第76話 俺の酒が飲めないってのか?
料理部の会合を終えた俺は、去り際に副部長から“次は蒼歌が居る時ね!”と日取りは未定ながらも次の約束を取り付けられ部室を後にした。
行く前も行ってからも色々とあったが、結果的に行ってよかったと思う。皆の弁当はうまかったし、好意的だったから雰囲気も終始―――とは言えないが、始まりはともかく後半は和やかだったし。
次は野上先輩の弁当も楽しみだ。あの人の腕は寮食で知っているからなんの不安もないからな。
あとは……ああ、次もカレーっていうのは芸がないから、俺も今の内からなにを作っていくのかを考えておいた方がよさそうだ。
カレーも奇をてらったわけじゃないが、次は多少手間でも普通なものを作って行こう。
「……まあ、なんだかんだカレーが好評だったのはよかったな。ちょっと濃いとは言われたが」
かなり煮詰めたし、そもそも水の分量を規定よりかなり少なく入れていた。
書いてある通りに入れると水っぽくなってしまうと聞いたのと、俺が濃いめの味付けを求めていたという二つが理由だ。
俺はあれくらいでちょうどいいし、なんならもっと濃くても食えるんだが、女子には少々濃かったらしい。
次は女子に食べてもらうことを前提に、そこらへんも考えて献立を決めないとな。
「しかし……食い過ぎたな……」
カレーは飲み物―――なんてトチ狂ったことを言うつもりはないが、今日の俺は汁気のあるものと一緒に食べることを前提として米を大目に炊いてしまっていた。
そんな中行われたあのオカズ交換よ。確かにカレーは半分近く持っていかれたが、それと同じくらいのリターンがあった。
そりゃあ多少は覚悟していたけどさ、まさか全員来るとか予想できねえじゃん。
総重量的にはそんなに変わらないのかもしれないが、固形物か否かというのは腹の溜まり具合に大差があるわけで。
かと言って食べ物を、ましてや人様から頂いたものを残すなんてのは俺の主義に反するからな、ちゃんとおいしくご馳走になったよ。
あとは食い合わせの問題もあるかもしれない。鯖味噌とリンゴあたりに体力ゲージ的なものを一気に持って行かれた感じがする。
まあ、そんな感じで腹が超苦しいというわけだ。
普段の俺は無神論者だけど、今だけは八百万の神全ての信奉者と化していた。
……そういや腹が痛い時神様に祈るのって男だけなのかな。
今なら小学生のワンパンで落ちる自信があるわ。
なんてことを考えつつの帰り道。重い腹をさすり、背中を丸めながら歩いていると、この学園で一番見慣れた後ろ姿を発見した。
「……お、ルクル達だ」
隣には電波と七生も居る。
そういえば昨日、三人で昼飯を食べに行くと言っていたな。
俺も誘われたけど、料理部の集まりがあるってんで断ったんだ。
この方向に歩いているということは、あいつらも食べ終わった帰りだろうか。
正直小走りでも腹を揺らすのはNGなので追いかけるのはナシだ、死ぬ。
向こうは俺に気付いていないけど、見てしまった以上無視するのも主義に反するというかなんというか。なら声をかけるか。
「おーいルクルぅっ」
やべえ大声出すと超腹にクる。
横隔膜的な部分が揺れたせいで胃が気持ち悪い。気を抜くとリバースしてしまいそうだ。
でも決死行の甲斐あってか声は届いたらしく、足を止めたルクルがこちらに振り返って、二人もそれに続く。
「……
止まってくれている内にのたのたと近づいて行くと、俺の顔を近くで見たルクルは開口一番そう言った。
「わかる?」
「そんな顔をしていればな……で、どうした?」
「特に用はないんだけどな、飯食って帰ってきたら皆が見えたから。三人も今帰りか?」
「そうだ」
「つーか電波はなんでそんなおもしろい顔してんだ? 俺以上に死んでるぞ」
眼とか半分しか開いていないし、体力ゲージがあればミリ単位でしか残っていなさそうなくらい瀕死状態に見える。あと毒やスタンとかの状態異常もおまけで付いていそう。
つまり、だいぶヤバそう。
ああ、どっかで見たことあるなと思ったら野球中継とかパワプロでピッチャーが炎上した時に見せる顔だわこれ。
……いやほんとに大丈夫か?
「電波の希望でカレーを食べに行っていてな。止めておけばいいのに、店で一番辛いのを注文したんだ」
俺を無言で見上げる電波から視線を移すと、なにがあったんだ? と聞く前にルクルが先回りして答えてくれた。
まあこの状況、次に出る言葉は十中八九その問いだからな。
「なるほどなあ……」
「一応、私達も止めはしたんだぞ? だが“大丈夫よ!”と言って聞かなくてな……」
「……で、黙ったままなのはまさか口が痛くて喋れないってか?」
首を振って肯定する電波。
「ああ……見るからに辛いのダメそうだもんな」
いわゆる子供舌ってやつだ。
「―――!?」
いやちょっと待てなんでおまえがショック受けてんだよ、誰が見たって辛いの無理だろ。自己評価おかしいんじゃないのか?
