第189話 うんこマン
「ぐおおおおお……!」
いかん―――この腹の痛さ、決壊まで秒読みだ。
猶予が無え。俺は唸り声をあげながら、一階の男子トイレに駆け込んだ。
腹が……腹が痛え……!!
ラッシーは舌に感じる辛さを緩和してはくれたが、腹が受けるダメージまでは和らげてくれなかった。そう、俺は今、盛大に腹を壊していた。うんこマンになろうとしているのだ。
痛い痛い痛い痛い。やべえ、キンタマの比じゃねえ。過去最大級、これまでに感じたことのない、灼けるような痛みだ。
「くううっ、調子乗って食い過ぎた……ッ!」
腹減ってたせいで四回もおかわりしちまったからな……!
訪問者用の男子トイレが実質俺専用で助かった。これがもし男女共用で先客が居たりなんかすれば、俺の人生はそこで終了していただろうから。
「ハ―――ッ!」
便座に座る、気が緩む。―――と同時に括約筋も緩み、バースト。ケツ穴から盛大に出産する。
タッチの差で助かった。がヤバい。ケツ穴が切れ痔になったのかってくらい痛え。腹の痛みが最大だと思っていたらまだ上があった。早すぎる記録更新、こんなもの誰も望んじゃいない。
なんだよこれ。これが産みの苦しみか。母ちゃんありがとう、神様許して。
天に祈り、ティッシュに手を伸ばし、逡巡―――。
拭けるのか……!? そんなことをすれば摩擦の痛みでショック死するんじゃないのか……!?
いやでも、原始人じゃねえんだからうんこをしてケツを拭かないという選択肢は存在しない。そんな汚物は存在しちゃいけない。
―――であれば、次の一手はこうだ。
俺はウォッシュレットのボタンを押した。
「アッ―――!」
―――刹那、放たれる水流に苦しみ喘ぐ。
痛え……!
瞼の裏がパチパチとスパークする。ケツ穴から脳天まで突き上げる衝撃のイナズマ。俺達の耳をくすぐる音のイタズラ。
見ると、ウォッシュレットの勢いが強になっていた。ケツ穴にバーストストリームを喰らったのだ。
思わず飛び上がりそうになるのを、ケツ穴にキュッと力を入れ気合で堪える。
動けない。それから俺はしばらく、考える人と化した。
もう二度と……カレーをおかわりなんてしねえぞという決意と共に……!
◇
「なんだ未来……えらくやつれているな」
「え……そうか?」
「精も根も尽き果てたといった様子だが……大丈夫か?」
「まあ……大丈夫だと思うよ」
本当はあんまり大丈夫じゃないけど、腹とケツが死んでるとか女子に説明出来ねえからな。
「……すまん。ちょっと行ってくるわ」
「ん? ああ」
思ったら再び波が来た。
第二波だ。
俺は再びトイレへと旅立った。
大丈夫かなこれ。今晩おむつ無しで切り抜けられるのかしら。
◇
……昨日はあんまし眠れなかったな。
理由は単純明快。いつ来るかもわからないうんこの波動に怯え、気が休まる暇がなかったからだ。
何回くらいトイレ行ったんだろう……20回以上30回以下? 数えるのも億劫な数だった。それくらいに腹を壊していた。出し尽くして脱水症状一歩手前くらいになってたよ。そのくせ少しでも水分を摂ろうものならお腹にダイレクトアタックになって、もう地獄だったね。
「未来くん、大丈夫? なんだか顔色が悪いわよ?」
「……大丈夫」
電波にまで心配されてしまった。今の俺はそんなに顔が死んでいるのか。
「昨日からこうなんだ。理由を聞いても大丈夫と答えるだけで……まあ、本人が大丈夫と言うのなら大丈夫なんだろうよ」
「鹿倉衣さん……そうなの」
今現在腹の調子は小康状態を保ってはいるが……次にいつ波が来るかわかんねえからな。油断は出来ねえ。
