三日目

第36話 あいつはエアバックが付いてるから……

 手芸館に戻ると、出る前にはまばらに点いていた部屋の灯りも全て消えていた。庭に備えられた外灯の光が寮の形を浮き彫りにする。

 音をたてないように気を付けて、俺とルクルは部屋に戻った。

 時間を見ると、もう十二時半だ。

 普段の俺からするとそう遅い時間でもないが、夕飯前に仮眠をとったとはいえ昨日一昨日と色々あったせいか結構眠い。

 ルクルも同じく疲れたんだろう、コートを吊るして制服のままベッドに腰かけると、うつらうつらと舟を漕ぎ始めた。


「着替えなくていいのか?」

「ん……あぁ……」


 反応は薄い。

 ……付き合わせて悪かったな。寒かったろうし、今度またピルクルを奢ってやろう。

 そういや丸二日風呂に入れていないから、そろそろシャワーくらい浴びたいな……まあ、朝でいいか。あまりばたばた音を立てるとルクルを起こしてしまいそうだし、早起きして浴びよう。着替えるのもその時でいいだろう。

 さて、そうと決まれば俺も眠ってしまおうか。俺はアラームをセットしてスマホを放り投げた。

 なんか忘れている気がするけど……まあ忘れるくらいなら大したことじゃないだろう。そう結論付け、俺は意識を手放した。



「んあ……」


 じりじりと電子音に急かされ、俺は目を覚ました。瞼を擦りながらもう片方の手で枕元をあさり、発信源であるスマホを手に取って時間を確認する。

 六時だと……? やだ早過ぎ……こんな時間に誰だよ……。

 ……いや、そういや早起きしてシャワー浴びるとか考えてたわ……。

 よく見りゃでかでかとアラームの四文字が表示されてるし。そうか、寝る前にセットしたんだったな。

 ルクルは……まだ眠っているみたいだ。音量を下げておいてよかった。

 今更だけど、空間の仕切りになるようなものを置いていないからお互いのスペースが丸見えなんだよな。俺は男だし見られて困るものを置くつもりもないから別に構わないが、ルクルの方はどうなんだろう。少なくとも一昨日この部屋に始めて来た時の様子では気にしていなさそうだったが。

 考えても仕方ねえ、とにかく予定通りシャワーを浴びてしまおう。

 場所はわからないけど、ここから廊下に繋がるまでの道にいくつか扉があったからな、そのどれかだろう。

 俺はのそのそと立ち上がり、風呂場を探そうとして気が付いた。

 ……タオルと着替えがない。

 そうだよ、一昨日寮の案内をしてもらっている途中、荷物置き場に行く前に気を失って保健室に運ばれたんだ。昨日もばたばたしていて完全に忘れていたし、寝る前になんか忘れてるなーと思ってたのはこれか? 三星さんに連絡……はまだ早いよな。寝ていたら申し訳ない。

 いいや、服に関してはとりあえず同じものを着るとして、タオルくらいは備え付けであったりしないかな? 脱衣所で探してみよう。

 俺は一つ一つ扉を開けて中を確認する。

 ルクルは寝ているから、風呂とトイレにぶち当たってもエンカウントする心配がないのは気が楽でいい。

 三つある扉の内、一つ目はクローゼット、二つ目が脱衣所、三つ目がトイレ……っと。

 ユニットバスでないことに一安心しつつ、俺は脱衣所に引き返し戸棚を確認する。


「お……やっぱあったな」


 戸棚の中にはタグ付けされたままのタオルと手ぬぐいがいくつかあった。他にもヘアブラシや歯ブラシ、ボディーソープなどの消耗品が未開封のまま置いてある。

 それで思い出したけど、昨日は時間がなくて歯も磨けてなかったな……意識すると、とたんに口の中が気持ち悪くなってきた。シャワーを浴びるついでに歯磨きも済ませてしまおう。

 俺は置いてあったカゴに服を脱ぎ捨てる。そういえば洗濯をどうするのか聞いていなかったが、脱衣所に洗濯機らしきものは見当たらない。外から見た限りではベランダに置いてあるなんて庶民感溢れることもなかったし、寮のどこかにランドリー的な場所があるんだろう。

 これもあとで三星さんに聞いておかないとな。

 タオルも本当は使う前に一度洗濯した方がいいんだけど、贅沢は言ってられない。有るだけでもありがたいと思わないと。


「よし……準備完了っと」


 俺は入浴セットを手に取って、脱衣所を抜けた。

 眠気覚ましにとさっそく頭のてっぺんから冷水のシャワーを浴びる。すげえこのシャワー超細けえ、マジックとか一撃で落ちそうだ。

 かなりいい設備っぽいけど、あの大浴場を見た後だからインパクトは少ないな。この学園の感覚に慣れ、いや麻痺か。とにかく順応してきた証だろうか。

 あとはこれまた贅沢な話だが、シャワー室というだけあって浴槽がないのが残念だ。

 やっぱり日本人にとって湯舟に浸かるというのは特別なんだよ。寮の中は空調が効いてるとはいえ、学園は山の中だから全体的に気温が低い。今はまだ春だからいいけど、いずれシャワーだけでは厳しい季節が来る。

