第20話 つながる点と点
クリスマスへ向けた作品の詳細を詰めると、美琴は二人に挨拶をして席を立った。
お店を出てそっと窓越しに伺うと、颯がリラックスした表情で千春と笑い合っている。その光景に大きくひと息つく。
憧れと尊敬と好きな気持ちは、境界線がよくわからない。うっかり勘違いしそうになった自分に笑ってしまう。
駅へ向かおうと歩き出すと、後ろから名前を呼ばれた。
振り向くと、視線の先に立っていたのは暁人だった。
思いがけない登場に、どんな顔をしたらいいのかわからず、とっさにこわばる。
「美琴ちゃんが来てるって千春が教えてくれたんだ。すぐに顔見せる勇気がなくてごめん」
硬直する美琴に、暁人も複雑な表情を浮かべながら近づいてきた。
暁人と向かい合う形になり、お互い沈黙する。どう切りだそうか迷っていると、突然暁人が頭を下げた。
「美琴ちゃん、この間は本当にごめん」
その殊勝な態度は普段の暁人から想像できないもので、反省の度合いが伝わってくる。
「私こそ言い過ぎました。すみません」
お互い頭を下げる図に、通りかかる人たちがなにごとかと視線を投げてくる。
「私の担当でもないのに。友達が作った商品に使われていたから、頭にきちゃったんです」
「違う。俺が先のことなんにも考えてなかったんだ。あのとき言われたこと、すげえ刺さった」
美琴は自分の放った台詞を思い出す。
「あれは私が日高さんから言われたことなんです。受け売りであんなこと言っちゃって、半人前なのに偉そうにすみません」
「いや、言われてよかったよ。親父や先輩もずっと同じこと言ってくれたのにずっと聞き流しててさ。美琴ちゃんに言われたらガツンと入ってきた。もう同じ間違いはしない」
暁人は落ち着いた目の色をしていて、口先だけじゃないと感じられる。
美琴と暁人は目が合って、小さく笑い合う。
「俺の工場はもうGROWとは関われなくなったけど、颯のことはよろしくな」
「もちろんです。心入れ替えたマネージャーさんが有能ですし」
大きく頷くと、暁人は「容赦ないな」と笑った。
「あとさ、前にいらないこと言ってごめん」
なんのことかわからず首を傾げる美琴に、暁人がまた頭を下げた。
「さっきのことじゃなくて?」
「違う。颯と出会ったときのことを茶化すみたいな言い方しただろ」
美琴は慌てて首を振った。
「ほんとはさ、俺が千春を振り向かせたかったんだよ。あれから千春と颯がぎこちなくてさ。美琴ちゃんまで巻き込んで、みんなを嫌な空気にしちゃってごめん」
そういうことかと合点がいく。つい乗ってしまいそうになった自分に呆れてしまう。ただ颯の作品が好きで尊敬する気持ちを、煽られただけで勘違いしそうになるなんて。
「美琴ちゃん、いい子だし颯と気が合うみたいだし、颯が美琴ちゃんに向けば、もしかして俺にもチャンスができるかもって思っちゃって。でも千春は落ち込むだけで、全然隙なんかなくて。やっぱり颯しかいないんだよな」
暁人は両手を膝につくと、深く頭を下げた。
「さっきから謝ってばっかだけど、本当にごめん」
「颯さんのことはサプライヤーとして尊敬してます。颯さんの作品に会えたことは嬉しいですけど、ほんとうにそれだけですよ」
美琴は笑いながら早口でまくし立てていた。
「それに私、彼氏いますから!」
「うわっ、そうなの?」
なんとか話を片付けようと頭を巡らせていたら、思わずとんでもないことが口から飛び出した。暁人も目を丸くしている。
「本当に俺サイテーなことしちゃったな。もしかして一緒に来た会社の人? 雰囲気よかったもんな」
「ええっ?」
会社の人って日高のこと? 雰囲気がいいってなに?
