第190話 性癖

「おかえり~、みらいちゃん」

「おう……ただいま」


 長きにわたる闘いの儀トイレを終えた俺は、うどん屋に不死鳥の如く舞い戻った。真露達は食べ終わっているみたいだったが、どうやら俺を待っていてくれたらしい。どっかの誰かルクルと七生と違って義理堅い連中よ……とかなんとかくだらないことを考えて気を紛らわせつつ。


「元気ないねえ。おなか大丈夫?」


 俺が席を外した理由が腹痛だと確信しているらしい真露。さすが幼馴染。ちなみにだが、そんな真露とは対照的に南雲は心底興味無さそうに頬杖をついていた。


「いや……大丈夫じゃねえわ。ちょっと保健室行ってくる。みんなせっかく待っててくれたのに悪いな」


 押さずとも出るような激烈な痛みは無いが、腸を捻られているような鈍い痛みが続いている。いつ治るかもわかんねえこれを耐え続けるのは正直しんどいので、俺は保健室へ薬を貰いに行くことにした。


「あ、わたしも行くわ!」


 と電波が声をあげる。着いて来てくれるらしい。さすがは我が彼女。一人より二人、旅は道連れ世は情けよ。


「ん、そっか。いってらっしゃーい! 電波ちゃん、みらいちゃんのことよろしくね!」

「……まかされたわ!」


 真露たちと別れ、俺と電波は保健室へ。

 宝条先生いるかな……昼休みで離れてるとかじゃなければいいんだけど。


「失礼しゃす」

「失礼します」


 ノックして保健室に入ると、宝条先生は部屋の最奥で机に向かっていた。

 俺達の入室に気付いた宝条先生は椅子をくるりと回転させる。そんな姿もドラマの中のお医者様みたいでサマになっていた。


「おや倉井くん。……またかい、というのはあまりよくないかな」

「そう言われるくらい来てるのは否定できないんで、気にしてないっす」


 入学してから二週間くらいしか経ってねえのにもう何回来てるかもわかんねえからな。立派な常連さんだ。

 本来であれば保健室の常連なんざ不名誉極まりない称号なのだが、そこはそれ、宝条先生と親しくなれたのでプラスに考えよう。


「そうかい、それはよかったよ。……それで今日はどんな用だい? それともきみではなく、鈴木くんかな?」


 俺と電波を見比べて先生が言う。


「俺で合ってますよ。……昨日辛いモン食い過ぎて激烈に腹とかケツが痛いんすけど、胃薬的なモノ無いっすかね」

「胃薬か。辛い物、特に時間が経ってからだとあまり効果が無いのだけど……それでもいいかい? お尻の方は……ふふっ、そっちは我慢してもらうしかないかな」


 まあケツ穴に効く薬とか聞いたことねえからな。仮に有るとすれば座薬か? ……入れたくねー。


「気休めになりゃあいいんで、お願いします」

「わかった。ちょっと待ってて」


 立ち上がり、薬を置いてある棚をガサゴソとあさる宝条先生。お目当ての薬は簡単に見つかったらしく、すぐにこちらに向き直る。


「とりあえず整腸剤を二日分出しておくから、食後に2錠ずつ飲むように。……今だとお昼ご飯を食べて来たところかな? 水を用意しよう」

「あざっす」


 薬と水を受け取って、俺は渡された薬をさっそく飲んだ。


「……ん?」


 ふと見ると、電波が俺の腹に手を当てていた。


「なんだ? どうした?」


 俺の腹筋の凹凸が恋しくなった……なんてわけは無いよな。


「こうすればちょっとはマシになるかなって……」

「あんがとよ。でも効果あんのか?」


 気持ちは嬉しいけどさ。小さい頃とか腹壊したらおふくろにさすられてたし。

 でもそんなものは子供にだけ通じるまやかしみたいなもんじゃないのか? 文字通り気休め的な。


「有るよ。医学的にも」

「マジすか」


 宝条先生が言うんだからマジなんだろうな。

 先生のお墨付きを頂いた電波が俺のお腹を、今度はさする。

 ううむ……なんだか本当に効いてきた気がするぞ。

 ともかく薬をもらうという用事は終わった。昼休みの時間は有限だ、そろそろ教室に帰ろう。

 俺と電波は改めて先生に礼を言って、保健室を後にした。


「辛いものを食べ過ぎたって、そっちの寮は夕ご飯なんだったの?」

「カレーだよ、真っ赤だったわ」

「だから今日のお昼はカレーを嫌がったのね」

「そうそう。甘口でも食うの無理、しばらく見たくもねえや」

「重症ね……」


 重症も重症。この苦しみは味わった者にしかわかるまいよ。


「そっちの寮はなんだったんだ? 飯」

「油淋鶏よ。おいしかったわ」

「良いな。俺も好きだわ油淋鶏」


 中華は基本なんでもうまいが、油淋鶏はその中でも結構上位に入る。酢豚とかと同じで米と合うからな。


「……なにかわたしにできることはない?」

「ん……」


 というと、腹痛に対して、か。


「その気持ちだけで充分だよ」


 いくら効果があるとはいえ、この歳にもなって腹をさすられるのは気恥ずかしい。そんな羞恥プレイ、さっきの一回だけで充分だ。


「そう……」


 どことなく残念そうな電波。しかしどうしようもない。もうすぐ教室に着いてしまうのだし。

 ……さっきの一回だけで、充分なんだが。


「……電波。最後にもっかい腹さすってくれ」

「! え、ええ!」


 さすさすと腹をさすられる。服越しに感じる手のひらの温かさは、やはり腹痛をマシにしてくれる感じがした。



