第29話 この人痴漢です。

「わっ」

「うぉっひょおっ!!」


 突然耳元で超大きな声がして飛び起きると、なんでか不機嫌な表情をしたルクルの姿が近くにあった。


「おっ、おおお? えっ、今のルクルか? うわビビったマジで、起こしてくれとは言ったけど、もうちょっとなんか、こう、ほら、あるんじゃない? ていうか近っ」


 やべえまだ胸がドクドク言ってやがる。危うく顔同士をぶつけるところだったし、今のはいろんな意味で心臓に悪い。

 もっとこう、優しく揺するとか、いや、かなり眠かったし、それで起きなかったからって可能性もあるのか?


「人に起こしてもらっておいてなんだその態度は」

「そりゃあまったくもって正論だけどさ、ふぅー、いや、まあ、うん、ありがとうな? まだ耳痛えけど」


 深呼吸したのに動悸が止まらないし、俺の心臓が弱かったら死んでるんじゃないかこれ。ルクルのやつどれだけでかい声を出したんだ。


「文句を言うな。素直に起きないおまえが悪いんだからな。それより、そろそろお待ちかねの時間だ」

「飯か。早速行こう」

「私が言うのもなんだが、切り替えが早いな」


 目覚め方は最悪な上に睡眠時間も短かったが、眠りは深かったらしく頭はわりとすっきりしていた。

 軽く顔を洗ってからルクルと二人で部屋を出ると、廊下には俺達と同じように食堂へと向かう生徒の姿がちらほらあった。教室で見た顔もいくつかあったので、会釈しつつ下に降りる。

 食堂へ入ると既に配膳が始まっており、担当する生徒達が忙しなく動いていた。


「席順って決まってんのか?」


 食堂のテーブルは合計六列あった。デザインや並べられている食器類も、それぞれ特に違いはない。


「学年で列は決められているが、その中なら自由だ。一番奥はアレルギー持ちの席ということになっているが、この寮には居なかったはずだから形骸化しているな」

「なるほど」

「ちなみに、向かって右から二列ごとに一年、三年、二年の順となっている」

「りょーかい」


 さて、それならどこに座ろうか。

 目立たない席がいいし、こういうのは奥から詰めるべきだろうから、一番奥が空いていればそこがベストだったんだけど。そこは既に同じ考えの人が座っているみたいだ。

 いっそ席が埋まる頃に出直して手前の端っこを頂くという手もあるが、最後まで空いている保証もないし。かといって空席が目立つ今の状態で一番手前に座るというのは、目立つ上に横着しているように思われそうで。

 そんなことを考えていると、唐突に尻を撫でられた。

 この手つき、いやこんなことをする野郎は俺の知る限りただ一人。

 そんな確信があったので、俺は振り返るよりも早くその名前を呼んだ。


「舞子さん、こんばんは」

「おう未来。入口で突っ立ってどうしたんだ?」

「どこに座ろうかなと」

「んなもんどこだっていいじゃねーか。空いてるところに適当に座っちまえよ」

「そうなんですけどね。あんまり手前すぎると目立つかなと」

「どこに座ってもどうせ目立つからあんま関係ねーと思うけどなぁ」

「はは、知ってましたよ」


 男の尻なんざ撫でて何が嬉しいのかわからないけど、そういえば初対面でも股間を触られたよな。あの時は三星さんが物理で止めてくれたっけ、と昨日二人の部屋であったことを思い返す。

 けど、今はその三星さんブレーキ役の姿も見当たらず、この様子だと俺が止めない限り満足するまではやめてくれなさそうだ。

 ずっとここに立ったままだと邪魔になりそうだし、今はとりあえず背後に居る痴漢の連絡先だけでも聞いて移動しようか。

 

「舞子さん、連絡先教えてもらえますか?」

「オレの? 別にいいけど」


 ケツを蹂躙されたまま、俺は舞子さんに声を掛ける。

 ケツを蹂躙しながら、舞子さんは俺に返事を返す。

 うん。これであとは三星さんだな。


「ありがとうございます。あとそろそろケツ撫でるのやめてもらっていいっすか」


 いつまで触ってんだよ。



 そして俺はなぜか、ド真ん中の列のド真ん中の席。ルクル曰く三年生用のテーブルに着いていた。

 上級生に挟まれるというのは同性相手でもキツいものがあるというのに、ましてやそれが全て異性だなんて一種の拷問じゃないか。

 捕食される側の存在というのはこういうものなんだろう、俺自身が料理にでもなった気分だ。

 身体を縮こめてなるべく目立たないようにと気休め程度の悪あがきをしつつ、そんな感じで俺にとっては初めて寮で摂る夕食の時間が始まった。


「結構いけるだろ? 野上は料理研究部の部長だから腕もいいんだぜ」


 名前なんて言ったっけ、この痴漢。

 ああ、舞子さんだ。悪魔かと思った。

 その右隣に座る三星さんはすげえ申し訳なさそうな顔をしている。

 左隣の人が野上さんなんだろう。目が合うと頭を下げられたので、こちらも同じように返す。

 ルクルはあまり期待するなと言っていたが、この料理はめちゃくちゃうまい。並のレストランで出るものと遜色ないレベルに思える。食堂で出されたものに比べると多少見劣りするけど、あれは匠の業なんだし当然だろう。

 これ、当番制ってことは当然俺にも順番が回って来るんだよな? 俺が出来る料理なんて切る、焼く、煮るくらいだけど、それにしたって大雑把なものしか出来ないぜ。

 千切りは下手すぎてよく繋がったままの姿をさらすし、みじん切りなんて形や大きさを気にしたことすらない。火は腹を壊さない程度に通ってればいいか、くらいの加減だし。

 そんな調理スキルで皆の口に合うものが出せるのだろうか。一人で作るわけじゃないから、まあ大丈夫だとは思うけど……。

 そんなことを考えながら、今まであえて聞かずにいた疑問を口にする。


「……ところで」

「んあ?」

「舞子、口に入れたまま喋らない」

「……ごくんっ。どうした?」

「どうして俺はこんな所に座らされているんですかね」

「なんでって、食堂で会った時に今度一緒に飯食おうぜって言ったじゃん?」


 ……確かにそんな話をしていた気はするけど、あれは食堂街での話じゃなかったのか。

 やっぱり舞子さんは普段からこういう人なんだろうな、三星さんだけじゃなく、野上さんまで申し訳なさそうな顔になっている。

 針の筵という言葉がぴったりだ。本人に悪気はないだろう分タチが悪い。


「それに、どこに座るか迷ってたみたいだし」

「それはそうでしたけど」


 あれはどこが一番目立たないだろうと迷っていたのであって、間違ってもこんな中心地は候補ですらなかった。というかここは三年生の列じゃないのかよ。

 まあ、もう食べ始めてしまってるし今更席を移動することも出来まい。

 であれば、いっそ開き直るしかないよな。

 本日何回目の“なるようになるだろう”だろう。もうほんと、わかんないけど。

 それでも俺はこう言おう。

 ———なんとかなれ!






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