第75話 インド人もびっくり

 せめて誘いに来た時に言っておいてくれれば―――いや、それだと俺が逃げるとでも判断されたんだろうか。

 ……実際それで来るのを止めるなんてことはないだろうけど、渋るというか行く前から目に見えてテンションが下がってしまう可能性は大いにある。だから強くは否定できないかもしれない。

 こういうのも知らぬが仏って言っていいのか……? と、隣に座る料理部員Aを覗き見ると、俺を慰めた手は膝元で遊び、顔はいわゆる明後日の方向を向いていた。

 いやわかってんだよ。

 こんなこと誰を責めたって仕方のないことだってことは理解できてるんだ。

 しかも理由が俺のために気合を入れて、ってのなら尚のこと。

 むしろどちらかというと嬉しい部類に入るかもしれん。

 それでも―――それでもだ。

 一言だけ言わせてほしい。


「どういうことなの……」


 自分でもビビるくらいビブラートしてたよ今の。



「あー……そんな気にしなくてもいいですよ。体調不良ならしゃーないっす」


 重苦しいとまでは言わないが、この微妙な雰囲気の原因は間違いなく俺に気を使ってのものだ。

 まあ確かに思うことは多々あるけど、気まずいままは嫌だし、なにより過ぎたこと且つ不可抗力でうだうだ言うほど狭量じゃない。

 ……と自分では思っているので、なら俺がなんとかするしかない。なんとかなって。


「……そう?」


 悪意はなかったというか、根は悪い人じゃないんだろう。フォローしようと俺がそう言っても、やはり黙って連れ出したことを気にしているのか、返す声色はまだ遠慮がちだった。

 念のためあと一押しくらいしておいた方がよさそうだ。


「せっかくこうして集まったんですし今日は今日で楽しみましょうよ。んで野上先輩が回復したらまた誘ってください」

「ん……いいこと言うねえ。ぃよっし、君がそう言ってくれるなら私も気にしないことにするわ。それじゃあ気を取り直して、料理部恒例お弁当品評会開始ということで!」


 力強く宣言して、今度こそ始まった品評会とやら。

 ―――んん?品評会?

 お待ちになって。てことはもしかしてあれか、これは名前的にただ持ち寄って食べるだけの集まりじゃなかったりするのか? 弁当といえばオカズ交換は定番だが、料理番組よろしく点数付けたり付けられちゃったりとかそういうやつ?

 そんなの聞いてない。もうなにもかも聞いてなさ過ぎて理解できていることの方が少ないかもしれない。

 よく“通り越して笑うしかない”という表現を見るが、それを更に通り越すと真顔になるという知りたくもないことを知ってしまった。できればこんなこと一生知りたくなかったよちくしょう。


「今のはなかなかいい収め方だったね〜」


 はえ~……と放心しかけていたが、料理部員Aのそんな声で我に返る。

 なんて現金なヤツだ、俺が気にすんなと言った途端元の調子に戻りやがったぞ。

 まあいいんだけどさ。

 ともかく副部長による再三の音頭で俺はタッパー、他の皆は普通の弁当箱の開く。彼女達の前に置かれているのはどれも真露のようなドカベンではなく、男の俺からすればこれで足りるのか、と思えるようなサイズのものだ。

 といっても中身を見てみると一つ一つの量はそれほどだが品数は多ようで、栄養バランスはもちろんとして彩りもきちんと考えられているんだろう。流石料理部……いや、実に女の子らしいという感想が漏れるような内容だった。

 こういうのをこじんまりとした、と言うんだろうな。

 そんな彼女達の弁当とは対照的に、俺の前に在るのは白一辺倒―――例えるなら花嫁が纏うウエディングドレスのように一点の穢れもなき純白。

 端的に言うとただの白米である。

 マイルドに表現すると怪訝そうな、取り繕わずに言うとクレイジーな相手に向けるような視線が俺を穿つ。


「え、お米だけ?」


 声をあげたのは誰か、それとも誰もがか。

 アレな眼で見られる覚悟は決めていたはずなのに、これまでの流れで弱気になっていたのかその言葉にウッとなってしてしまう。

 まあ実際、俺も弁当食うって集まりで白米だけを持って来るヤツが居れば似たような反応をすると思うよ。

 前の学校では他人のおかずを目当てにしておにぎりだけを持って来るヤツなんかも居たけど、それは気心の知れたメンツだからこそ成立する話だ。

 今回のような顔合わせの場でそれをやらかす野郎が居るとしたら天然かマジモンか、どっちにしたってヤベえ。

 このままそんな狂ったヤツだと思われてしまうのももちろん嫌だが、カレー出したら絶対目立つよな。

 白米だけを食べるのと水筒からカレーぶっかけるののどっちがアレなヤツだろう―――と俺は脳内の天秤でシーソーゲームを始めたが、どっちもどっちだしせっかく作ったんだから食わないという手はねえよと0.1秒くらいで結論を出し、秤ごとぶっ壊して水筒の蓋に手を掛けた。

