大聖堂

 細い通路に軽快な足音が響く。

 足音、とはいえ石と石が触れ合う硬質な音だ。

 ルーシャ石でできた足をそのままさらして歩くリディアは元々歩けていたかのようになんの違和感もなく、隠し通路を進んでいく。


「その義足、痛覚とかは感じないのか?」

「――なんとなく、血が通っている感覚? みたいなのはある、けど。完全に普通の足と同じかって聞かれると違う、かも。」

「そんな曖昧なものなの?」

「本物の足の感覚なんて、もう忘れちゃった。」


 軽くこちらを振り向いたリディアは平然とした顔をしていて、シャルはちいさくため息をついた。


 この少女は、いつもこういう顔をする。

 私は全然平気です、っていう顔。

 まるで人形のように整った顔。表情のない顔。

 父親を捜したいと泣いたときでさえ、その顔は鈍い悲しみを見せるだけだった。


 きっと感情を押し殺しているうちに、出し方さえ忘れてしまったのだろう。


 本来、彼女が傷つくはずの言葉を口にしてしまっては後悔しているこちらとしては、早くそのことに気がついてほしいのだが。


「……そんなに急ぐことはない、か。」

「シャル?」


 呟くような声に振り向いた。

 リディアは頭一つぶん高いところにあるシャルの顔を見て、首をかしげる。

 今にも泣きそうなその顔を。


「――なんでもないよ。」

「そう? 埃が目に入ったみたいな顔をしているよ。」


 実際二人とも蜘蛛の巣まみれで白っぽくなっているので、その可能性も十分あるのだが。

 静かに上を向いたシャルはちいさくいやいや、と首を横に振って、リディアにやさしくほほ笑んだ。


「本当になんでもないんだ。――それより、目的地はまだなのかい?」

「どのくらいかかるかわからないけど――道は合ってるはずよ。」



 二人は暗い道を進む。

 例に漏れず王家の隠し通路だ。

 人ひとりが通れるほどの狭い道。

 実際の設計図には載っていない、壁と壁の間や天井とのすき間に作られているために外部に漏れたことはないという。

 かつての地図も巧妙に隠されているそうで、この通路を知っているのはもはやリディアだけだ。


 リディアはかつて、王城を案内してくれた人のことを思い出す。

 父といっしょに「マルカスの六つ子ラジオ」を納めに来た日だった。

 父が謁見をしている間、その人がリディアの相手をしてくれた。

 遊び場として提供された部屋の壁からにゅっと現れたその人は、そのままリディアを壁の中の隠し通路へと誘い、いろんなところを探検してくれたのだ。


 巨大な会議場の天井近く。

 下働きの人達の食堂の脇。

 庭園の池の真下。

 宝物庫。


 そして、最後に案内してくれたのがこの通路だった。


『通路のことは秘密だよ。――そして、覚えていて。いつかきっと、君の役に立つはずだから。』


 おぼろげな記憶の中のその人は、写真の中の母とよく似ていた。

 名乗ってはくれなかったが、きっとあの人は処刑されてしまった王太子だったのだろうと思っている。

 一度しか会えなかった、リディアの伯父だ。


 彼と最後に見た景色は、とてもきれいなものだった。


 通路の壁に手を当て、かすかな凹凸を感じる。


「――ここ。」


 急に止まったリディアにぶつからないよう慌てて止まるシャルの驚いた声を背に、リディアは壁を押した。


 向こう側からあふれ出るのは、陽の光。



 シャルはその光景に息をのんだ。



 何階建てになるのだろうか。

 見上げるほど高い天井は複雑なアーチを描き、ところどころがガラス張りになっている。

 広いホールには何本もの光の柱が降り注いでいた。

 白亜の神殿のようなたたずまい。

 奥には細かな彫刻の刻まれた祭壇があり、壁にはいたるところに彫刻と細密画が施されている。

 ここも例に漏れず埃っぽいが、どこか空気は澄んでいた。


「ここは?」

「大神殿の聖域。神殿の奥にある、開かずの扉の向こう側。」

「――うん?」


 シャルは聖域に歩を進めながら、首をひねる。

 確か、リディアから聞いた話では。


「確か神殿の扉を開くのに、リディアを王族と認める必要があるんじゃなかった?」

「そう。」


 リディアは向かって右側、祭壇とは反対側にある大きな扉を指さした。


「あの扉がルーシャ石でできていて、王族と認められた者の血を登録することで開くことができるのよ。」

「――入れてるけど?」

「この通路はルーシャ石じゃないからね。」


 なるほど、とシャルは頭を抱える。


「つまり今回のことは、リディアたちにとっては茶番だってことか。」


 それなら彼女が飄々としているのもわかる。

 政府が交渉して、どうにかこじ開けようとしている扉をいとも簡単にすり抜ける手段を知っていたのだから。


「でも、わたしもあれ以来、入るのは初めてなの。」


 その言葉に、シャルはリディアを見る。

 その顔はいつものしれっとしたものではない。どこか不安げな、それこそ年相応の。

 始めて来た場所への、漠然とした恐怖をにじませている。


「あの日、ここでは何があったんだ?」

「……ここでなにかあったのかはわからないけれど。

 王城では革命軍と王家の騎士がぶつかって、一番激しい戦いが行われていたみたい。わたしは学校にいたからわからないけど、お父さんはちょうど登城していて、王様と一緒に逃げることになって、――それ以来、どこに行ったか分からない。」


 シャルは廊下を視たことを思い出す。

 あの日、やはり王とマルカスは一緒にいた。

 そして秘密の通路に逃げ込んだのだ。

 だとしたら、この聖堂に来ている可能性は高いのではないか?