 なにより俺含むバイク乗りは例外なくでかい風呂が好きなんだ。

 三星さんは今日にでも大浴場の使用時間に関してアンケートを取ってくれると言っていたけど、結果が出るのはいつ頃になるだろう。俺から聞くのも催促してるみたいでいやらしいかな……それとなく探りを入れるような器用なマネは俺にゃできないし、大人しく待つか。

 あれこれ考えながらのシャワーを浴び終え、風呂から出た俺がベッドに戻ってもルクルはまだ眠っていた。時間的にはまだ余裕がありそうだが、普段こいつは何時に起きているんだろう。

 朝食の時間は……何時って言ってたっけ? いや、そもそも聞いた覚えがないな。学園側が用意してくれるという話だったが、食堂に行けばもうあったりするのかな。

 一人で行くのも味気ないし、とりあえず七時まで様子を見て、ルクルに目覚める気配がなければ起こしてやろう。俺と違って身嗜みを整える時間も必要だろうし、食事の時間も考えると今日の集合は教室じゃないしそれくらいがラインだろう。

 となるとまだ三十分近くあるし、手持無沙汰だからアキラさんに怪文書でも送って暇をつぶそう。あの人ならもう起きてるだろうし、仮に起こしてしまってもなんら罪悪感はない。なんなら寝てない可能性まである。


『美少女と同じ部屋で一夜を明かしましたわ』


 ……っと。うん、嘘は言っていないな。


『いつワイの部屋に侵入したんや?』


 相変わらず返信早えな、あのおっさん。三十秒も経たねえ内に帰ってきたぞ。

 しかしレスポンスが早ければこちらも熱が入るってもんよ。と思って指を滑らせたけどダメだ充電があんまりねえ。そういや充電器も荷物の中だから、こっち来てから一度も充電できてないんだよな。この残数だとあんま弄ってると夜まで持ちそうにない。

 自分から振っておいてなんだけど、アキラさんにはこのまま消滅してもらおう。

 俺はメッセージの通知をオフにして、スマホをベッドに放り投げた。

 いきなり暇になってしまったが、どうしよう。

 ……よし。

 俺は本日二回目のシャワーに向かった。



 俺は今、重大な問題に直面している。

 難題と言い換えてもいい。

 ……声をかけても反応しない女の子ってどうやって起こせばいいんだ?

 これが野郎か真露なら、頬を叩くなりベッドから落としたり取れる手段はいろいろあるんだが。ルクル相手にそれをやるのはちょっと、後が怖い。

 俺は脳内の履歴書に着火し、部屋にあるテレビの電源を入れた。

 さて。

 ルクルが起きるまで音量を一つずつ上げていくチキンレースの始まりだ―――!


「……やかましいぞ」

「ごめんなさい」


 わりとすぐ起きた。



 怒られたので音量を元に戻し、電源を落とす。

 起き上がったルクルは大きく一度伸びをして、ベッドからぴょんと立ち上がった。


「……一休みするつもりがそのまま眠ってしまったのか。皺になってしまうな」

「悪かったな、あんなのに付き合わせて」

「なに、気にするな。行くと言ったのは私だ」

「そうか……着替えるなら部屋を出とくけど、どうする?」

「シャワーを浴びるついでに脱衣所で着替えてしまうから大丈夫だ。覗くなよ?」

「火口に飛び込む勇気はねえわ」

「飛んで火に入る夏の虫という言葉もあるぞ?」

「……」

「ふふ、冗談だ」


 着替えの用意をしだしたルクルに背を向ける。ほら、下着とか見たらまずいし。


「あ……そうだ、脱衣所にあった新品のバスタオルとか使っちまったけど、大丈夫だよな?」

「知らん。私は自前の物を使っているからな。だが置いてあるなら使っていいんじゃないか?」

「だよな。それと使った後のタオル脱衣所のカゴに入れたままなんだけど、そっちは大丈夫か?」

「カゴは複数あるから気にするな」

「りょーかい」


 風呂場に向かったルクルを見送り、再びテレビの電源を入れる。今更だけどこれルクルの私物だったりしないよな? 何も言われなかったし大丈夫かしら。

 チャンネルを回していくが、この時間に映るのはニュースと子供向けアニメの再放送ばかりだ。

 地域によって放送している番組が結構違うって聞いてたけど、ほとんど俺の地元と同じだな。まあ向こうもここも地方ってほど田舎でもないしそんなもんか。

 でもすげえ、このテレビ、ボタンで台の角度が振れる。超便利だ。

 そんなことに感動しつつ、俺は再放送のコアラボーイを眺めながらルクルを待つ。

 それから四十分ほどして、シャンプーの香りを漂わせたルクルが帰ってきた。昨日肩にもたれかかられた時にも思ったが、ミディアムの真露と比べてかなり長いからふわって感じでくるよな。


