしいお兄ちゃんをもつ私は、きっと世界一不幸せな妹だわ。」
ため息をつきながら、美咲は寝返りをうった。
「こらこら、悲劇のヒロイン気取りはお前の悪い癖だ。お前よりも僕の方が百倍不幸だぜ。世界一とはいわないが、この町の三丁目界隈では一番今不幸せだという自負がある。」
「何なの。何があったのって聞いてほしいの?情けないお兄ちゃんが自負する不幸について尋問したらいいの?おらっ!早く吐けっ!何があったんだ言ってみろ!」
兄としての威厳は保てなかった。むしろ色々裏目に出てしまった翔は、その自分が招いた不幸について白状した。
「ずっと好きだった…先輩との愛に、終止符が打たれました。」
肩を落とす翔を、あまり興味無さそうに美咲は「ふーん。っで?」と話の詳細を促した。
「昨日、メールで先輩に告白したら、『付き合っている人がいるの。』と断られたよ。そして今日廊下で偶然すれ違って、すごく気まずそうに『っぅわ…おはよ。』って。」
「『っぅわ』はきついねー。」
「わかってくれるか妹よ。『っあ』じゃなくて、『っぅわ』だもんな。後ろから現れたならともかく、正面から普通にすれ違っただけだから。それで『っぅわ』だから。小さい『っ』と『ぅ』が入ってるから。」
「正面からパンツ丸見えのおっさんでも来ない限り、『っぅわ』なんて言わないよ。」
美咲のその基準もよくわからないが、いきなり告白してきた男はパンツ丸見えのおっさんと同等の価値らしい。パンツ丸見えのおっさんと等価交換されてしまうらしい。
「だいたいメールで告白なんて信じらんない。アンビリバブルだよ。奇跡体験だよ。」
「メールで告白がそんな駄目なことかい。文明の機器を活用して何が問題なのさ。スマホ、VR、オレコマンダーは最新三種の神器だよ。」
「最後のやつは絶対違うでしょ。ニーズがニッチすぎるよ。」
「だいたい、文章じゃ気持ちが届かないなんて言うのはおかしいだろう。読解力が足りねぇんだよ。もっと本を読め本を。相手がどれだけの時間をかけて言葉を選んだのか、その言葉が形として残る文の方がうれしいじゃないか。」
「そういうところだよ、お兄ちゃん。ひねくれた人や屁理屈くさい人は総じて好感度低いから。女の子は理屈を討論したくないの。気持ちの話をしているんだよ。」
美咲はこたつから起き上がり、じっと翔の方を見つめた。
「いつからだろうね、お兄ちゃんがそんな無理に引き抜いた釘みたいにひん曲がったのは。私がそのいかなごのくぎ煮みたいな精神を叩き直してあげるよ。」
「いかなごのくぎ煮で結構だよ。そもそも僕がふられたのは、先輩に彼氏がいたからだ。僕自身がもてないとか、そんな次元の話じゃないんだよ。僕ほど男らしい古風な男がもてないわけないだろ。」
「そういうところがモテないんだってば。手始めに、私の持ってる少女漫画貸してあげるから、それ読んで女性心理を勉強しなよ。今時昭和の男くさい漫画ばっか読んでるから駄目なんだよ。」
「言ってなかったな。僕はね、筋肉ムキムキの男が肉弾戦をする漫画以外を読むと、死んでしまう病を抱えているんだ。」
「どんな病よ。お兄ちゃんが抱えてるのはネット中毒くらいでしょ。ともかく、この漫画読んでみなよ。」
美咲はリビングの本棚の漫画を手に取った。顔の半分くらい占めるほど瞳がでかくて、きらきらしている少女が表紙の漫画を翔に手渡した。
「なんだこれは。驚〇大四凶殺とかある?こんな細腕じゃ戦えないぞ。」
「若い子は男塾の名物なんて誰もわからないよ。」
「っじゃあ何でお前は知ってるんだ。」
「勝手にお兄ちゃんの部屋で読んだからだよ。いいから読みなさいよ。とりあえず一巻だけでいいから。」
美咲は翔の胸に、単行本の第一巻を押し付けた。
「仕方ないな。一巻だけだぞ。」
翔はしかめっ面で、美咲から渡された少女漫画を読み始めた。
“なんだこの女は、何頭身だよ。拒食症じゃないとこんな細足ならんだろ。”
“うわ、チャラついた男だな。ぶつかっといて謝らないとか印象最悪じゃないか。”
“あれ、歩道橋をおばあさんをおんぶしてるやつって…。”
“なん…だと…。今度は捨て犬をやさしく撫でている!?「ごめんな、家では飼ってやれないんだ。俺んち貧乏だから…。」だって。”
“幼い弟や妹たちのために、バイトを五個も掛け持ちしている…だと!?”