「朝よりはずいぶんマシな顔になったな」


 教室に帰った俺の顔を見てルクルが言う。そういう自覚はあったが、他人から見てもマシになっているらしい。


「まあな」


 薬と電波効果だ。



「なんだ? その薬は」


 夕飯を食べ終え部屋に帰る。

 食堂で飲むのはいやらしいかな、と思い部屋に帰ってから整腸剤を飲もうとする俺に、ルクルがめざとく指摘した。


「整腸剤」

「なんだ、腹でも下したか」

「……昨日のカレー食ってから、な」

「ああ、なるほど。……あんな辛いものを五杯も食べるからだ。自業自得だな」

「言わんでくれ。わかってるから」


 文字通り痛いほど身に染みている。刻み込まれたと言っても過言ではないほどに。

 それはそうと、“ああ、なるほど”って区切るところを変えたらアナルくんになるよな。こんなん口にしたら軽蔑されるだろうからお口チャックマンだけど。


「そうか。昨日せわしなく部屋を出入りしていたのはそれか。部屋のトイレを使えばいいと言っているのに、変に気を回すからだぞ」

「俺にも越えられない一線ってのがあるんだよ」

「わからんな、男というものは」


 わからなくて結構。まあルクルの入った後のトイレなら喜んで入る男が大多数な気もするが……俺はそんな変態紳士じゃないからな。


「……トイレで思い出した。いつぞや話題になったおまえの友人―――アナルくんの語源はなんなんだ? そう呼ばれるに至った経緯を教えてくれ」

「綺麗な顔で汚い言葉使うのやめようね」

「もちろん私も衆人環視の中でこんな言葉を口にすることはしないさ。だがここには私たち二人しかいないんだ、いいじゃないか」

「近いって……なんでそんなんが気になるんだよ」

「人がそのような蔑称で呼ばれるに足りる理由に興味がある」

「蔑称じゃねえぞ」

「―――む?」

「―――アナルくんは、決して蔑称なんかじゃない」


 社会的に見て不名誉なあだ名ではあるが、そこに蔑む意思は介入していない。



 ある夏の日のこと。

 その日は給食に珍しくデザートが付く日でさ、みんなそれを楽しみにしてたんだ。

 もちろん一人一個なんだが―――その禁を破ったヤツが居た。

 そう、それがのちにアナルくんと呼称されるようになる存在だ。


「そのナレーションみたいな話し方は必要なのか?」


 人がせっかく語ってんだから水を刺すなよ。聞きたいんだろ?


「む……そうか。わかった、静聴するとしよう」


 よし。……配膳の段階でそれは起こった。デザートが一つ足りなかったんだ。


「どういうこった? 最初から無かったのか?」

「いや、最初見た時は多分あったぞ」

「じゃあ―――誰かが盗み食いをした?」


 にわかにわざめく教室。下手人は誰だ、と誰も彼もが疑心暗鬼になる。

 当然犯人捜しが行われ、挙げられた容疑者は四名。

 アナルくんもその中の一人だ。

 アリバイ、動機、様々な角度から調査は行われ―――結果、下手人はアナルくんだと確定した。

 こんな感じで、アナルくん……ああ、本名西川輝明にしかわ てるあきっていうんだが―――あいつは他人の給食に手を出さないという協定を破ったんだ。これは大喰らいの真露でさえ守っている協定でな、破ると公刑に処される、というヤツなんだ。

 公刑ってのは私刑の対義語として俺達が作った造語でな。被疑者は裁判を経ずに詫びヌードかスマホの画像フォルダをクラス中に公開することになるっていう非常に重い罪なんだが―――盗み食いがバレた時、まあ色々とすったもんだあったんだが、最終的に開き直ったあいつはスマホを高く掲げると、


「これが―――これが俺の生き様だ!」


 そう言って、まるで聖剣を地面に突き刺すように画像フォルダを開いたスマホを教卓に叩き付けたんだ。

 その画面には、和洋、二次三次を問わずアナル物のエロ画像が詰まっていた。

 その姿はどことなく誇らしげで、彼が自分の性癖をオープンにする機会を伺っていたのでは、と思わせるに充分だった。

 それが、あの男がアナルくんと呼ばれるに至った理由だ。


「わかったぞ。つまり貴様らは馬鹿だな?」

「褒めんなよ」



「まあわかった。アナルくんはその歪んだ性癖ゆえアナルくんとなったわけだ。で―――それならばおまえのスマホにはいったいどんな画像が眠っているのかな?」

「んなもん言うわけないだろ」


 国家秘密にも相当するトップシークレットだぞ。


「所持していること自体は否定しないわけだな」

「……まあ、俺も年頃の男だからな」


 エロ画像の千枚や二千枚スマホの中に有って当然だ。むしろ無い方がおかしい。不能かって話だ。


「見せられないとなると、相当えげつない性癖をしているということになるが……それでもいいのか?」


 なん、だと……?


「アナルくんよりもえげつない性癖となると私には想像もつかないが……そういうことだな」

「ちょっとまてロック解除するから」


 そんな方面で納得しないでくれ。


「……ニヤリ」

「―――ハッ」


 ルクルが不敵に笑う。


「どうした? 見せてくれるんじゃないのか?」

「危うく乗せられるとこだったけど、見せねえよ」


 なにが悲しくて女子相手に性癖をオープンにせにゃならんのか。

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