武士の進退

 お前さ、江戸に帰りたいとか思わんの?



 そう尋ねると、武士は少し考えていた。


 ――着の身着のまま、ある日突然現代日本へと飛ばされてしまったのである。当然心の準備なんてできていなかったろうし、残してきた家族や知人もいるだろう。

 私だったらどう思うかな、なんて想像をしてみた。

 だが、湧き上がったのはとある一つの思いだけだったので、これは違うなと押し込める。


 部屋は冷えている。

 このタイミングでおんぼろエアコンが壊れたせいだ。


 冷たいこたつテーブルに顎を乗せ、私は腕組みをして考える武士を眺めていた。


「……できることなら、帰りたくないな」


 武士の答えに、私は顔を上げる。

 意外にも、私の出した答えと同じだったのだ。


「会いたい者がいないわけではない。残してきたものが無いわけではない。だが」


 武士の細い目が、私を見つめる。

 息苦しさの無い沈黙の後、彼は口を開いた。


「――今から帰ったら、説明と始末でたいそう面倒くさいことになる」


 それだよなーーーーーーー!!!!


 私も同じこと思ってたんだよ!!!!


「心から帰りたくないと思う」


 だよな!!!!


 私も数ヶ月放置した仕事や人間関係を取り戻す作業はしたくない。

 絶対面倒くさいことこの上ない。


 しかも今全然衣食住困ってないんだろ? むしろ大満喫してんだろ? 私なら絶対帰らねぇわ。


 そしてそれは、コイツも一緒らしかった。

 武士は改めて、私に向かって頭を下げた。


「ので、まだしばらくは大家殿の元で厄介になろうと思う。よろしく頼むぞ」


 いや、同じ意見は認めるけど、それはそれとして出て行ってくれよ。

 お前がいるだけでエンゲル係数と電気代がエグいんだ。


 あと、このアパートってペット禁止でさ。


「関係ないだろう」


 無いかなぁ。


 とりあえず、本人の意思的には帰る気ゼロらしい。まだしばらくはここにいるようだ。

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