第187話 バタ子さん

「くゥゥ……アッ、ハッ……!」


 痛い。痛すぎる。

 俺の意識は今、99%がキンタマに持っていかれていた。

 俗に言う、下半身に思考が支配されている状態だ。


「倉井くんごめん!! 大丈夫!?」


 視界の隅に料理部員Aがネットを乗り越えるのが見えた。だが気にしている余裕は無い。痛みだ。痛みが今の俺の全てだ。


「ッ……あッ、はぁ―――」


 キンタマとテニスボールがアンパンマンの頭のように入れ替わったかの如き痛み。それはバタ子さんの投擲に匹敵する威力。耐えられん。男である以上、この痛みに抗う術は無い。


「こいつは相当ヤバそうだね……鈴木さん、どこ当たったかわかる?」

「えっ」

「この痛がり様、ただごとじゃないよ……きっと当たりどころが悪かったんだ。頭に当たったようは見えなかったけど……」

「えっと、その」

「うん」

「きん、たまだって……」

「きんたま―――なぬ? きんたま?」

「う、うん」

「そっか、きんたまか~……痛いとは聞くけど、こんなになるほどなんだ……」

「ど、どうすればいいかしら」

「患部をさするか冷やすとか……?」

「さすっ……きんたまを!?」

「それはっ……絶対止めてくれ……ッ!」

「あ、喋れるんだ」

「少しッ……回復した……! だからさするのだけは絶対止めてくれ……!」


 どんな羞恥プレイだよ……ッ。あと今触られたらどんだけソフトタッチでも死ねる……!


「もう少しだけこのまま、転がったまま放置してくれりゃ治るから……」


 俺は服が汚れるのも構わず地面をローリング。身体を丸めて痛みに耐え、なんとか言葉を絞り出す。


「ほ、本当に? 本当になにもしなくていいの?」

「いいか電波、人にはな、なにもしないのが最善手っていうことだってあるんだ……!」


 そして今がその時だ……ッ。



「ふぅー……、はぁ、っと。復活だ」

「も、もう大丈夫なの?」

「おう。なんとかな」


 まだ股間に違和感はあるが、こうして立ち上がって普通に話せる程度には回復した。

 これ以上は“耐える”という認識を持つ時点で回復が見込めない。キンタマを意識の外に置き、忘れる他無い。


「よかった……みんな心配してたのよ?」

「悪い、心配かけたな」

「なんかごめんね、私が変なサーブ打っちゃったから」

「いや……変に前に出すぎた俺の落ち度だから気にしないでくれ。それよりもプレイを中断させて悪かったな」

「それはいいんだけどさ……中断ってことはまさかまだやるの?」

「……おう。やられっぱなしで終わるのは性に合わん。せめて1ゲームくらい取ってやるぜ」

「や、止めといた方がいいんじゃないのかしら? さっきまであんなに痛がっていたのよ?」

「大丈夫だ。俺は我慢強いからな」

「我慢してる時点で大丈夫じゃないと思うのだけれど……」

「細けえことはいいんだよ」


 それよりも1ポイントも奪えずに終わる方が男として問題だ。


「……それじゃあ30-0サーティー・ラブから続きだね。手加減はしないよ」

「上等だ」


 そうして俺達はゲームを再開した。

 さあ、反撃の開始だ―――!



「ちくしょう……結局1ゲームも取れなかったか」


 しばらく経って、6ゲーム、つまり1セットを終えた。

 キリが良いところなので、勝負はこれでおしまいだ。

相手のミスもあり、40-40デュースとか惜しいところまではいけたんだが……決定打に欠けた俺達は1ゲームも取ること無く。


「ごめんなさい、役に立たなくて……」


 電波がしょんぼりしていた。


「言うなって。電波だけのせいじゃないだろ。俺だってほとんど点取れなかったんだし」

「あははー、なんか大人げなかったかな? でも手を抜く方が違う雰囲気だったからさ」

「いや、全力でやってもらってありがたかったよ。点はあんま取れなかったけど楽しかったし。……つうか運動音痴だっつってた割にバチクソ上手えじゃねえかよ」


 ツイストサーブとか明らか上級者の技だろ。他にもテニスの王子様で見たようなショット打って来たし、俺が読者だと知ってのファンサービスか?