一人でパニックを起こしつつ、否定するとわけがわからなくなりそうで、美琴はその場しのぎに丸ごと肯定した。
「そうです! だから、だから大丈夫です」
「そっかあ。仕事出来そうないい男だったよなあ。やっぱ男は仕事できなくちゃな。俺なんかダメだ。そりゃあ千春だって颯がいいよな」
「暁人さんだっていいところたくさんありますよ。これから出会えますって!」
「それって、やっぱり千春には望みないってことだよな」
「いえ、そういうわけじゃ…」
どんどん落ちていく暁人を無我夢中で励ましていると、
「北川?」
聞こえるはずのない声に驚いて振り返ると、そこには日高の姿があった。
暁人が息を飲み、日高に向けて大きく腰を折る。
「日高さん、先日は本当にすみませんでした」
「いえ、その件はもう終わったことです」
日高が掌を向けて、暁人を押し止める。
「俺、仕事をなめてて、本当に反省しています。これからは颯をよろしくお願いします」
「こちらこそ。浅野さんは大事なサプライヤーさんですから」
穏やかな日高の声に、暁人が顔を上げた。
「俺も、誰かにそんな風に言ってもらえるようにがんばります」
暁人のすっと伸びた背中に、なにかが変わったことを感じられる。
「それじゃ失礼します。お二人の邪魔してすみませんでした!」
言い残して駆けていく暁人に、日高が眉間に皺を寄せた。美琴は言葉が出ない。
「今のどういう意味だ?」
「あの! 日高さん、どうしてここに?」
怪訝な顔の日高から話題を変えようと、美琴は必死に言葉をかぶせた。
「さっき、あいつから会えないかって連絡もらったんだよ。この近くで打ち合わせがあったから、その帰りならって返事してたんだ。おまえも一緒の方がいいかと思って電話入れたんだけどな」
日高がこの近くにある、リネン雑貨を扱っているサプライヤーの名前を出した。 慌てて鞄から携帯を取り出すと、日高の着信履歴が一件残されている。
「すみません、気づかなくて」
「いや、いい。あいつとは円満解決したんだな。浅野さんとの契約は?」
「問題ないです。カップル向けもOK貰えたんで」
「カップル向け? おまえが提案したのか?」
はっと慌てて両手で口を覆う。
「なにか企んでいるとは思ったけどな」
日高は呆れつつも、どんな企画だ?と重ねて尋ねてきた。美琴は縮こまりながら、鞄から簡単な企画書を取り出した。颯から了承をもらったら日高に提出しようと思っていたものだ。恋人、家族、大切な人へのプレゼントを贈るイベント仕様を考えていた。
駅までの道のりをゆっくりと歩きながら、日高が企画書に目を通す。
「悪くない。浅野さんからもOK貰えたんだな。部長へ通すぞ」
「ありがとうございます」
頭を下げると、日高が覗きこんできた。
「うまくいったのに、なんでそんな顔してるんだ」
「そんな顔って失礼ですね。元々です」
普通にしているつもりなのに、どうして奥底がばれてしまうんだろう。
「なにがあった?」
笑顔で返しているつもりなのに、日高は若干怒ったような口調だ。美琴は観念して、あえて明るく口を開いた。
「ちょっと勘違いしちゃって、ほんとバカだなーって自分に呆れてるだけです」
なんてことのないよう伝わるように、笑いながらこたえる。
颯の作る物も、それを作り出す手も仕草も好きだと思う。颯の美琴に対する態度も言葉も、仕事で繋がっているからもらえるものなのに、暁人の茶々を真に受けそうになった。
「なんだ? 失恋でもしたのかと思ったぞ」
「失恋⁉ なにふざけたこと言ってるんですか…」
日高からそんな言葉が出てくると思わず、できるだけ軽く返す。
笑おうとしたのに心から笑えない。
そうなのかな。
すごくショックを受けたわけじゃない。ただ少し苦しかっただけだ。
「自分が選んだサプライヤーなんだ。誰よりも作品に惚れてあたりまえだろ」
どこまで知ってこんなことを言うんだろう。
不思議に思いながらも、日高の声にすとんと腑に落ちた。
そうか、颯の作品を誰より好きでいていいのか。そこは千春に負けないって言いきっていいのか。
自然と歩くペースの落ちた美琴の歩調に、日高が合わせてくれる。
「おまえって泣かないよな」
「前に泣いた気がしますけど」
「でも、他人が関わらないと泣かない。自分のことで泣いたっていいんだぞ」
響いたやさしい声に視界がぼんやりと滲んでくる。踏み止まったつもりでいたのに、気づいたらすこし乗り越えてしまっていた行き場のない気持ちを抑える。
「おまえはいつも、どうしてこうなんだか…。また他人のために自分が傷ついて」
「また?」
なんのことかわからず首を傾げると、日高が微笑むように美琴を見ていた。
「面接の日、おじいさん助けただろ」
日高の言葉に記憶が蘇る。
「えっ、どうして知って…?」
「その人、飯田工業の社長だったんだ」
飯田工業ってどこかで聞いたことがある。どこだっけ?
