夕紅とレモン味~宇宙のステンシル~

猫柳蝉丸

本編


「今日は買い物に付き合ってくれてありがとね、お兄ちゃん」


「いいよ、これくらい。僕も気分転換したかったしさ」


「でも、こんなに荷物も持ってもらっちゃってるし」


「それも目的だったんじゃないのかい?」


「えへへ、それもちょっとあるかな」


「やっぱり。まったく……、檸檬ちゃんは昔からそうだよね」


「いつも頼りにしてます、お兄様」


「いいよ、僕だってお兄ちゃんなんだからそれくらいはするさ。でも、買い物に行きたい時は今日みたいに急じゃなくてあらかじめ言っておいてほしいな。最近はタクシーの手配にもちょっと手間が掛かるしね」


「そうそう、今日のタクシーの運転手さんには驚いたよね、ロボットだったんだもん。ロボットの社会進出が進んでるって本当だったんだね。あのロボットはタクシーの運転手さんの人格をインストールしてるんだよね、確か」


「うん、いい事だと思うよ、スペースセツルメントには労働力が不足しがちだからね。人間もロボットも力を合わせてセツルメントを発展させていかないと。それが社会の発展に繋がるって僕は思うな」


「おっ、お兄ちゃんらしい優等生発言だね」


「からかわないでよ、檸檬ちゃん」


「ううん、本気でそう思ってるんだよ。言い方は悪いかもしれないけど、それでもあたしはお兄ちゃんの優等生な所に憧れてるんだよ? 勉強は出来るし運動神経もいいし、あたしが困った時はいつも助けてくれたじゃない? お兄ちゃんって凄いなあっていつも思ってたの。今日だって嫌な顔一つせずにこんな夕暮れまであたしの買い物に付き合ってくれたしね」


「お兄ちゃんだからね。妹の為に出来る事は何だってしてあげたいって考えてるんだ。それを檸檬ちゃんが嬉しく思ってくれてるなら、僕としてもこんなに嬉しい事はないよ。デートみたいで楽しかったしね」


「デート……か」


「あっごめんよ檸檬ちゃん、僕とのデート扱いなんて嫌だったかな」


「ううん、そうじゃない、そうじゃないんだよ。ねえ、お兄ちゃん、ちょっと話したい事があるんだけど、いい?」


「うん、檸檬ちゃんの話なら何でも聞くよ」


「あたしってさ、落ちこぼれと言うか出来損ないと言うか味噌っかすだって事は自分でも分かってるんだよね。勉強は出来ない。運動も苦手。見た目だって極普通。何でも出来るお兄ちゃんの妹なのが恥ずかしくなってくるくらいに……」


「自分の事をそんなに卑下しないで、檸檬ちゃん。それに僕だって何でも出来るわけじゃないんだよ、必死で檸檬ちゃんのお兄ちゃんで居ようとしているだけなんだ。可愛い妹の自慢のお兄ちゃんになれるよう頑張ってるだけなんだよ、本当は」


「そう……なの?」


「当然じゃないか」


「ありがとう、お兄ちゃん。でも、でもね……、やっぱりあたし自分に自信が持てないの。ねえ、知ってた、お兄ちゃん? あたしね、小さな頃にいじめって程じゃないけどからかわれてた事があるんだよね。名前の事で……」


「名前? 可愛い名前だと思うけど……」


「うん、あたしも好きな名前だよ。樹林檸檬。部首のきへんばっかりの名前だけど全然嫌いじゃない。でもね、からかわれてたの。お兄ちゃんの……、優って名前と合わせてね。まさるとれもん。お母さんがそこまで考えてなかっただけだと思うけど、あの時は落ち込んだな……」


