第45話 打てるわけねえだろアホか?

「行くぞ! 倉井!」


 先生はそう宣言し、俺に向けてボールをかざす。胸元にグローブを構え前足で地面をならす動きに、俺は存在しないマウンドを錯覚した。


「うす」


 大きく足を上げ、胸元に膝を抱え込んで溜めを作る。

 そこから関節を最大限稼働して伸ばされた左脚に、大きく右腕を振りかぶる豪快なオーバースロー。

 軸足から前脚に力強く踏み出した体重移動に腰の回転、腕の振り、その全てがまだ見ぬ一投の破壊力を予見させる。


「……っ!」


 グローブ越しに手のひらが、腕が、全身がピリッと痺れるイナヅマのような豪速球。

 女の投げる球じゃねえ。球威も制球も、今まで受けてきたどんな野郎のモノより数段上だ。

 片膝をついた姿勢のままピッと投げ返し、俺は次の投球に備える。

 先生はそれを捕ると流れるような動作でボールを利き手に移し、再び投球動作に入った。


「ふん―――っ!」


 肩甲骨にカタパルトでも積んでいるのか、次いで放たれる白球はまるで弾丸のようだ。

 バシィ―――ンッ!

 と、それまで以上の衝撃を伴いミットに収まった一撃には感動すら覚える。

 あっ、ちなみにこれ、硬球である。

 用意した軟球の箱に一球だけ混じっていた物を見つけた先生が、“倉井くんは男だしこれで良いだろ?” なんてデンジャラスなことを言いやがってこうなった。普通にどうかしてると思う。


「倉井は野球の経験無いんだったよな?」


 ボールと共に言葉を投げる先生。

 それをちゃんと確認する前によく生徒相手に硬球であんな球放りやがったなこの体育教師は。

 まあいい今更よ。と俺も同じように返球がてら返事を返す。


「ないっすよ。友達と遊びでやったりするくらいです」

「その割にはなかなか良い感じに捕るじゃないか」

「先生のコントロールが良いからですよ」

「うまいじゃないか」

「本気で言ってるんすけどね。あーでも、多分バッターが居ないからってのもあると思います」


 実際、目の前でバットを構えられるとキャッチャーは十割増しで怖い。マスクやレガースがあろうと、素人にとって目の前を高速で横切るバットは恐怖でしかないのだ。

 だから身内で試合をする時はキャッチャーの代わりに壁を置いていたし、盗塁は禁止していたくらいだ。

 あんなもんが平気な野球部は凄いと思う。俺なんて仮に“振らない”とわかっていてもちょっと怖いし。


「ああ、あれは確かに慣れていないと怖いな」

「でしょ?」


 でも先生なら初見でも余裕でこなしそうですよね、とは言わぬが花かな。報復死球とか怖いし。


「よし、次は倉井が投げてみろ」

「いいっすけど、暴投怖いんで投げる前に場所代わってください」


 硬球とかもし逸れて誰かに当たっちまったらヤバイ。当たりどころが悪けりゃ普通に死ぬし、そうでなくても女の子に怪我なんてさせたら罪悪感で学校辞めるまであるわ。


「わかった」


 ということで、俺達は素早く入れ替わった

 ちなみに、投球が始まって先生に熱が入ったあたりで俺を呼ぶ言葉から敬称は抜けている。

 まあその方が気楽でいいけど。でけえ人に君付けされると逆に圧がすげえからな。

 とりあえず、俺も肩は出来上がっているのでこっちの全力も先生に受け止めてもらおう。

 受けてるとやっぱ自分も投げたくなるよな……!


