第21話 あたらしい扉

 いつものようにグラスを軽く合わせると、小気味いい音が響いた。

「お疲れ様」

「お疲れ!」

 仕事帰りに待ち合わせ、賑わうカジュアルレストランで美琴と向かい合うのは風香だ。

 二週間程前、作り直した風香のスカートが出来上がり各店舗に搬入された。美琴は本店でそのスカートを感慨深く並べた。今日はそのお祝いと、お疲れ様の会だ。

「けっこう評判いいよ。女の子っぽい格好が苦手っていうお客さんも購入されてたし、真夏と真冬以外、オールシーズンいけちゃうって人気だよ」

「ほんと? 嬉しいな」

 風香が安堵したように笑う。

「最初にあんなことがあったら、たいていのことにめげなくなるよね。昨日もさ、期限ぎりぎりで届いた生地が注文と違ったのに、全然動揺しなかったもん。自分でもびっくりするくらい冷静に対処して、先輩に鉄の心臓か!って呆れられたよ」

「ああ、それわかる!」

 美琴も勢いよく同意する。万引き事件以降、予想外のお客さんの言葉や動きにもずいぶん落ち着いて対応できるようになったと思う。少しずつだが自分でも成長してきたと思えて嬉しい。

 ほどよくお酒も入り楽しい気分になっていると、当然のように恋バナの流れになっていく。

「風香、誰かいい人見つけた?」

「……同期の戸倉ってわかる?」

 突然の名前に戸惑いつつも美琴は頷く。確か経理部で、研修中まとめ役になっていた子だ。

「最近やり取りしててね」

「え、いつの間に?」

 初耳だ。美琴は興味津々にテーブルに身体を乗り出す。

「今回のスカートの件、同期みんな知ってるでしょ。それで励ましてくれてさ」

 同期みんなで作っているSNSグループで時々会話をしているが、個人的に連絡を取っているとは思わなかった。

「付き合ってるの?」

「うん、まあそうなるかな? まだほんと、始まったばっかりだけど」

「うわあ、そうなんだ!」

 顔を赤くする風香は女の子の表情で可愛い。

「だから今回の件は悔しかったけど、こうなれたのはよかったかなーって」

「うーん、転んでもただでは起きないってやつだね」

「ちょっと、その言い方やめてくれる?」

 口を尖らせた風香が思い出したように話を戻す。

「美琴はいないの? 颯さんだっけ、アクセサリーの人とか?」

 パスタを食べかけていた美琴がむせる。

「汚いなあ、もう。当たり?」

「違うから!」 

 水を飲んで喉を落ち着かせる。でも、風香に訊いてみようか。

「長年想ってる好きな人との間を、横槍されたらどうする?」

「なにそれ? 誰かに横槍されてんの?」

「例えば、だよ」

 実際は横槍されたのではなく、する側になりかけた。美琴の問いに風香は眉を寄せた。

「そりゃ焦るよ。美琴だって急に現れた子に取られそうになったら傍観できないでしょ。私なら戦うなあ」

「そうだよね」

 もしかしたら十年以上も温めているかもしれない想いを横槍されそうになった。

 それなのに千春はいつも笑って美琴を迎えてくれた。それは颯の作品を広める夢を美琴が叶えられるからだろう。

 それほど颯の作るものを、颯のことを大切に想っている。

 颯は美琴を信頼してくれているけれど、その根底にはきっと、喜んでくれる千春がいるから次々と作品を預けてくれている。

 今は素直に温かい気持ちで応援できる。

「どうしたの? なんか嬉しそう」

「ううん。ありがと」

 颯とは一番初めのサプライヤーという関係を大切にしていきたい。日高と相馬のように。

「そういえば日高さんは?」

 急に出てきた名前に、心臓が思いのほか反応して焦る。

 あれからも日高の態度は変わらずいつも通りで、仕事では厳しいけれど一緒に食事にも行く。一ヶ月近く経つのに返事を催促されることもなく、どう受け取ればいいのかわからずにいる。

