第188話 ルクルのこんな姿見れる日が来るとは思ってなかったよ俺

「お……この匂い、今日はカレーかな」


 寮に入ると、スパイスの鮮烈な香りが鼻をついた。

 発生源はおそらく食堂で、今日の夕食はこれまたおそらくカレーだろう。

 スパイスを使った他の料理を俺が知らないだけというのもあるが……香りが満腹中枢を刺激する。元々減っていたけど、余計に腹が減ってきた。

 カレー嫌いな青少年とか存在しないからな。俺もそんな例に漏れず、当然好きだ。わざわざ弁当にして料理研究部に持って行くくらいだしね。今から楽しみだわ。

 でもまずは一旦部屋に帰ろう。スマホ充電したい。あと服が汚れまくってるからシャワー浴びて着替えたい。男所帯ならともかく、女子校のクラフトでこのまま飯食いに行くのはマナー違反だ。死刑にされてしまう。あいつ汚ねえなとか思われたら悲しいし。


「ただいまーっと」

「おかえり。……なんだ、えらく汚れているな」


 俺の姿を見たルクルが言った。


「テニス部でちょっとあってな。パパッとシャワー浴びて着替えるわ」


 スマホを充電器に繋ぎながら答える。

 めたくそに転げ回ったからな。ある程度は払ったけど、それでもまだ全身土だらけだ。早いとこ洗濯しないと。


「そうした方がいいだろうな。しかしテニスで普通、そうまで土塗れになるか……? どんなラフプレイをしたんだ」

「それに関してはノーコメントで」


 キンタマにダイレクトアタック食らってのたうち回ったとか説明したくねえ。思い出したくもねえ。

 ともかく俺は着替えとタオルを持ってシャワー室へ。パパッとシャワーを浴びて部屋に戻ると、ルクルが寝転びながら本を読んでいた。


「なに読んでんだ?」

「うしおととらだ。前に電波からおすすめされたトライガンが面白かったからな、次はなにがいいかと聞くとこれをおすすめされた」

「前も思ったけどあいつ本当に十代の女子か? 趣味渋すぎるだろ」


 30代か40代のおっさんの趣味だぞ両方とも。いや両方ともアツい漫画で面白いけどさ。


「ルクルは普段漫画あんまり読まないんだっけ?」

「そうさな。電波にすすめられるまでは子供の頃に知育としてまんが人物伝などを読んだくらいだ」

「へえ。まんが人物伝なら俺も昔読んでたわ。意外と面白いよな。……それがどういうきっかけでまた読み始めたんだ?」


 電波にすすめられて、とは言っているが、それにもきっかけというか話の流れがあるはずだ。さすがの電波もなにも聞かれていないのに突然トライガンを布教するようなヤツじゃあないだろう。そんなのは気が違っている。

 ……あの時はトライガンとラインバレルで迷った、みたいなことを言っていたけど、次にすすめたのはうしおととらか。ラインバレルはどこに行ったんだ。ハブられた作品ヤツの気持ちを考えろよ。


「私が中等部の頃文芸部だった話はしただろう? 読書は元々嫌いじゃないんだ。それで電波に話の流れでおすすめの本を聞いたらまずトライガンをすすめられたというわけだ。……私としては小説の類のつもりで聞いたんだがな」

「あー……電波普段漫画ばっか読んでる、みたいなこと言ってたもんな」


 そりゃあルクルの人選が悪いわ。


「まあ、結果として面白かったから良いんだが……そう伝えると“じゃあ次はこれね!”とうしおととらをすすめられたわけだ」

「なるほど。じゃあ仮面ライダーとか特撮はすすめられたりしてねえの? 電波ならそっちの方もやりそうだけど」

「されたぞ。だが映像作品は自分で見る速度を決められないからやめておいた。あとシリーズが多すぎる」

「まあ何十年と続いてるもんな」


 仮面ライダーは一度途切れはしたが、令和どころか平成、昭和と三つの年号を股に掛けた長寿番組だ。もしそれらを全て網羅しようとするととてつもない時間がかかってしまうし、映画とかも併せると観る順番やらなんやらで非情にややこしいシリーズだ。とても生半可な気持ちで手を出せるものではない。


「そんなに長いのか。やめておいて正解だったな」

「まあでも、おすすめされたからって普段読まない漫画を読むのってルクルも付き合いいいよな」

「自分からおすすめを聞いた手前、な」


 まあそういう会話したんだったら“どうだった?”とあとから聞かれた時に読んでねえとは答えづらいもんな。電波にはそうさせるところがある。


「じゃあ次はからくりサーカスだな」

「それは電波にも言われたな」


 さすがだぜ電波。というか図書室にあるのかな。まあタフなんて置いてあるくらいだから有るか。うしおととらを置いてからくりサーカスを置かないというのも考えにくいし、そもそもクラフトの図書室は並の漫画喫茶より品揃え良いから、置いてない漫画を捜す方が大変かもしれない。