「よし来い!」


 片膝を着き、突き出したグローブと反対側の腕は背中に回すガチな構え。

 俺は先生と同じく、大きく振り被ってのオーバースローで第一投を放った。

 パシィーン! と先生程ではないが良い音が鳴ったと思う。まあ実はこれ、受け手の技術に寄ったりするらしいんだが。

 しかしこいつは結構気持ちいいな。硬球を思いっきり放るなんて初めての経験だが、思っていた程投げにくくもないし。


「悪く無いな。よし、もう一球来い!」

「うっす!」


 投げ返されたボールを受け取って、俺は力強く返事をした。


「せんせー、キャッチボールどれくらいしてればいいですかー?」

「あ」


 完全に忘れていたらしい先生がハッとしたように呟き、そこで俺達の投球練習はお開きとなった。

 ちくしょう俺まだ一球しか投げてねえぞ不完全燃焼だ。



「……こほん。えー、それでは少し移動するので、皆着いて来てくれ」


 先生の案内でグラウンドの奥まったところに歩いて行くと、その先で俺は信じられない物を見た。

 七つのレーンに並ぶバッティングマシーン。それもトスマシンなんかじゃなくバッセンにあるようにガチな設備で、スクリーンまで付いてある。

 足元に転がるボールを拾うと、なんとこれもM球だ。

 普通、バッティングマシーンはそれ用のボールを使う。一般的に使われるアーム式だと縫い目のないボールの方がコントロールをつけやすいとか、耐久度を求めるためだとか理由は色々あるらしいが、とにかくそれ用のボールがあるのだ。

 対してM球とは、公式試合でも使われる軟式野球において一番グレードの高いボールである。

 試合用なだけあって、一球五百円くらいとお値段も結構する。

 しかしあのマシンは見たところ最新のエア式で、アーム式と違いボールの引っ掛かりを気にする必要がない故の暴挙だろう。

 強豪校だってこんな設備ねえぞ。


「よし、まずはバットの正しい持ち方からだ」


 と、スイングを実演する先生が握るバットもきっと高いヤツなんだろうな。

 この学園で金額なんて気にするだけ無駄だとわかっていても、そこに目がいってしまうのは悲しきかな庶民のサガよ。


「まずは素振りだが、充分な距離を取るように心がけ、そして振る前には近くに人が居ないか再三の確認を怠るな。それと、素振り中の相手に近づく時は必ず声をかけてからにするんだぞ」


 基本的な指導と注意を終えた先生は、俺達が素振りをする間一人レーンに入って快音を響かせていた。

 なんて自由な人なんだ、放任主義にも程がある。

 しばらくして満足した先生がレーンから出てくると、今度は素振りを終えた生徒達が交代でレーンに入って行く。

 そして俺はというと、あえて自分の番を遅らせて素振りを繰り返していた。

 ピッチングでは不完全燃焼だったし、せめてバッティングでは盛大にぶちかましてやろうと入念に牙を研いでいるのだ。

 ふふ……実はバッティングには自信があったりすんだよな。なんせ男友達とスポッチャでさんざん賭け試合をやったしバッセンも結構行ってたからな。


「お、電波どうだった? 打てたか?」


 とぼとぼと出てきた電波の姿が目に入ったので、素振りを中断して声をかける。この様子では聞くまでもなさそうだが。


「ぜんぜんダメよ、三球しか当たらなかったわ」


 前に飛ばないならともかく、当たらないというのは根本的ななにかがダメなんだろう。

 ボールをちゃんと見ていないのか握りが悪いのか、ありがちなのはその二つだが、電波の手元を見ると不釣り合いなバットが目に入った。


「その今持ってるバットでやったのか?」

「? そうよ」

「ちょっと見せてみろ。……っておい、こりゃ大人用じゃねえか。ちゃんと子供用の軽いやつを使わないと」

「あの、知ってると思うけどわたし一応あなたと同い年なんだけど」

「そりゃわかってるよ信じられねえ話だけど。でも電波は平均より身体が小さいんだから、それに見合った短くて軽いバットを使わないと狙ったところにバットが出せないんだよ。ちょっと待ってろ、電波でも使えそうなの選んできてやるから」