 ウケ狙いじゃないからあまり弄らないで欲しいな、と願いながら蓋を回すと、湯気に乗って飛び出したスパイスの鮮烈な香りが鼻腔をまさぐる。

 いやむしろいじられた方が打ち解けられるしオイシイのか。もうなにもわかんねえ。

 しかし俺はこの学園に来てから何回覚悟を決めたんだ? 考えても仕方ねえけどさ。

 さて肝心の出来だが、この様子だとちゃんと保温できていそうだ。

 味の方も昨日作った後に味見をした時はいい感じだったし、一日置いたカレーってのはなんか知らないけど作り立てよりうまく感じるから心配する必要はないだろう。

 それに手前みそだが、見て嗅いで食べる前から胃が刺激されるこれがマズわけがないはず。

 まあよっぽどレシピから逸脱したアレンジを加えない限りカレーをまずく作る方が難しいと思うが、それは言わぬが華ってヤツよ。

 あと今回使ったルーは市販の固形ルーだが、本場インドのカレー粉使用とか謳い文句も強そうだったし、裏の成分表を見たら他の物より入っているスパイスの種類も多かった。

 昨今の既製品はバカに出来ない。たゆまぬ企業努力によって日々改良され、今では専門店で出されるようなものに迫るクオリティを持つのは当然……どころか人気店も実は市販の固形ルーを使っている場合もあるらしい。もちろんそのままじゃなく複数種をブレンドしたりと色々手は加えるらしいが。

 なんて話をちょっと前にテレビで見た。

 うまけりゃいいんだよを体現したような話だと思う。


「あ、この匂いもしかしてカレー?」


 料理部員Aが俺の水筒を覗き込んで声を出す。


「おう、見ての通りカレーだ」


 堂々と“え? 俺なんかやっちゃいましたか?”くらい開き直って居れば変に弄られることもあるまい。

 “皆さんカレー弁当を知らないんですか? 遅れてますね”なんかでもいい。いやこれは調子乗りすぎてるからやめておこう。第一俺はそんなキャラじゃないはず。


「おー……カレー炒飯とかドライカレーを作って来る人はたまーに居たけど、お弁当で普通のカレー持って来る人は初めて見たかな。ね、ちょっと貰っていい?」

「いいぞ。けど代わりになんかオカズくれ」


 錬金術の理は等価交換だ。

 右の頬を殴られたら左の頬も殴られろとか聖書にも書いてあるらしいし、要求してもバチは当たるまい。


「うん、貰うだけじゃ悪いしね。カレーに合いそうなおかずはないかもしれないけど、それでもいい?」

「そのからあげでどうだ? 同じ揚げもんだしカツカレーみたいなもんだろ」

「そう……かな?」

「そうそう。あ、からあげとルーだけじゃレート合わないからちゃんと具も取ってけよ。二個くらい持ってっていいぞ」

「ん……それじゃあ、それでお願い」

「よし、トレード成立だ」


 料理部員Aの弁当は小さいので、ルーを掛けるのと一緒に具を出そうとすると溢れるのは確実だから、水筒を傾けてスプーンを差し込む。

 もちろん口を付ける前のスプーンでだ。この衆目で間接キスとか間違いなく死ねる。


「おー……おっきいねえ。さすが男の子」

「でかい方が食い出があるからな。……よしもう一個っと」


 俺は弁当の蓋に分けられた白米の上にチキンを乗せ、その上から軽くルーを掛けた。


「ありがと。じゃーから揚げをどーぞ」

「どーも。米の上に置いてくれ」

「倉井くん、私も少し貰っていいかな?」


 タイミングを計っていたんだろう、そんな感じでトレードが成立した時、副部長もやって来た。


「いいっすよ。じゃあその卵焼き一個ください」

「ん。合うといいけど」

「カレーに卵かけて食う人も居ますし、ルーの中にはソースも入ってるから合わんことはないんじゃないですかね」

「それもだけど、今日作ってきた卵焼きって砂糖を使った甘いタイプなのよ」

「砂糖もまあ、スパイスの一種みたいなもんだと考えれば」

「暴力的な理屈だねえ……君がそれでいいならいいけどさ。じゃあ成立ということで」


 料理部員Aにしたのと同じようにカレーを分けると、他の人達も続々と群がってきた。というか列ができている。

 目減りしていくカレー、その代わりお供えのように献上されていく様々なおかず。

 からあげ、卵焼き、ハンバーグ、パスタ。ここらへんはまだカレーと合うだろうが、変わったところだと鯖味噌とかデザートのメロンとか。

 そんな感じで掃除機のごとく皆のおかずを吸い込んだ俺のカレー弁当は、最終的に鵺かキメラかといった混沌たる様相を呈していた。

 味? メロンは意外と合ったけど鯖味噌はお察しだったよ。

 あとインドにカレー粉はないらしい。これが今日一番ショックだった。

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