「……さて。読書はこれくらいにして、そろそろ夕飯の時間か」

「匂い的に今日はたぶんカレーだぜ」

「カレーか。悪くない」

「そういや前に七生と電波とカレー食いに行ってたよな。俺が行けなかった時」

「そうだな。あの時は電波のリクエストだったが……」


 電波が激辛カレーにノックアウトされた時な。


「七生は辛いの得意だって言ってたけど、ルクルは辛いのどうなんだ?」


 七生は電波のと交換して一番辛いのを平気な顔して食ってた、みたいなこと言ってたもんな。でもルクルはどうなんだろう? 辛い物を食べてヒーヒー言ってる姿は想像出来ない。いつも通り涼しい顔をしていそうなもんだが。


「人並だ。まあ寮の食事だからな、そんなに度を越して辛いのは出ないさ」

「知ってるか? 世間じゃそういうのをフラグって言うんだぞ」

「ドラマや映画じゃないんだ、そんなことはそうそう起きないさ」



「真っ赤じゃん」


 目の前のカレーは辛苦、いや深紅色をしていた。

 どこまでも赤く、赫い。

 唐辛子か、唐辛子の色なのか。

 いやどんだけ辛いんだよ、これ。


「なんかずっと見てたら目え痛くなってきたんだけど」

「気化したカプサイシンの影響だな」

「そんなんぜってえ辛いじゃん」

「だろうな」

「えー皆さん、カレーの赤さに驚いているでしょうが、一口食べるごとに横に置いてある特製ラッシーを口に含んでください。それで辛さが消えます。……それでは、いただきます!」


 マジかよ。試してみよう。怖いけど。

 一口食―――って


「辛えええええええええええええええ!!」


 漫画だったら口から火が出るであろう辛さ。そいつは痛みと言い換えても良い刺激だ。

 ヤバイ。ラッシーだラッシー、速く飲まないと死んでしまう。この痛みを速やかに浄化しなければ。

 本当にこんなもんが効くのかという疑問を飲み込んで手を伸ばし、藁にも縋る思いで素早く一口ラッシーを口に含む。瞬間―――。


「辛さが消えた……だと……!?」

「ふっふっふ」


 俺たちの反応を見たさっきの人がドヤ顔してる。


「そしてなんとなんと、今日はおかわりもあります! ……発注ミスったスパイスを全部使わないといけなかったんでとんでもない量の。食べきれるのかなこれ」


 おお! 寮食でおかわり有りとは珍しい! ……というか初じゃないか!?

 後半は小さすぎてなんて言っていたのか聴こえなかったが……まあいいだろう。

 辛いがうまい。ラッシーもうまい。辛さと甘さのコントラスト、食い進める手が止まらない。


「すんません、おかわりで!」


 さっそく一皿目を食い終えた俺は、誰よりも早くおかわりをする。


「あいよ! おかわり一丁!」

「うめ、うめ、うめ」


 うめえ。今日はテニスして身体を動かしたからな。空腹もひとしおだ。スパイスが空きっ腹に染みやがるぜ。


「今までの人生で一番辛いわこのカレー。でも激辛好きな七生としてはこれくらいでもまだ物足りなかったりすんのか?」


 俺からすると額の朝が止まらないくらい辛いんだが。ラッシー無かったら一口でギブアップするくらい。


「ちょうど良い辛さね」

「人間じゃねえよ」

「酷い言われようね」

「だってこんなに辛いんだぜ。なあルクル―――ルクル?」

「―――かりゃい。かりゃすぎる」


 真顔のルクル、浮かぶ脂汗。ついでに辛さで舌が死んでいるせいか発音が終わっていた。


「しゅまんみりゃい、うごけん。ラッシーだ、ラッシーのおかわりをとってきてくりぇ」

「お、おお、貰ってきてやるよ」


 死んでいるルクルの代わりにラッシーのおかわりを貰いに行く。


「ほら」

「すみゃん。……ふう、落ち着いた」

「いやすげえなラッシー効果」


 一瞬で治ったぞ。


「敗因は最初の一口の後、ラッシーを飲み過ぎたことだな。配分を見誤った」

「一気に呷ってたもんな」


 まあ気持ちはわかる。このカレーはそれくらい辛かった。

 ただ辛いだけではなくその中にもうまさがあるのが救いだが……だからといって辛いことに変わりはない。

 ……でも配分をミスったのが自覚出来ているならその段階でラッシーをおかわりすればよかったのでは? とは言わないでおいてやろう。


「というか叫ぶほど辛いと感じているのにおかわりをするとは……貴様やはりマゾでは?」

「ラッシー取って来てやったヤツに向かってその言い様はどうなんすかね」


 ちなみにおかわりしたのは俺だけじゃなくて結構な数の人がしていたと付け加えておく。

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