 いわゆるバットに振り回される、というやつだ。

 まともに振れないだけじゃなくて、野球以外でもそうだけど、自分に合わない道具を使ってると怪我をする可能性も上がるしな。

 俺も幼稚園くらいの時、無理に大きいバットを使って手首捻った覚えとかあるし。


「あ、ありあとう」


 俺は棚に並ぶバットから短いやつを一本一本抜き取り重さを確認していく。そして一番軽い物を選び電波の元へ戻った。


「よし、これでやってみろ。握り方は大丈夫だな?」

「こうよね?」

「それでいいけど、おまえ握るとドラえもんみたいな手してんな」


 白くて丸っこい餅みたいだ。


「ドラえもん……」

「そんで構える時はもう少しケツを落として、そうそうそんな感じ……よし、ちょうど空いたみたいだから行ってこい」

「う、うん」


 背中を押して送り出す。


「ドラえもん……わたし太ってるのかしら……」


 向かう電波はまだ小さくドラえもんと呟いていた。


「頑張れ電波!」


 ネット向こうの電波に声援を送る。


「設定は100kmだ。速い球じゃない。よく見てやれば大丈夫だから落ち着いていけよ!」

「まずはあんたが落ち着いた方がいいんじゃない?」


 声のした方を見ると、いつの間にか隣に来ていた七生が俺と同じように電波を眺めていた。胸元で組むようにした腕をフェンスにかけているのでアレが強調されている。こいつも結構でけえよな。


「七生は打たないのか?」

「休憩よ。そういうあんたは?」

「電波が終わったらやるよ」


 その電波だが、アドバイスの甲斐あってか少なくともバットには当たるようになっている。ただしヒット性の当たりはほとんど出ず、ころんと転がるような打球だが。

 まあ子供用のバットだし、バッティングは力だけじゃないとはいえ目に見えて非力だから飛距離が出ないのは仕方ないか。

 しばらくして、1セット30球を終えた電波が満足そうな顔でレーンから出て来る。


「けっこう当たったわ!」

「よろしい。ではこのわたくしが手本を見せてさしあげましょう」

「なにもんよそのキャラは……」


 電波の頭をポンと叩き、入れ替わるように中へ。

 あと七生、そういうのは思っても言わないのがお約束だぞ。



「どうやらこの操作盤で設定を弄れるみたいだな」


 そこへいつの間にかルクルが合流していた。


「どれどれ……ふむ。このボタンが球速アップか」


 音ゲーでもするように操作盤を弄るルクル。

 めちゃくちゃな設定にしてそうだなアイツ。

 ……ふふふ。だが好きなだけ上げるがいいさ。

 速球打ちには自信がある。なんせ地元のバッセンでは160kmの球を打っていたからな。実は当てるだけなら簡単だったりするし、当たりさえすればそれなりに飛ぶんだよな。

 バイク乗りの動体視力を舐めるなよ。

 よし来

 ドゴォ―――ンッ!


「は?」


 振り返ると着弾地点から煙が吹いている。

 なんだ今の音カノン砲かな?


「ははっ、見てみろ七生、電波。240kmだとさ」

「はっや」

「う、嘘でしょ? 人類に打てるものなの? そんなボール」

「さあな。……どうした未来、手本を見せてくれるんじゃなかったのか?」


 挑発するルクルの言葉を受けてちらっと外を見ると、炸裂音に惹かれた他の生徒達の視線も俺に集中していた。

 ちくしょう学園ここに来てからいらん注目を浴びてばっかりだ。


「倉井くん、がんばって! あなたならきっと打てるわ!」


 電波の声援。多分声援だと思う、が届く。

 実際は倉井く、のあたりで轟音に掻き消されてなんて言ってたのかわからなかったけど。

 しかしコミュ障の電波が声を張り上げてまで応援してくれたんだ、応えてやるのが男ってもんだろう。


「ルクル、打てたらジュース奢れよ」

「前に飛んだ分だけこの前のジュースを買ってやるぞ」

「よし。吐いた唾ぁ飲めると思うなよ」


 バイク乗りの動体視力を舐めるなよ。240kmなんざ一昨日乗った先生のバイクよりたかだか40kmばかし速いだけで新幹線より遅い。

 テリーマンに止められたんだ、俺に打てない道理はねえ。

 さっきは油断していたところにいきなり来たから反応できなかっただけで、覚悟さえできていればやってやれないことはないはずだ。

 そう意気込んだところで、スクリーンに映るピッチャーが投球モーションに入った。

 さあ来い―――!

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