 入り口を開けるのは王家の者のみ。隠し通路を知っているのも王家の者のみ。

 革命軍から逃げるには、こんなにいいところはない。


 そう考えながら歩いていると、なにかが足にぶつかった。

 重たい何かはつま先ににぶい痛みを残し、つるりとした石の床をすべっていく。


「痛っ。」


 足を押さえながら、うらめしく自分が蹴ったものを確認する。

 L字の黒い物体。天井からの光で鈍い光を反射させている。

 シャルはそれに見覚えがあった。いや、まったく同じものではないが、似たようなものなら宇宙を旅していれば嫌でも見ることになる。


 銃だ。


「――は、」

「もう、なにやってるの。」


 シャルの声に、リディアがけげんそうにこちらを見る。


「見るな!」

「なにを?」

「いいから! こっちに来るな!」


 リディアは彼の切羽詰まった声に黙り込む。怒気をはらんだ声を、あまり聞いたことがなかったから。

 シャルはゆっくりと歩を進めた。

 天井に気を取られていたせいか、参拝者用の長椅子に隠れて見えなかったせいなのか。

 その凄惨な光景に、なぜ今まで気がつかなかったのだろう。


 大扉から祭壇へ向かう中央の広い通路には、いくつかの弾痕と二人分の亡骸が横たわっていた。

 近くに転がっているのは細身の男であっただろう死体。こちらの男の銃を蹴ったようだ。

 そして、祭壇側には撃たれて亡くなったのであろう死体。こちらは少し恰幅のいい男性だったようだ。

 二人とも長く放置され、ミイラ化している。

 シャルは静かに銃に近づくと、そっと拾い上げる。額あてをずらし、銃の記憶を「視た」。


 流れこんでくる記憶が、真実を物語る。


「――そうだったのか。」


 あの日、この場所で何があったのか。

 男の銃はすべてを視ていた。


 すべてを視終わって、シャルは目を開く。いつの間にか、リディアは祭壇側のミイラに近づいていた。

 床に崩れ落ち、ぼんやりとその死体を見ている。


「――リディア。」


 後ろから声をかけたとき、一番前の長椅子にもう一人、亡骸が寝かされているのに気がついた。上等な服装からして王の亡骸だろう。

 祭壇側の死体は、王を守るように眠っていた。


「見つかったな、お前のお父さん。」


 隣にしゃがみこんだシャルを見ようともせず、リディアは変わり果てた父親を見下ろしている。

 覚悟は、していたはずだった。

 でも、いざ目の前にすると、その変わり果てた姿を見ると、何も言葉が出てこない。

 体を動かすことも、目線を外すことも。

 リディアにはできない。


 シャルは心配そうにリディアを見ながらも、視線を彼女の父親に移す。

 セネイア・ロンドヴィル・マルカス。

 ルーシャで最初に働いた鉱山の人々は、事あるごとに彼を褒め称え、賛美した。

 この星の産業に新たな光を刺した人だと。


 ふと、その手にある物が握られていることに気がついて、思わず手を伸ばした。