「前に話しただろ。うちと昔から洋裁部品で取引のあった工場だ」
美琴の疑問を読んだ日高の返事に納得する。
「おまえ、社長が落とした荷物拾ってあげたとき、GROWの面接だって話しただろ。おまえと別れたあと、飯田社長が製造部に電話してきたんだ。もしかしたら時間に遅れるかもしれない、申し訳ない、なんとかしてやってくれって」
GROWの紙袋を目にして、呑気に世間話のように話したことを思い出す。
「飯田社長からの伝言は面接会場に回ってきて、手伝いに駆り出されてた俺が受けたんだ。受付に訊いたら一人だけ来ないヤツがいたから、きっとこいつだなってわかった。案の定遅れてやってきたけど、謝るだけで全然言い訳しないし、そのまま帰ろうとするし」
日高は、そのときの様子を思い出したのか可笑しそうにしている。
あのとき受付に日高もいたのか。細かいところは覚えていない。ただ、これからどうしようという不安だけだった。
「面接なんて大事な時間が迫ってたら、普通は気になっても心で詫びつつ自分優先なんだよ。それをおまえは…」
呆れているのか、日高はため息混じりだ。
「すみません。大切な物かと思ったので」
散らばった小さな部品を思い出す。洋裁部品だと言われたらそうだったかもしれない。
日高が少し間をおいて、ゆっくりと言った。
「大切だったんだよ、社長にとっては。最後の製品だったからな」
「え……」
「ご高齢で跡取りもいなくてな。おまえと会ったあの日、最後の納品に行くところだったんだよ」
思い返せば、あの小さな紙箱は製品の入った箱だったのかもしれない。
ばら撒いてしまった製品に悲壮感が押し寄せたところに、美琴が手を貸した。
「だから、本当に感謝されてたぞ」
社長から聞いた電話の内容を話してくれた日高は、伸ばした手で美琴の頭を撫でた。その掌はとても温かくて、気持ちが落ち着いてくる。美琴の涙が零れたが、それはさっきとは違う意味だ。
あのときの出会いが、こんなにもいろんな人へと繋がっていくなんて思いもしなかった。
気づけていないだけで、ほんとうはいつも、いろんな出会いが交差しているのかもしれない。
「おまえはミスも多いけど、人の気持ちに寄り添う力は強い。俺はそれが一番大事なもんだと思ってる。だから自信持て」
日高の言葉が一つ一つ飛び込んでくる。頷いた美琴は泣き笑いで日高を見た。
「ありがとうございます。元気でました」
「よし。……そういや、さっきのあいつの言葉はなんだったんだ?」
ふいに思い出したように日高が訊かれた。美琴はごまかす方法がわからず、渋々白状してしまう。
今度否定しておきます、そう言いかけたら日高は珍しくにやりと笑った。
「俺は否定しなくてもいいけどな」
「なに言ってるんですか! 小村さんがいるのにそんなお気遣い結構です」
慌てた美琴に向かって、日高が眉間にしわを寄せた。
「なんでそこで小村さんが出てくるんだ?」
「だって、日高さんって小村さんのこと」
一瞬間が空いて、日高が声をあげた。
「あー、わかった。そういうことか! ほんっとに、どんな勘違いしてるんだよ」
日高は呆れたように大きくため息をつく。
そういうことってどういうこと?
なにかを一気に解決したらしい日高の頭の中にまったくついていけない。
「ほら、帰るぞ。契約書持ってるなら直帰できないぞ」
「わかってます。でも勘違いって? じゃあさっきの話は…」
「俺はって話だ。おまえの好きにしたらいい」
美琴は飲み込めない話に、頭の中がいっぱいいっぱいになった。
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