そんな俺の決死の覚悟が表情を硬いモノにさせているのだろう。そう、今の俺は戦士なのだ。
「もししんどいなら無理しちゃダメよ? 保健室までついていってあげるから」
「大丈夫だ」
「本当にそれしか言わないのね……」
「本人が大丈夫だって言ってるんだし、放っておいてあげるのも優しさじゃない?」
誰にどうこうされて良くなるようなものでもない。七生が言う優しさ、それは今一番俺が欲しているモノだ。
今はただ、平穏に
「そうね……」
そろそろ授業が始まるということで、三人は自分の席に行った。
一人残された俺は真顔で正面の黒板を眺める。
「よーし出席を取るぞー」
先生が来た。ちょうど視線をやっていた黒板の位置に先生の顔がハマる。
「……ん? どうした倉井、そんなにジっと先生の顔を見つめて……ハッ、いかん、いかんぞ、教師と生徒なんて禁断の……! それにおまえには鈴木が居るじゃないか……!」
「大丈夫です」
「ふふっ」
七生が笑ってた。
◇
結局一度も便意は来ることなく昼休みを迎えた。
で、昼休みといえば当然昼飯を食う時間なわけだが……今の状態で腹に物を入れて大丈夫なんだろうか?
あまり刺激の強いものでなければ問題ないのだろうか……悩ましいところだ。ちなみに朝飯は抜いているから、結構お腹は減ってきている。
胃と腸に優しい食事……おかゆ?
いやでも、さすがにそんなもん出す店は無いだろう。薬膳料理は学食の領分を越えている。
「未来くん、ご飯食べに行かない?」
飯のことを考えていると、電波が俺を飯に誘いにきた。
「飯か……」
「まだ調子悪いの?」
心配そうに見上げてくる電波。……ダメだな、いつまでも彼女にこんな顔をさせていたら、彼氏失格だ。
「いや……行くか。なに食う?」
「カレーかなって気分なんだけど……どう?」
よりにもよってカレーかよ。っていうか電波カレーの気分の時多いなこいつ、どんだけ好きなんだよ。さすが黄色いだけのことはあるぜ。
でも残念、今の俺はカレーだけは絶対に無理な気分なのだ。
「悪い。カレー以外で頼む」
俺は電波の希望に沿えないことを悪いと思いつつ、代案を要求する。
「そう? それじゃあなににしようかしら……そうね、ラーメンなんてどう?」
「ラーメンか……」
カレーよりは良いかな。でも、
「うどんでもいいか?」
「うどん? いいわよ」
同じ麺類でも、ラーメンよりうどんの方が腹に優しい感じがする。些細な差かもしれないが……その少しが今の俺の生死を分かつのだ。
ともかく、俺は電波の賛同を得て立ち上がる。
言ってから思ったけどうどん屋あるよな? 電波がなにも言わないってことはあると思っていいんだよな。
「ルクルと七生は……居ない、か」
居れば誘おうと思ったが、居ないなら仕方ない。
今回は二人でだな。まあたまにはそれもいいだろう。
電波と二人、教室を出て食堂街へと歩く。
「あ、みらいちゃんだ!」
「ん?」
教室を出て、校舎を出たあたりで俺を呼ぶ声が聞こえた。
俺をみらいちゃんと呼ぶのは学園広しといえどただ一人……真露だ。
振り返ると、そこに居たのはやはり真露。……左手で南雲の手をガッチリと握っている。そして右隣には桃谷が。
南雲の表情―――あれは諦念だ。真露からは逃れられないという思いが感情を支配しているのだろう。そしてそれは正しい。この
「あれ? みらいちゃんもしかしてお腹痛い?」
「よくわかったな」
見ただけでそこまでわかるのか幼馴染……。
「え、やっぱり調子悪かったんじゃない」
「どうせなにを聞かれてもだいじょうぶーとか答えてたんでしょ?」
「なんでそこまでわかるんすかね」
おっぱいがデカいからか? そんな高性能なのかよその胸は。