「まあさすがに三年もやってれば身につくよ〜。実際他のスポーツはからっきしだしね~」

「卓球とかバトミントンとかは感覚近そうだけど、それもダメなのか?」


 この三つは片手でラケットを扱う球技という共通点があるが。


「うん。テニス以外はほんとからっきし。ダメダメだよ」

「まあでも、一個得意なモンがありゃあ充分だろ。料理もうまいし」

「あはは。倉井くんってほんとに食べるの好きだよね~」

「おう。おかげで学園に来てから太っちまったよ」

「ここのご飯、おいしいからね~」

「そうなんだよな。学食もそうだけど寮の飯もうまいし」

「うんうん。わかるよ~、体重管理が大変だ。でも今日はちょうどいい運動になったんじゃない?」

「おう。なったなった。また相手頼むわ」

「いつでも来て良いよ~。あ、もちろん料理部の方もね!」

「おう。そっちもまたお邪魔させてもらうよ。……っと、そろそろ行くか、電波」


 最後に、参加させてくれた最初に話しかけた人にも挨拶しておこう。

 どこに……っと、いたいた。


「すんません。俺達そろそろ行きます。今日は参加させてもらってありがとうございました」

「ありがとうございました」


 ゲーム中に声を掛けるのはマナー違反とかテニスの王子様で見た記憶があるので、プレイが中断したところで声を掛ける。


「ん? もういいの?」

「はい。充分堪能しましたんで」

「そっか。またいつでも遊びに来るといいよ。お疲れ様」

「お疲れ様っす」

「おつかれさまでした」



「楽しかったな、テニス」

「ええ。たまには運動もいいものね」

「また今度適当な部活に遊びに行って混ぜてもらおうぜ」


 この学園は様々な部活がある。全部周る気でいけば相当な期間がかかるだろう。少なくとも退屈はしないで済みそうだ。

 最初はなんでもやる部ってなんだよ……と思ったけど、そう考えると結構良いのかもしれない。この学園ならではの部分を余すことなく楽しめるから。


「そうね。だって“なんでもやる部”だものね。色々な部活に挑戦してみるのもいいわね」


 電波も似たようなことを考えていたようで、俺の考えに賛同してくれる。

 テニスコートを後にした俺達は、寮への帰り道を二人で歩く。

 そしてちょうど分かれ道に差し掛かったところで、電波が俺の服の袖を引いた。


「……ね、もうちょっと一緒にいたい」


 ―――なんという破壊力だ。

 一瞬頭の中が真っ白になったぞ。

 これが“今夜は帰りたくない”と言われた時の気持ちか……!

 部屋……はルクルが居る。二人きりになれる場所……学園にそんな場所あるのか?


「……中庭のベンチにでも行くか」


 この時間帯なら、あそこに人はほとんど居ないだろう。


「……うん」


 そうして俺達は踵を返し、校舎に向かった。

 みんな部活なんかで出払っているんだろう、放課後の校舎に人影は無く。

 窓から差し込む茜色の日差しが、余計に寂しさを加速させ。

 ……そんな無人の校舎を抜け、俺達は中庭へ。

 あの時ルクルと座ったベンチに、今度は電波と二人っきりで。

 どうしよう。なんか気の利いたことでも言った方がいいのか。

 でもなんて。なんも思い浮かばないぞ。

 俺だけでなく電波も無言で、他に人の居ない中庭は静寂に支配され。

 だけどそれが居心地悪いかと言われればまた別で。


「……ん」


 脇腹にかかる重さ。

 横を見ると、電波が座ったまま眠っていた。

 もたれ掛かってきていて、頭がちょうど俺の脇腹に当たっているみたいだ。

 テニスで疲れたもんな。眠くなっちまったのか。

 起こすのもかわいそうだし……しばらくこのままにしておいてやろう。

 それからしばらくの間、電波の心地よい重さを感じながら俺は時間を過ごした。

 ……でもそれもそろそろ終わりかな。夕食の時間が近い。

 なんか俺の行動基準って飯の時間が大半な気いするけど……まあいいか。腸は第二の脳なんて言われるくらいなんだ、思考が飯に支配されることになんの不思議も無い。


「電波、そろそろいい時間だから起きろ」


 頭を撫でながら言う。


「んにゃ……んえ?」

「おはよう。良い寝っぷりだったぜ」


 電波が目を覚ました。眠り姫のお目覚めだ。


「……わたし、寝てた?」

「そらもう完全に。可愛い寝顔だったぜ」


 すーやすやだったわ。


「じゃああれは……夢?」


 夢?


「どんな夢を見てたんだ?」

「鹿倉衣さんがクウガに変身して、プロテインを飲みながらキタキタ踊りをしていたわ」

「えっなんですのそれは」

「仮面ライダーと魔法陣グルグルよ」

「いやそれは知ってるけどよ。意味不明過ぎるだろ」

「夢ってそういうものじゃない?」

「そうだけどよ。いやそれにしたって限度があるだろ」

「そんなことわたしに言われても……見ちゃったものは仕方ないじゃない」

「まあ……そうだな。夢に文句言っても仕方ないよな」

「でも、どうせ見るなら未来くんの夢がよかったな」

「……」


 こいつ……そんな恥ずいことをよくシラフで言えるな。俺の方が面食らっちまったぞ。まだ頭寝ぼけているんじゃないのか。


「どうかしたの?」

「いや……なんでもない。それより帰ろうぜ」

「そうね。……ごめんなさい、結構寝ちゃってたのね、わたし」

「気にすんなよ。それだけ俺を信頼してくれてるってことだろ」


 無防備な寝顔をさらすということは、そういうことだと思っていいだろう。

 これが自惚れじゃなかったらいいな……。

 ともかく再び寮への帰り道。電波と別れ、俺は手芸館へ。

 ……そういえば電波達の寮ってなんて名前なんだろう。手芸館みたいになんか名前付いてんのかな。今度聞いてみよう。

 それはさておき、今は飯だ飯。今日の夕飯はなにかなっと。

 俺は腹を撫でながら、手芸館の扉を開いた。

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