第44話 俺も見ちゃう。
走りながら時折振り返り、真露の姿を確認する。
陸上部ほどではないが俺も普段から走っていて脚には自信がある。少なくとも並みの運動部に負けたことはなかった。今だって割と全力で、キロ3分近いペースで走っているのに真露との距離はまったく離れない。
校門でもちらっと見たが、あの小さな身体でどうしてこれほどのスピードが出せるのか。いやマジで胸を押さえながらなのになんであんなに速いんだよこいつは化け物か?
前の学校の体育は男女で別れていたから、真露と一緒になって走るのは小学生以来だ。人の話で速いのは知っていたけど、ここまでとは思ってもみなかった。
「よし皆、柔軟は終わっているな? まだの者は終わってからでいい、あの二人に負けないようにランニングからスタートだ! 各自自分のペースでトラック二周!」
これだから体育会系ってやつは……!
先生達の近くを通り過ぎた時にそんな言葉が聴こえたが、これがじゃれているように見えるのならあの人の眼は節穴である。
この脳筋! と言って差し上げたいが、そんなことに酸素を使えば追いつかれてしまうだろう。今はとにかく全力、無心で真露様の怒りが冷めるまで走り続けるしかない。
「あの二人、めっちゃ速くない?」
「速いな。流石にあのペースは無理だ」
「速いなんてもんじゃないわよ、わたしには絶対無理ね……」
「……ん、このちっちゃい子名前なんだっけ?」
「ちっちゃい子……」
「鈴木だ。そう威嚇してやるな」
「いやしてないし、あたしの目つきが悪いのは生まれつきなのあんたも知ってるでしょうが。鈴木もそんな怯えんでいいでしょうに……」
「お、怯えてないわよ!?」
「私の後ろに隠れながら言っても説得力はないぞ」
追い越したルクル達も走りながら話しているみたいだが、すぐに遠くなりなんと言っているのかまではわからない。しかし電波のやつ馴染めているみたいでよかったじゃねえか。
よかったけど、あんま気にしてる余裕はない。真露さんマジ笑けて来るくらい速い。
「真露! マジで着替えてただけなんだって!」
幼馴染として十余年過ごしてきたんだ、もう少しくらい信用してくれたってバチはあたんないだろ? なんて思うものの聞く耳を持たないのか、返事は返ってこなかった。
ちくしょうゾンビに追われる生存者の気分だ、せめてなんとか言ってくれ無言の方が怖いんだよ。
もうどれくらい走った? 五分か十分か? あいつはこのスピードをどれくらい維持できるんだ?
バカでかいグラウンドの端を曲がりながら、流石に少しは距離を離せたか? と後方を確認するも真露の姿はない。
一瞬撒いたのか? とも思ったが、念のため首を振ってもう一度確認すると、トラックを横切って爆走する真露の姿があった。
「卑劣な……!」
気付いたのが遅すぎて、もうほとんど距離がない。
しかもカーブでスピードが落ちた俺と違って斜めに舵を切った真露は、トップスピードのまま突っ込んでくる。
これアカンやつ、当―――
「……っ!!」
背中から受けるのはマズい。
俺はその一瞬で覚悟を決めて身体を捻った。
「かはっ―――ァ……!」
横っ腹に受けたタックルの衝撃で肺の中から空気が一気に押し出され、声にならない声が漏れる。
抱き着かれたまま二人で宙を舞う。瞼の裏がチカチカして、滞空時間がやけに長く感じられた。
俺は強く歯を食いしばってラーメンを胃に押しとどめ、いや気合を入れ、真露の身体を胸に抱え込んで背中から地面に落ち、その勢いのままズザァと地面を滑った。
「いっっっ、てええぇ……」
受け身もクソもない。幸い頭は打たなかったが、背中が摩擦で焼けるように熱い。
ぜってえ破れたわ。いや皮膚まで確実に灼けたと思う。
「みらいちゃん、大丈夫?」
「大丈夫、じゃねえよ……っ!」
俺の胸に顔を埋めたまま、真露が抉るようにぐりぐりと動く。
身体が地面に押し付けられ、水膨れになった背中に土が染みる。
悪魔か?