「……どうして壁なんて見つめているんだ?」

「え? あ、いやほら、この壁紙の模様人の顔に見えない?」


 自分で考えたことがキモすぎて、ルクルの顔をまともに見れない。


「そうか……?」


 俺の隣までやってきて、同じく壁を見るルクル。

 顔と髪が近すぎる。セクハラだぞおまえ。


「私にはただの模様にしか見えないな……それより、私は食堂に行こうと思うがおまえはどうする?」

「朝飯か、よし、行こう」


 広い空間に出れば匂いも分散するだろう。

 俺は逃げるように部屋を出て、急かすなと抗議するルクルを伴って食堂へと向かった。



 部屋を出る前の悠々とした様子からしても、朝食には決まった時間というのがないのだろう。食堂に居る生徒の数は俺達の他に十人ほどだ。

 昨夜一年生が座っていたテーブルにはさまざまな料理が乗った大皿が所狭しと並べられていた。その端には食器類が重ねられていて、どうやらビュッフェ形式で摂るらしい。

 ……やっぱり学生寮じゃなくてホテルだよなあ。


「ルクルって細いわりに結構食うよな」

「おまえには言われたくないな」


 俺がルクルの持つトレーを見てそう言うと、こちらのトレーを横目で見たルクルがお返しとばかりに抗議の声をあげる。


「そうか? 男ならこれくらい普通に食うと思うが」


 俺は話しながらも目に付いたうまそうな料理を皿に追加していく。

 ホテルの朝食と同じで、やっぱビュッフェ形式はテンション上がるな。おっ、これもいただきっと。


「……まだ食べるのか」

「いや、これで終わりだよ」


 これ以上はトレーに乗りそうにないし、なんせ食べ放題だ。足りなければ何度でも取りにくればいい。

 俺達は手近な席に腰を下ろして食事を開始した。


「昨日から思ってたけど、ここの飯ってマジでうまいよな」


 食堂街だけでなく、野上さんら寮生の作る料理もまた然り。

 このビュッフェの料理だってそれぞれが単品として出されてもおかしくないレベルで、口に運ぶ手が止まらない。


「私は中等部から食べ慣れているが……そうだな、確かに入学した頃、同じような感想を抱いた覚えがある」

「だろ? これに慣れたら大変だぜ」


 俺の作る料理は言うまでもなくこの域には程遠いし、街中のレストランで同じレベルの料理を出す店に通うとなるとエンゲル係数に殺されてしまいそうだ。

 そう考えると料理研究部に入るのもありだな……なんて、ふとそんなことを思った。


「確かに食堂街や寮の料理人、それに野上たち料理研究部が作る料理のレベルは高いが。全てがその水準だと思うなよ」

「え?」

「言ったろう、当たり外れがあると」

「あー……そういや昨日、んなこと言ってたな」

「そして喜べ、今日がその日だ」

「なにを喜びゃいいのかわかんねえけど、覚悟はしておくわ」


 まあルクルが大げさに言っているだけでそんな酷いものは出ないだろう。

 米を洗剤で研いだり、食材が物体Xに様変わりするなんてのはアニメや漫画の話だ。現実で起こるわけがない。

 覚悟するとは言ったが、楽しみにしておこう。


「ルクルは料理できんのか?」

「まあ、人並にはな。そう言うおまえはどうなんだ?」

「んー……。同世代の男よりゃマシだと思うが……」


 基準となるあいつらの料理がカップラーメンとかレトルト食品だからな。

 冷食のからあげに鬼のような量の塩胡椒を振りかけたものとか女の子に出せないよな、男なら深夜に集まって食べると死ぬほどテンション上がるんだけど。

 からあげの解凍方法に一家言持っていたアナルくんは元気かな……。ダメだ、食事中にやつの名前を思い出すのはよそう。


「ごちそうさま」


 俺がそんなことを考えているうちにルクルは食べ終えたらしく、行儀よく手を合わせると座ったまま俺の方を見ている。

 食べ終わるのを待ってくれているんだろう。

 おかわりしようと思っていたけど、話しながら食べていたら思っていたよりお腹いっぱいになったしな、腹八分目ということで終わりにしておくか。

 俺達はトレーを返却口に持っていき、一度戻って歯を磨いてから体育館に向けて再び部屋を出た。


「せっかくだし一緒に行こうぜ」

「どうせ場所がわからないんだろう」

「それもある」

「正直なやつだ」

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