「ふたりはどこに行くの? お昼ご飯?」
「ああ……俺らはうどん食いに行くんだけど、そっちは?」
「決めてないよー、でもうどんかあ、いいねー! わたしたちもうどんにしよっか、京ちゃん、モモちゃん」
「好きにしてくれ」
「構いませんわ」
南雲が投げやりに答え、桃谷も頷く。
「そーいえば、今日はルクルちゃんと七生ちゃんは? 一緒じゃないの?」
「気付いたら消えてた。薄情な奴等だよ」
まあなんの約束をしていたわけでも無いから薄情もクソもないんだが。
「じゃあ今日はこの五人でお昼ご飯だね! ん~……なんだかみらいちゃんと一緒にご飯食べるのずいぶん久しぶりな気がするな~」
「そうか? ……言われてみればそんな気もしてきたな」
最後に一緒に食ったのは……いつだっけ? あんま意識したことないからわかんねえな。
◇
さて、飲食店のテーブル席というのは大体が四人掛けである。
そして俺たちの人数は五人。必然、一人あぶれることとなる。
結果どうなるかというと―――。
「……」
そう。通路側に椅子を持ってきて一人はそこに座る、いわゆるお誕生日席になるのだ。
そして、その対象は通路の邪魔にならないよう一番小柄な人物となる場合が多い。
つまり、電波だ。
……と、普通ならなるはずなんだが、真露さんの強権が発動。
“せっかく恋人になったんだから一緒に座らないと!”とのありがた迷惑な必殺技により特別席は南雲のものへ。滅茶苦茶嫌そうな顔をしている。
「京ちゃん真っ白だからかざってあるお人形さんみたいでかわいいね~!」
「サイコパスな」
生きてる人間のコレクションとかな。
「うどんってちゅるちゅるしてるからいくらでも食べられちゃうよね~」
俺のツッコミを無視し、メニューを眺めながら真露が言う。
「おめーはなんだっていくらでも食うだろ」
「えへへ~」
続き、南雲の鋭いツッコミが入る。
真実、真露の腹はブラックホールだからな。
お……あさりうどんか。腹に優しそうだな、これにしよう。
「みんな注文は決まったか? 決まってんなら店員さん呼ぶけど」
「はーい!」
真露をはじめ、みんなの賛同を得て店員さんを呼び、各々注文する。
そして運ばれてきたあさりうどんの出汁を一口啜り……うめえ。染みる。二日酔いに良いとは聞いていたが、二日下痢にも効くんだな。
次いで麺をちゅるり。うまい、コシがある。さすがクラフトの学食に入るだけあって、このうどん屋もレベルが高い。
「おいしいね~」
真露の前におかれたどんぶりは二つ。かけうどんと冷かけを一口ずつ交互に食べていた。
「麺湯がく時間あるし注文しとかなくていいのか?」
「それじゃあ肉うどんとからあげうどんの注文おねがーい!」
「あいよ。……すんませーん!」
真露のかわりにおかわりを注文する。うどん四杯、真露からすれば前哨戦といったところか。
◇
「――――――」
「未来さん?」
―――その異変にいち早く気付いたのは桃谷だった。
流れ出る冷や汗。なにかを耐えるようにこわばった表情。
即ち―――
「すまん―――ちょっと外す」
食堂街のトイレの位置は事前に把握している。店を出てすぐだ
未来は立ち上がり、ケツ穴にキュッと力を入れ猛然とダッシュを決めた。
その姿はさながら、シラクスへと向かうメロスのようで。
「……? どうしたのでしょう、未来さん」
「きっとトイレだよ」
「飯中に汚ねーな」
……席を外す理由は告げなかったが、幼馴染はそんなことまでズバリ的中させたのだった。
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