「どういう事なんだい……?」


「ごめんね、お兄ちゃん……。まずはそれよりもお兄ちゃんに先に訊かせてほしい事があるんだよね。……それでいい?」


「う、うん、檸檬ちゃんがそう言うなら……」


「ありがとう、お兄ちゃん。それじゃ訊くね、お兄ちゃんはどうしてそんなにあたしに優しくしてくれるの? こんな落ちこぼれのあたしだよ? 何の見返りも無いでしょ?」


「それは勿論……」


「お兄ちゃんだから。って答えは今は欲しくないよ、お兄ちゃん……。あたしはお兄ちゃんの本当の気持ちが知りたいんだよね……」


「僕の……本当の気持ち……?」


「お兄ちゃんはあたしの事、本当はどう思ってるの? 今の時代、血の繋がりなんてほとんど意味が無いじゃない。家族で居るのが嫌になったら、いつでも施設から支援を受けられる。あたしみたいな役立たずの妹なんてすぐに他人になれるでしょ? それでもお兄ちゃんはあたしを見捨てずに守ってくれた。どういう理由で……、守ってくれてたの?」


「僕……、僕は……」


「あたしはね、お兄ちゃん。お兄ちゃんの事が好きだよ?」


「僕も好きだよ、好きに決まってるじゃないか、檸檬ちゃん」


「違うの。あたしが言ってるのはそういう意味の好きじゃないんだよ、お兄ちゃん。あたしは異性として……、男と女としてお兄ちゃんの事が好きなの。妹としてじゃなくて一人の女の子としてお兄ちゃんの事が好きなの」


「檸檬ちゃん……」


「だから、もう一度訊かせてよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんが今まであたしを守ってくれていたのは、単に妹を見捨てないお兄ちゃんで居たかったからなの? それとも、お兄ちゃんもあたしを妹じゃなくて一人の女の子として好きだったからなの?」


「檸檬ちゃん、僕は……」


「本当の事、教えて? お兄ちゃんはあたしの気持ち、受け取ってくれる?」


「……うん」


「えっ……?」


「うん、檸檬ちゃんの気持ち、受け取るよ。ううん、逆だね。僕の気持ちを檸檬ちゃんに受け取ってほしい。僕もずっと前から、檸檬ちゃんがずっとずっと小さかった頃から好きだったんだ。その気持ちを誤魔化していいお兄ちゃんで居ようと努力してたんだよ」


「本当……、本当に……?」


「本当だよ。ずっと押し殺してたんだ、この気持ち。でも、もう抑え切れそうにない。正直に言うよ、僕は檸檬ちゃんの事を一人の男として愛してるんだ。だから……!」


「お兄ちゃん……!」


「檸檬ちゃん……!」




     ▽




 スペースセツルメントの人工の夕暮れの赤の中、腕を大きく広げる『お兄ちゃん』の右耳の裏に手を伸ばして、あたしは溜息を吐きながらスイッチを長押しする。

 一時停止のスイッチ。

 五秒くらい押すと『お兄ちゃん』は部屋の中で機能を停めた。

 おかしいなあ、また失敗しちゃった。

 今回のシチュエーションなら上手くいくはずだったんだけどなあ……。

 前回は急に頬にキスしたから怒ってくれると思ってたんだけど、嬉しがられちゃったし。

 やっぱりお兄ちゃんって本当にあたしの事を一人の女の子として好きだったのかも……。ううん、そんな事無いよね、お兄ちゃんが妹の事を本気で好きとか普通に引くもんね。あたしの大好きなお兄ちゃんがそんな変態のはずないよね。

 中古のロボットにお兄ちゃんのデータを入力したのが悪かったのかなあ。演算能力が弱いから本当のお兄ちゃんを完全にエミュレート出来てないのかも、このロボット『お兄ちゃん』ってば。でも、一人暮らししててお金そんなに余裕無いし、この『お兄ちゃん』で頑張ってみるしかないよね……。

 そうじゃないと本物のお兄ちゃんともう一度顔を合わせられないもんね。

 もう二年前になるんだよね、あたしがお兄ちゃんにさっきと同じ様な告白をして同じ様に受け容れられちゃったのは……。あたしは本気じゃなかったのに。お兄ちゃんに叱ってほしくて嘘の告白をしたのに、まさか受け容れられるなんて思ってなかった。いや、おかしいでしょ、『お兄ちゃん相手に何を言ってるんだ!』とか叱るでしょ、普通は。それで仲良し兄妹は家族の絆を深めるもんでしょ……。

