最後の準備

 陽があたりを温め始めたころ。

 二時間ほど行方不明だった今日の主役がひょっこりと帰ってきた。

 もちろん控えていた侍女に速攻で湯殿へと連行された。


「あー、あれは大変そうだわ。」


 その様子を部屋の隅で眺めながら、ポインセチアは旅地通信社に連絡を入れる。



 なぜか脚を生やして帰ってきたお姫様を見た侍女長の悲鳴が、どこからか聞こえてきた。



 ポインセチアは、湯殿から帰ってきて侍女に囲まれている友達を見る。

 先ほどまでなにか白い糸のようなものが絡まっていた砂色の髪はきれいに梳かされ艶めいていて、今は簡単な、それでいて入念なスキンケアを受けている。メイクと髪を結うのは同時進行にするようだ。

 なにせ、王族の身支度に対して時間がない。

 先ほど政府の儀式担当者が部屋までやってきていたが、リディアの


「神殿長との打ち合わせは終わってますが。」


 との一言でさっさと追い出された。

 いつの間にそんな偉い人と会っていたのだろう? と首をひねるポインセチアだったが、リディアと鏡台の鏡越しに目が合う。


「さっき会ってきたの。」

「それで抜け出したの?」

「あと、足も取りに行きたかったし……。」

「時間なら前日までにけっこうあったはずだけど?」


 それは、とリディアが言いよどむ。

 なにか隠したいことがあるらしい。

 あまり表情の動かない友達。けれどこの子は意外と分かりやすいのだ。

 ポインセチアは肩をすくめる。


「まあ、儀式に間にあったならいいんじゃない?」

「間に合うかはまだ分かりませんよ、ご友人殿。」


 せっせと衣装の準備をしていた年長の侍女長が二人をふり返りもせずにぼそりと言う。

 こればっかりは何も言えない。


「こんな子です。」

「せめてもうしわけない気持ちは込めていただけますかリディア様……?」

「これっきりの付き合いでしょうから我慢してください。」


 リディアの言葉に侍女長はため息をつく。


「本当に、さっぱりされているところはお母様にそっくりですね。」

「母を知っているんですか?」

「もちろん。わたしはマチルダ様の側付でしたから。」


 王族の侍女はそれなりに身分の高い、ある程度教養のある貴族の女性が務める。王家に仕えているがゆえに革命に巻きこまれてしまった人も少なくないが、侍女長はリディアの母、マチルダが出奔したのに合わせて貴族の位を返上して旅地通信社に付いていった。

 最近は旅地通信社の事務として、少し遠くからリディアのことを見守っていた。


「こちらのドレスは昔、典礼用にお作りになったものです。もう日の目はみないと思っていましたが。親子二代で着るにふさわしいしっかりとした作りのものですよ。」

「……そう。」


 リディア自身に母の記憶は、あまりない。

 けれど、母を知っている人はたくさんいて、まるでそこにいるかのように話すものだから、リディアも長い時間を共に過ごしたような気分になる。

 けれど。


 衣装をちらり、と見やる。

 淡い色の、すとんと落ちるデザイン。いい意味で時代を感じさせない、普遍的でシンプルなドレス。

 これを着た母は想像できない。


 いったいどんな人だったのだろう。

 こんなとき、どんな言葉をかけてくれる人だったのだろう。

 世が世なら王族の義務として儀式に臨むことだってあっただろうから。


「……それはないか。」

「リディア様?」

「なんでもないです。」


 髪のセットが終わって、侍女長に促されるまま衣裳を身に纏う。

 そもそも、母と父が出会っていなければ、リディアはここにいない。


 ドレスのセットまでが終わり、侍女によってネックレスと耳飾りを付けられているリディアを眺めながら、ポインセチアと侍女長は一緒に目線を落とす。


「とっても似合ってるよ! ――うん。」

「そうですね、とてもお似合いです。――しかしながら。」


 侍女長がすっと腰を落とし、ふくらはぎの見えるドレスの端をつまむ。


「車椅子を想定して少し短くしたのが仇になるとは。」

「仕方ないですよ。当日になって足が追加されるなんて誰にもわかりませんから。」


 言っている間にもお針子が呼ばれ、上げた裾の糸を解く準備を始める。

 リディアはつねにざわついている周りを見回し、侍女長を見る。


「……足、外そうか?」

「そういう問題ではございません。」


 ぴしゃりと言われて、さすがにきゅっと口を閉じた。





「……?」

「どうしましたかな、シャル殿。」

「ああ、いいえ。なんでもありません。」


 大神殿の中。大勢の神官が控えているそこに、貴賓たちも続々と集まってきている。旅地通信社の社長と大統領がそれぞれ視線を合わせないのを横目に見ながら、シャルは目の前に立つ神殿長に答える。

 神官服を着て、一番目立つ人の後ろにいるせいか見慣れない神官がいるのに誰も気がつかない。

 リディアのことを見守るのに一番いい位置だと神官長自ら提案したこの方法に一番乗りきだったのはリディアで、シャルはしぶしぶ従った形だ。


 まあ、いいだろう。

 たとえこれから何が起ころうとも、ここが最後の舞台になる。

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交心記録 水沢妃 @mizuhi

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