というかルクル達もカレーを食っていたのか。
あー……電波、昨日食いたい物はあるかって聞いた時にもカレーって言ってたもんな。その発言のせいで俺も今日カレーを作っていく羽目になったんだが、言い出しっぺのこいつもそうなったのか。
言霊ってほどじゃないが、口に出すとそれの気分になるってのはマジであるからな。
で、それに二人が付き合ったカタチと。
……なんだかんだ言って付き合いいいよな、こいつら。
前の中華料理の時だって誰も俺を責めなかったし、ルクルなんてゼクスに呼び出された時は夜遅くにも関わらず付き合ってくれた。
「ちなみに、この子一口でダウンしたから残りは私が食べたわ」
同い年の電波に対する“この子”呼びは突っ込んだら負けだろうか。実際電波と七生が並ぶと髪の色が似ているのもあって年の離れた姉妹にしか見えないし。
七生が大人びているのもあるが、それ以上に電波が子供っぽい。
身長の差なんて頭一つ分で済めばいいねくらいの違いがある。
七生は俺とそう変わらないくらいタッパがあるからな……舞子さんよりちょっと高いくらいか。
「おお……ってことは七生は辛いの平気なのか?」
中華が好物とも言っていたし、辛い物を食べ慣れていて耐性があるのか。
あと中華とカレーはどちらもよく唐辛子を使うから、辛さの系統が似ているのもあるんだろう。
「そうね、少なくともあの程度の辛さならなんともないわ。それに学食よ? いくら辛いメニューって言っても限度があるわよ」
あー……確かに。調子に乗って一番辛いのを頼むヤツってのは絶対に出て来るからな。男子校や共学に比べると数は少ないだろうがゼロにはならないと思うし、そういう生徒が出て来るのを見越してテレビに出るように異常なレベルの辛さではなく常識的な辛さの範疇に収めていると。
度を越した辛さは痛みと言い換えることができるもので、しかも尾を引く。昼休みにそんなことになってしまえば午後の授業が大惨事だ。
あとはクラフトほどのお嬢様学校にそんなのは居ないと思うが、最近はモンペとかいって問題になる保護者も多いらしいからな。学食ひとつとってもそこまで気を回さないといけないなんて頭の下がる話だ。
「なるほどな。で、七生が電波の分を食ってやったんなら電波はなにを食ったんだ?」
「あたしの頼んだヤツよ。交換したの」
「まあそうなるか。でも七生の頼んだヤツってなら、そっちも辛いんじゃないのか?」
話の流れ的に七生は辛党っぽいし、そんな感じがするんだが。
「あのねえ……いくら辛いのが好きだからって、年がら年中辛いのものを食べているわけじゃないわよ」
呆れたように言われてしまった。
正論だ。ぐうの音も出ない。
俺もピルクルを愛してやまないが、それしか飲まないってわけじゃないからな。お茶や力水だって飲む。
「……まあ、どっちかって言うと辛い方のメニューだったけど、だからって電波が頼んだものほど辛くはないわ」
「どうやら舌が麻痺して最初に食べた物以下の辛さなら感じなくなったらしくてな」
「それのどこらへんが大丈夫なんだ?」
大惨事としか思えないが。
痛いとか痺れるとかなら理解できるが、味を感じなくなるとか相当ヤバイだろ。
そう言われて電波の顔をよく見てみると、口元が赤く腫れているような気がしてきた。
一口でこうなるってことは相当辛かったんだろう。そんなものが平気な七生も凄いが……こいつマジで大丈夫なのか。
「そういう時は牛乳を飲んだりアイスクリームを舐めるのがいいってなんかで見たことあるぞ。だからこれをやろう」
はい、と電波にピルクルを一本渡す。
実は部室棟の近くにもコンビニが在ったので、帰り道に寄っていたのだ。
「この前私にもくれたやつだな……効くのか?」
「同じ乳製品だし多分効くだろ」
それにこいつは飲み過ぎない限り腸にもいいんだ。
辛い物でダメージを受けるのはなにも舌だけじゃない。前述した腸はもちろん、食道や胃、名前を言ってはいけない終着駅など通り道全てをケアする必要がある。
となれば
「前あたしが店員の時にも買ってたわね、それ」
「なんだ……ははっ、二人も欲しいのか? でも悪いな、あと一本しか手持ちがねえんだ、今度にしてくれ」
同好の士が増えるのなら一本や二本気持ちよく奢ってやるくらいの甲斐性はある。
しかし今はダメだ。金はあるが手持ちのピルクルがあと一本しかない。今から二人の分をダッシュで買いに行ったとしても次の授業に間に合わん。
「いや要らないが……」
「は?」
くいくいっと袖を引かれる感触。いや、そんなことよりルクルの野郎―――今なんつった?
「俺のピルクルが飲めないってのか?」
「ええ……どっちよめんどくさいわねあんた……」
「
電波もなんか言ってるけど、なんつってんのか全然わかんなかった。
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