 リディアがぴくり、と反応する。けれどそれ以上の反応はない。

 それは、手のひらにおさまるほどの大きさで、よくある鉱石ラジオのように見えた。けれどそのような大きさのものがルーシャで流通していないことをシャルは知っている。

 その特徴的な木組み模様。


「これって、『六つ子ラジオ』なんじゃ……。」


 シャルのつぶやきに、リディアがやっと体を動かす。

 ラジオを奪うようにもぎ取って、まじまじと見る。それは間違いなく、父親が苦心しながら組み立てていたラジオ。


「――小型にしすぎて、お父さんにしか組み立てられなかったやつだ。」

「なんだそれ、すごいな親父さん。」


 慣れた手つきでダイヤルを回し、リディアはどこかへと通信を試みる。すぐに応答したのは女性の声。


「アーヴェー・アーヴェー。こちらはポインセチアです。どうぞ。」


 どこか焦ったような声。リディアは何も答えずにラジオを切った。


「今のは?」

「『六つ子ラジオ』を持ってる、友達。本当に相互で繋がった。本物の『六つ子ラジオ』だわ……。」


 驚いた声と共に、リディアはラジオを抱え込んだ。


「持って帰らせてもらうか。」

「……うん。」


 ずっと父親に寄り添っていたラジオだ。形見として持って行っても怒られないだろう。


「――お父さん。後で必ず、お墓に入れるから。もうちょっとだけ待ってて。」


 そう言うと、リディアは手を組んで、祈る。シャルも見よう見まねで、セネイアの冥福を祈った。



 二人が祈りを終えたとき、どこからかこんこん、と音が聞こえて来た。

 シャルは警戒しながらあたりを見回す。どうやら大扉のほうから聞こえてくるようだ。

 顔を見合わせて、一度頷きあってから、二人は扉に近づいた。


 決して開くことのない扉。その向こうから、小さな音のノックと声が聞こえて来た。


「もし、もし。そちらにどなたかいらっしゃるのですか。」


 リディアは扉に耳を当ててその声を聞き、おもわずつぶやいた。


「大司教様。」

「ああ、やはり、リディア譲ですね。」


 声は初老の男性といった雰囲気で、敵対心は感じられない。

 むしろ、朝の散歩中に近所の人と立ち話をするかのごとく穏やかな声。


「そちら側からなら、この扉も開くはずです。入る者には厳しく、出る者には無頓着な扉ですゆえ。試してみてくだされ。」


 その声に二人は再び顔を見合わせて、扉を押してみた。リディアだけだと少し力が足りなかったが、シャルと一緒に押すと案外すんなりと扉が動いた。

 しかし、二人で動かせたのも人ひとりが通れるほどの細いすき間だけ。

 そのすき間から、先ほどの声の主がにこやかに話しかけてきた。


「おひさしぶりですな、リディア譲。――ふふ。息災そうでなによりです。」


 大司教は豊かに蓄えた髭をいじりつつ、蜘蛛の巣と埃だらけでひどい有様の二人を見て顔の皺を深くした。

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