「なにかあったでしょ」

 好奇心いっぱいの目でのぞきこまれ、でもその奥では美琴を心配してくれていることがわかる。しばらく思い迷って、美琴は白状した。

「付き合ってもいい、みたいなこと言われた」

「……なんなの、その上から目線は」

 俯いてぼそぼそと白状する美琴に、風香が思いっきり引いた。慌てて訂正する。

「私の言い方が悪いだけ! いろいろあって。私の好きにしたらいいって」

「なんで投げやり? ほんとに告白なの?」

 顔をしかめる風香に美琴は追いすがる。会話を全部話すのは説明も大変だし照れくさい。ポイントだけ拾って話すのは、口の上手くない美琴には難関だ。

 結局、あれもこれもと話してしまう。


「それ、そこがもう勘違いじゃない?」

 風香が突っ込んだのは、日高が小村のことを想っていると確信した表情だ。

「だって、ほんとにやさしい顔してたんだよ」

「だから、それは小村さんに対して、美琴を励ましてくれて感謝っていう気持ちでしょ」

「うそっ。なんでそうなるの?」 

「まあ、こまめに食事に行く時点でそうだと思ったけど」

「どうして?」

「普通、友達でもないのにしょっちゅう食事に誘わないでしょ」

 一人暮らし同士だからという美琴の理由はあり得ないのか。突然突き放されたような気持ちになる。

「日高さん、気の毒ー」

 憐みの目を送ってくる風香に、美琴は肩身が狭くなる。

「いつだったか、家まで送ってくれたじゃない。あれだってフツーはないから」

「あれは心配してくれて」

「ただの上司がそこまで部下を心配するわけないでしょ! うちの上司が家までついてきたら警察沙汰にするわよ。……それで美琴はどう思ってるのよ」

 風香に正面から向き直られ、美琴は自分の気持ちを探る。

「尊敬はしてるけど、違いがよくわからないし」

「簡単よ。日高さんに彼女ができるのを心から喜べるかどうかってこと」

 あっさりと風香に言われ、美琴は単純に想像してみる。

 もし彼女ができたら?  

 仕事以外で美琴との接点はなくなる。二人で食事に行くこともないだろう。もちろん、支えてくれる手もなくなる。考えただけで動揺している。

 誰よりも日高に褒めてもらえることが嬉しいと思っていることに気づく。

「尊敬や憧れだけなら、彼女ができようが結婚しようが素直に祝福できるもんよ」

 目に入った鞄から、ちらりとキーケースが覗く。津島工房からもらった物だ。あのときもたくさん助けてもらった。美琴のことを誰より見てくれている。それはたぶん、仕事だからという理由だけじゃない。

