愁いを知らぬ鳥のうた
蟬時雨あさぎ
「帰るに如かず」
秋。青々としていた木々の葉は、陽が燃え上がるかのようにその色を変えて、ちらちらと空に火の粉を蒔いているようだった。
澄んだ空気と、水の音。時折、ピチチ、と鳴く鳥の声がする。
「良い、天気だ」
山の中、ひっそりと佇む庵に一人。青年は住まう。人と人為らざる者の間、此岸と彼岸の境である山は、どっちつかずな彼の居場所に適していたのだった。
(……静かで、美しい)
ほう、と息を吐いた。瞳を閉じる。
音が、音だけが、鮮烈に青年の感覚を貫いた。
川のせせらぎ。木々の騒めき。
じっと耳を傾ける。
その傍らで、世俗で生きていた頃の、それは長く生きていた頃の遠い記憶の中。今は取り戻せないよしなしごとが脳裏を巡る。
「……あれ」
ふと、耳に珍しい音を聞いたような気がして、青年は瞳を開けた。きょろきょろと見渡して、視界の隅から隅までを探す。
また、聞こえる、時期外れともいえる鳴き声。鳥の囀りが、耳に届く。呼び寄せつように、青年はその鳴き声を模倣する。
「テッペンカケタカ、……テッペンカケタカ」
返事をするように、青年は紡ぐ。歌うように、呼び寄せるように。
「……テッペカ」
「――やあ、いらっしゃい」
欄干に止まった、一匹の鳥。小さく、愛らしさのあるその身。しかし、青年の耳に間違いはなく、姿を現したのは季節外れの鳥であった。
「君だね?
「……チ」
「そうか。君はもう……
「……テッペカ」
「ん?」
鳥の言葉を聞くことが出来る青年は不思議そうに耳を傾ける。
「何で戻らないのか、って?」
「カカ」
「確かに、私はまだ此岸に戻れる。けれど、もう、いいんだよ」
つぶらな瞳をじっと青年に向けて、首を何度か傾げる仕草を向ける。問いかけようにして、何度も、何度も。
「あの戦火を生き延びて、人々の時代の変化をこれほどまで見ることが出来た。それでもう、私は十分なのさ」
青年は長い時を生きた。
絢爛を生き、排他を生き、戦乱を生き抜いた。
果てに、この庵で幽玄の安寧を過ごすことにした。
「テッチチ」
「そんなことはないよ。叶わない夢想を抱き続けるのに、心が疲れてしまったんだ」
夢を見ていた。人らしく、生きる夢。
だが、夢は時に残酷な事実を突きつける。
青年がこの庵で過ごすのは、どうあがいても、人でなしの自分に人のような眩しさは持ち合わせることができないと諦めたからであった。
「テッペ」
「え、なんだって?」
「テッペン、カケカケタカ」
「君は、知っているのかい? ……あの三人の武将を」
「カケッタ」
曰く、自分は彼らの生き様を時折眺めていた、と。
「そうか、……そっか」
青年にとっての、一番新しく、辛く、そして人らしい思い出。
死に帰ることが能わぬ身なれど、人に混じって駆け抜けた日々。
(ああ、なんで、なんで忘れていたんだろう)
そしてその、輝かしい記憶は、ついぞ今迄青年が忘れていたものだった。
「チチ……カケカケ?」
曰く、君から彼らはどのように見えたのか、と。
「ああ、彼らは美しかったとも」
青年が浮かべたのは、それはそれは柔らかな笑みだった。
遠いどこかを見つめるその瞳は、羨望と懐古で満たされていて。
「それは、人ならではの輝きだった。それはもう、眩しかったよ。目が眩んでしまうような、美しい信念を持った人達だった」
青年は、人を嫌っている訳ではない。寧ろ、忘れがたき輝き、恋焦がれるものである。しかし、曖昧な境に居ることで、青年の記憶は思い出されずに不鮮明なものへと濁っていく。
だが、こうしてふとした折に、取り戻すのだ。
人と肩を並べて歩いていた頃の、懐かしい記憶を。
それは例えばこうして、――愁いを知らぬ鳥のうたによって。
「思い出させてくれたお礼に、歌を残そうか」
青年は、ゆらりと立ち上がってふらふらと歩く。矢立と紙をどこからか引っ張り出して戻ってくると、さらさらと筆を走らせて、三つの歌を書いた。
「君の名前と、彼ら生き様に敬意を表して」
青年が世に戻らないように、彼らの生が過ぎ去ったものであるように、帰ることは叶わないけれど。
『鳴かぬなら』
『■■■■■■■』
『
彼が残すのは、遠き未来に伝う――詠み人知らずの懐古歌。
愁いを知らぬ鳥のうた 蟬時雨あさぎ @shigure_asagi
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