「どうだった?お兄ちゃん?」
「……二巻かしてもらってもいいかな。」
「おもしろいでしょ?」
「そうか。ぼくも壁ドンしながら、『お前のこと、ほっとけないんだ…。』とか言ったらよかったのか…。」
美咲はとても悲しい目で兄を見た。
「絶対に真似しちゃ駄目だよ。イケメン俳優が演じる少女漫画の実写だって、うわって引いちゃうことあるんだから。鳥肌たつことあるんだから。お兄ちゃんごときが真似したら、全世界の女子がドン引きだよ。全人類の女の子が鳥になっちゃうでしょ。」
「お兄ちゃんごときってことはないだろう。全人類鳥に変えるほど気持ち悪いの?お兄ちゃんのことそんな風に思ってたの!?『お前はもう…俺の物だから。』とか言っちゃ駄目なの?」
「っぅわ。まじでやめて。気持ち悪い…吐きそう。」
「おい、吐きたくなるまでの気持ち悪さなのか。あと、今さりげなく『っぅわ』って言っただろう。パンツ丸見えのおっさんでも見たのか?」
「女の子のことをもの扱いなんて、それもあり得ないよ。許されるのはドSなイケメンを生業にしている人だけだから。」
「ドSなイケメンを生業にする人って何なん?」
「ともかく、お兄ちゃんが学ぶべきは、女性心理だよ。女性心理を理解したら、もうお兄ちゃんだって無双もんだよ。呂布の無双乱舞だよ。」
「それは強すぎるな。もう少し女性心理とやらを解説してくれよ。」
「少女漫画にはね、女性が男の人と出会って、好きになるまでの過程が詳しく描かれてるんだよ。」
「なるほど。」
「まず少女漫画の名作、『僕〇がいた』の主人公は、学校の女の子の三分の二が必ず恋に落ちるイケメンです。そこからスタートです。」
「おい!何しれっと、強くてニューゲームみたいなこと言ってんの?レベル一から始めてくれよ。」
「そんなこと言ってもなぁ。多くの少女漫画は、学校一のイケメンとの恋愛の話だからなぁ。君に〇けの風〇くんしかり、先生〇主の弘〇先生しかり、みんな最初からもてるのだよ。」
「話にならないじゃないか。レベル1主人公が異世界でチートハーレム作る作品の方が勉強になるよ。」
翔は口を尖らせてながら非難するように言った。
「それを本気で言ってるなら、お兄ちゃんはこの先絶対にもてないよ。」
「男がレベル1スタートの少女漫画ないの?」
「なくはないけどね。レベル1の男と恋愛するより、レベル100イケメンとの恋愛の方が主流になるに決まってるでしょ。男向けのアニメや漫画だって一緒じゃん。大体がレベル1の男がレベル100のヒロインといちゃいちゃする話じゃん。」
「っじゃあ少女漫画もチートハーレムも一緒じゃないか。」
「男の理想妄想を煮て、上澄みを捨ててのこったへどろをさらに煮込んだような物と一緒にしないでくれる?」
「あぁ!?チートハーレム馬鹿にしてんのか?どっちも大差ないだろう!」
「現実が駄目だからって、異世界に逃げ込んでよくわからない力でヒロイン射止めて恋愛するのと、現実世界できっちり努力して恋愛するのは違うでしょうが!」
「ぐぬぬ…。正論過ぎて何もいえねぇ。」
「ふん!わかったら、ちゃんと全巻読んで考え方を改めなさい!」
美咲は自室から大量の漫画を運んできた。全部で100巻を超えるほどの単行本であり、それを翔の部屋にどんどん運んで少女漫画の山を作った。
翔が興味の湧きそうな漫画を探して漁っていると、裸の男が抱き合う薄い本が混じっていた。
「おい、BLの同人誌混じってんぞ。」
「なっ!?違うわよ。これは友達が置いていったやつだから!腐女子じゃないから。」
美咲は慌てて翔からその本を奪い取ると、部屋に戻っていった。
少女漫画は、少女を対象に描かれた漫画である。しかし、女性に男性ホルモンが少なからず存在するのと同様に、男性だって可愛らしい乙女な部分を持ち合わせる。
翔は思い切り少女漫画にはまり、数日の間、徹夜して少女漫画を読み漁った。
少女漫画の影響を受け、翔が心身ともに変貌したことに美咲が気づいたのは、それから数日たったある日、学校で妙な噂を耳にした日のことであった。
「おはよー、美咲。ねぇ、美咲のお兄ちゃんってすごい人だったんだね。」
美咲が教室に入った瞬間、美咲のクラスメイトの女の子が声をかけてきた。
「はい?私のお兄ちゃんがどうかしたの?」
「美咲のお兄ちゃんのファンクラブが、高等部の女の子たちの間でできたらしいよ。」
「っはぁぁあああ!!!???」
「めっちゃカッコいいって評判だよ。まるで少女漫画に出てくる、かっこいい王子様みたいだって。」
「ないないない。あんなのただの、根暗へりくつクソオタクだから。」
「えー、今度美咲のお家に遊びいっていい?お兄さんに会ってみたいんだけど…。」
少しはにかみながら言う友人の表情を見て、美咲はとても困惑した。
美咲はその日まっすぐ家に帰り、兄である翔が帰って来るのを待った。夕方の5時を回った頃、玄関が開く音がしてついに翔が帰宅した。
「ちょっと!お兄ちゃん!どういうことよっ!」
「えっ、いきなりどうしたんだ?びっくりするだろう。」
美咲は眉間に皺を寄せて、戸惑う翔に詰め寄った。
「どうしたんじゃないわよ!」
「ちょっと美咲、落ち着きなって…。そんな顔したら…、せっかくの可愛らしい顔が、だいなしだぜ…。」
「えっ…。」
美咲は動揺を隠しきれなかった。
「お兄ちゃん…だよね?」
「どうしたんだい?ほら、その美しい目で…、しっかりと僕の顔を見てごらん。」
翔は美咲を壁に追いやるように近づき、壁に手をどんと突いた。
「いやっ…。こんなのお兄ちゃんじゃない!」
美咲は全身をふるふると震わせていた。その身体には大量の鳥肌が立っている。
「何いってるんだい?心の目でみてごらん。自分の心に嘘をついちゃ駄目だ。心の目でまっすぐ僕を見つめてみなよ。」
翔は美咲にゆっくりと顔を近づけた。
「ひぃっ…。」
ぼわんっと音をたてて、もくもくと白い煙が舞い上がった。
美咲は鶏になってしまった。 完
学術的に少女漫画は、男女の色事の指南書となる。民〇書房刊「少女漫画大辞典」より 冨田秀一 @daikitimuku
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