「妄想で泣かないの」

「まだ泣いてない」

 風香に吹き出され、美琴は言い返した。それでも「まだ」と言える程度の反抗だ。

「行ってくる? この時間ならまだ仕事してるんじゃない?」

 頷いて美琴は立ちあがった。

「ごめんね、途中で」

「いいよ。あいつ呼ぶから」

 そっちが目的?と思わず突っ込みそうになったけれど、それが風香流の応援だと知っている。

 大雑把な割り勘分を風香に渡し、美琴は外に出ると携帯を握りしめた。コール二回で繋がる。

「どうした? 寺沢と会ってるんじゃなかったのか?」

 昼間なにげに話した会話をちゃんと覚えてくれている。

「今、どこですか?」

「会社前で信号待ち」

「そこで待っていてください」

 美琴は返事も聞かず、電話を切ると駆けだした。ここから走れば十五分とかからないはずだ。今日は寒いくらいの気温だけれど、上気した美琴の頬は風の冷たさも感じない。

 見慣れた景色に出ると、日高は横断歩道から少し離れたビルの壁に背を預けていた。

「走ってきたのか?」

 驚いた表情の日高を見上げる。

「日高さん、私やっぱり無理です」

「……え?」

 日高の顔が強ばった。その表情に美琴を不安が襲う。

 返事が遅すぎた? 間に合わなかったんだろうか。

 風香に掻き起された気持ちが渦を巻く。

「日高さんに彼女ができたら悲しいです」

 一瞬間をおいて、

「ほんっとにおまえはー…」

 日高の盛大なため息が落ちてきた。

 なんで?と思った瞬間、美琴の頭に日高の手が載った。

 そのまま髪を撫でられる。その温もりが嬉しい。

 いつからだろう、日高がそばにいると安心するようになったのは。

「俺飯まだなんだ。付き合え」

 歩き出した日高の掌が、美琴の掌を包んだ。


             


 搬入される商品に冬物が届き始めた。ファーやニットのふわふわとした手触りは気持ちまで温かくしてくれる。

 美琴はペアになっているバングルを並べた。男性物はシンプルなライン、女性物は同じラインに沿って細かく飾りが彫ってある。ペアで購入してもらえるよう二つをまとめて留めた。

 もう一組は、お揃いの星をモチーフにしたトップのネックレス。男性と女性で、チェーンが違う形になっている。

 颯はときどき、ペアの作品も作ってくれるようになった。入荷するとあっというまに売れてしまうほど、人気が高い。

 素敵な人たちに届きますようにと、いつものように願う。

 美琴の担当する新しいサプライヤーも増えた。打ち合わせや契約で出張も多くなったけれど、お客さんとの懸け橋になれることにやりがいを感じる。

 お店に入るとお客さんに声をかけられることも増えた。美琴の選ぶものをシンプルで合わせやすい、体型をカバーしてくれると喜んでくれるお客さんとの出会いが嬉しい。

「美琴ちゃん、こっちお願い」

 山崎に呼ばれて通りに面したショーウインドへ立った。窓に沿ってお店の床より一段高く作られたコーナーは、開店までブラインドが閉めてあり通りからは見えないため、豪快にマネキンの手足を動かす。

 飾るのは入荷されたばかりのワンピースとコートだ。ポーズをつけストールも巻く。段違いの棚には津島工房から届いた新作の鞄を色違いで並べた。

「うん、いいわね」

 小村に合格をもらい、段を降りる。

 最近はサプライヤーとの打ち合わせばかりだったので、久しぶりの店舗だ。胸に付けた名札もすっかり見慣れた。

 入荷伝票を小村と並んでチェックしていると、横から追加の束が差し入れられた。顔を上げると日高だ。

「午後から打ち合わせ入ってるからな。忘れるなよ」

「ちゃんと覚えています!」

 ずいぶん前の失敗を取り上げられてつい唇が尖った。日高は笑って事務所へ入っていく。

「美琴ちゃん、日高くんとお付き合いしてるの?」

「えっ、どうしてですか?」

 小村にさらりと訊ねられ、認めているとしか思えない返事をしてしまう。社内恋愛は自由だけれど、日高も美琴も仕事とプライベートは分けているつもりだ。

「美琴ちゃんは変わらないけど、日高くんはあれじゃあねえ。全然雰囲気違うもの」

「そうですか? 今までと同じに思えますけど…」

「私の目はごまかせないわよ。どっちからか聞いていい?」

「日高さん、かな」

 いや、きっかけは自分かも?もごもごと呟く美琴に、「やっぱり」と不敵な笑みを浮かべる。

「ほんとわかりやすいわねえ」

 くすくすと笑いながら事務所へ目をやる。

 日高の師匠である小村だ。いろいろ知っているのかもしれない。今度日高に内緒で聞いてみようと企む。

「十時ね」

小村は腕時計を確認すると店長の顔になった。美琴も気を引き締める。

「開店します」

 その声に、店内の空気が変わった。

 今日はどんな出会いがあるだろう。

 やって来る人たちに幸せな時間を過ごしてもらえますように。

 美琴は扉を開けた。

 

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はじまりのクロスロード 楠木はる @natsuki13

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