「やっておいてなに言ってんだよ……一歩間違ったら二人して大けがだぜ?」
「えへへ……ごめんね? みらいちゃんと追いかけっこなんて久しぶりだったから、楽しくなっちゃって」
追いかけっこ。
今のを追いかけっことぬかしやがったかこやつは。
最後のはどう見たって見事なテイクダウンだろ。特殊演出入って一撃死するやつだったぜ? さては走ってる途中になんで追いかけてるのか忘れやがったな。
やはりアホの子では?
是非ともこのまま忘れておいてもらおう。
「はあ……まあいいけどよ……っと」
真露を抱えたまま起き上がると、背中を曲げたせいか皮膚がつっぱってヒリヒリする。
「どこも打ってねえか?」
「みらいちゃんが庇ってくれたから、大丈夫だよ」
「そう……ところでほら、見て俺の背中。わかる? この罪の重さ」
予備があるとはいえもったいないことに変わりはないし、初めて袖を通して三十分もしないうちにおしゃかになるとは思ってもみなかった。しかもこんなアホみたいな原因で。
「綺麗に溶けてるね~」
「溶けてるね~、って他人事じゃないからね? 君のせいなんだから」
「ごめんね……?」
「他になにか仰ることは?」
「えっと、わたしの服着る?」
「待て本当に脱ごうとするな、やめて」
皆が見てる。
◇
真露に手を引かれて、皆が整列している場所へ向かう。
もう逃げないというのに、辞めようとした時と同じくらいがっちりと掴まれていた。あんなに走った後になんでこんな元気なんだ? 俺なんて胃も背中も痛すぎて震えてるっていうのに。
「揃ったな。今日の授業は野球だ。まずどれだけ動けるかを見るためにも軽くキャッチボールから初めようと思うが、授業以外での経験者は居るか?」
先生の言葉に何人かの生徒が手を上げる。
「思ったよりも多いな……よし。それでは道具を用意するが、誰か着いて来てくれ」
セコい話だが、少しでも心証を良くするために手伝いは率先してやろう。
「俺やりますよ」
「倉井くんか、こういう時に男手があると助かるよ」
そう言ってもらえるとありがたいけど、ほんとかよ。
あんた絶対男より力強いだろ。握力とか林檎潰せるくらいありそう。
「今、失礼なことを考えなかったか?」
「気のせいじゃないっすか?」
ということで用具室に向かう。
入ってすぐのところに並べられている折り畳み式のカートを先生が抜き出し、そのまま奥へ。
種目によって棚が別けられているらしく、ざっと見るだけでも十種目ほどの棚が並べられていた。
先生の押すワゴンに、そこから道具の入った箱を指示通りに積んでいく。
「俺の勝手なイメージだと女子校つったらソフトなんですけど、クラフトは野球なんすね」
「私が野球の方が好きだからな」
はえ~職権乱用……。
「先生、ボールは軟球硬球どっちすか?」
「軟球を頼む」
「わかりました」
持ち上げたついでに箱の中を覗き込む。なんてこった練習にM級なんて使ってんのか贅沢な話だぜ。
1クラスあたりの人数が少ないとはいえ、合同で行うだけあってそれなりの人数になる。2クラス分、計五箱の野球用具をワゴンに乗せ、俺達は皆の元へ戻った。
ふふ。まずはキャッチボールとのことなのでグローブの箱を一番上に積む俺の気遣いよ。誰も気付いてくれないだろうからせめて自画自賛してやるぜ。
皆がグローブを選び終えたところで俺も適当なものを嵌め、指先でボールを遊ばせる。
合同授業だし真露あたりを……と思うも既に桃谷と始めていた。
じゃあルクル……は七生と。
よかろうならば電波……すらも既に誰かと組んでいた。
「え?」
いやまて、クラフトは二人一部屋だ。つまり人数は偶数である。知り合いが全滅したといってもあぶれる心配などない。
組む相手が居なくて先生とキャッチボールをするかわいそうな倉井くんなんて、そんなものは存在しないはずだ。
「ん……? 一人足りないな。連絡はないが休みか……仕方ない、倉井は私とだな」
そうか南雲の野郎……!
暴投のフリしてあいつの居るところにボールを投げてやろう。見つかって怒られてしまえ。
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