 あたしは叱ってほしかった。いつも優しくてあたしを守ってくれてるお兄ちゃんに叱ってほしかった。優しさだけじゃなくて厳しさを見せてほしかった。だってそうじゃないと本当に何でも出来るお兄ちゃんじゃないじゃない。単なる異性への下心で優しくしてるだけの下らない男と同じになっちゃうじゃないの。それで確かめたのにどうして妹の嘘の愛の告白なんて受け容れちゃうのかなあ、お兄ちゃんは……。

 ううん、そんなはずない、そんなはずないよね。

 お兄ちゃんは何でも出来るあたしの自慢の完璧なお兄ちゃんなんだから。あの時はあたしを傷付けない為にあたしの告白を受け容れてくれただけなんだから。あたしの告白がロマンティック過ぎて断りにくかっただけなんだから。そうに決まってるんだから。

 だから、あたしはロボットの『お兄ちゃん』で確かめなくちゃいけない。お兄ちゃんが本当はあたしの事を一人の女の子じゃなくてただの妹として好きなんだって事を。それを色んなシチュエーションで試して、告白に失敗して叱ってもらわなくちゃいけない。そうじゃないともう一度お兄ちゃんと笑って話せないじゃない。あれ以来気持ち悪くて一人暮らししてるけど、それさえ確かめられればまた同じ家で暮らせる。

 そう、そうだよ、お兄ちゃんは近親相姦を求める変態なんかじゃないんだから。

 出来損ないの妹をちゃんと叱ってくれる完璧なお兄ちゃんなんだから。

 その為に次の週末にはまた『お兄ちゃん』とデートしないと。デートした後に新しいシチュエーションで告白して今度こそ叱ってもらわないといけない。今度はいきなりパンツを脱がすのなんてどうかな。それなら流石に叱ってくれるよね? まあ、ロボットのパンツなんて脱がせても下半身には何も着いてないんだけど。

 おっと、その前に今日のデートの記録も消しておかなくちゃいけないよね。また二時間掛けて再インストールしなくちゃいけないのか……。電気代掛かるからそろそろ終わりにしたいよね、本当に……。

 でも、考えてみればこの『お兄ちゃん』にもずっと無理させてるよね。二年間、再インストールと再起動の繰り返しで電脳の調子もそろそろ悪くなりそう。『お兄ちゃん』に叱ってもらえたら、今度こそちゃんとしたお手伝いロボットに戻らせてあげよう。一般的なメイドの人格をインストールして立派に働いてもらうんだ。その方が『お兄ちゃん』もロボットとして幸せだよね。いつも苦労掛けてごめんね、『お兄ちゃん』。

 気が付けば部屋の中がかなり暗くなり始めていた。もうすぐ完全に夕陽が沈んで部屋の中は真っ暗になってしまう。その前に『お兄ちゃん』を自動モードで充電装置に移動させようとして、あたしは言ってなかった事がある事に気が付いた。

 あたしが檸檬って名前でからかわれた本当の理由。

 どうせ今の『お兄ちゃん』には聞こえないし言ってもしょうがない事だけど、いつも苦労掛けてる『お兄ちゃん』を労わってあげてもいいかなって何となく思った。まあ、単なる自己満足なんだけどね。

 それでも、あたしは独り言みたいに、ううん、独り言を呟いた。

 あたしの我儘にいつも付き合ってくれてるロボットの『お兄ちゃん』の為に。

「『優』秀なお兄ちゃんと違って、『檸檬』には英語のスラングで『不良品』って意味があるんだよ、『お兄ちゃん』」

 言った後で、あたしは『お兄ちゃん』と何となく唇を重ねてみた。

 長く長く重ねてみた。


 ………。

 ……。

 …。


 うん、やっぱり。






 ファーストキスは檸檬の味がした。

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