第19話 信じあえるもの

 藤井から日高へ一通のメールが届いた。

 日高のパソコン画面を、美琴も横から覗きこんで読む。

『メタルボタンに関する経緯と今後について。二〇××年、有限会社村上工業と契約。契約時に提出されたサンプルは社内テスト評価でAだったが、今回納品されたメタルボタンは契約と異なる素材が使用されており、社内テストにて強度に問題ありとの結果。その他のパーツにも評価テストC判定があり、継続契約は破棄。今後は(株)星野製作所との取引とする。

 今回問題となった製品を使用し、販売延期となっていたオリジナルブランド商品に関しては、ボタン部分を新製品に替え、一カ月後に販売予定とする』

 一緒にサンプルテストの結果や星野製作所のデータが添付されていた。

 二〇××年だと、ここ数年の話だ。

「村上工業の前は、どこと契約していたんですか?」

「設立時は飯田産業だった。個人経営の小さな工場だったけど、製品はしっかりしてたな。ご高齢なこととご病気もあって、少しずつ閉めていきたいって話で契約を終了したんだ」

 美琴の知らない経緯に納得する。

 日高は早速、メールの内容を吉岡へ送り各店舗への連絡を依頼した。吉岡は同時に販売告知も上げてくれるだろう。

 こんなメールの送り方一つや、依頼方法も見せてくれるだけで勉強になる。日高の相変わらず恐ろしく早く正確なタイピングで出来上がっていくメールのポイントをメモしながら、美琴は今日の予定を思って小さく息をついた。

 

 あの日以来、暁人とも颯とも会っていない。

 ほとぼりがもう少し冷めるまで会いたくなかったけれど、昨日颯の指輪に初めてサイズ注文が入り、これから颯の工場で打ち合わせだ。

 遠方のサプライヤーとは郵送でのやり取りがメインだけれど、颯の場合は持参した方が早い。だけど、もし暁人に会ったらどんな態度に出ようかと想像するだけで頭痛がしそうだ。

「ついて行ってやりたいとこだが…」

 口調はやさしいが、美琴の気持ちを読んでいる日高は少し意地悪そうに笑う。

「日高さんは午後から会議ですよね。万が一会っても喧嘩は売りません」

 日高は声を出して笑い、美琴はそれを無視して、出来上がったばかりの新しい契約書をチェックしてください!と目の前に突き付けた。

 契約書の作成は任せてもらえるようになった。次は日高のチェックなく通ることが目標だ。

「へえ、二つも注文来たんだな」

「カップルだそうです。彼氏さんがこれならつけてもいいって言われたそうですよ」

 本店でお客様の応対をした平野が教えてくれた。

「なるほどな。たしかにあのデザインなら、いかにもって感じじゃなくていいかもな」

「ですよねー…」

 相槌を打ちかけた美琴は何かを模索するように、視線が宙で止まった。しばらく思考を巡らせる。

「どうした?」

「いえ、なんでもないです。契約書これでいいですか?」

「ああ。またなにか、よけいなこと考えついたんじゃないだろうな」

「ち、違いますっ。行ってきます!」

 疑るような日高から目をそらし書類をまとめて鞄に入れた。何気ない風情を装いつつ、頭の中で思いついたアイデアを色付けながら。



 いつも通り開け放された工場の入り口から覗くと、金属の板を運ぶ工場長と目が合った。

「おう、美琴ちゃんか。毎回ご苦労さんだな」

「こちらこそ、お忙しい中お邪魔させて頂きます」

「颯は奥にいるぞ。そっちの端通ってな」

「はい。失礼します」

 美琴の通る反対側では、金属の板を大きなローラーにかけている。何を作っているのかわからないけれど、ここでしかできない物が生まれるのだろう。

 工場内の奥へ進むと、腕を組んだ颯が作業台に広げた設計図のような紙を見つめていた。

 じっと見つめる颯の目はなにを描いているんだろう。

 邪魔をしたらいけない気がして、美琴は少し離れて見守った。

 しばらくすると納得したような表情で小さく颯が頷き、あたりの空気が緩んだような感覚になる。美琴も思わず詰めていた息を吐くと、颯がはっとしたようにこちらを見た。

「こんにちは」

「声かけてくれたらよかったのに」

「集中されていたから、お邪魔しちゃいけないかなと思って」

 颯はふっと笑うと紙をくるくると丸め、事務所への扉を開け促してくれた。

 いつものように、応接セットのソファを勧められて向かい合う。

「サイズ注文なんですが、彼氏さんがペアリングを照れて嫌がっていたのに、このデザインなら着けたいって言われたそうですよ」

 契約書の確認をしながら説明する。九号と十三号。寄り添うリングを羨ましく思う。

「それでですね、ちょっと思いついたんですけど」

「……なんだよ」

 美琴が体を乗り出すと、颯が引き気味になった。

「冬のイベントに向けて、ペアの物を作られませんか?」

「は?」

 予想通り、颯は顔をしかめたが、美琴は気にせず続ける。

「クリスマスがメインですけど、ネックレスとかバングルとか、最初からペアで作って頂けたらと思いついたんですが」

「……ほんっとに信じられねえヤツだな。口出ししないって言ったのはどの口だ!次から次へと」

 机に身体を乗り出した颯が、美琴の頬を両手で挟んだ。そんな手に来ると思わず、触れる颯の指に美琴の顔が赤くなる。

 そのタイミングで事務所の裏口が開いた。頬を触れられたまま美琴が振り向くと、立っていたのは千春だった。颯がぱっと手を離す。

「お取込み中ごめーん。さっきのカップ取りにきただけよ」

 そう言って慣れた様子で入ってきた千春は給湯室へ入ると、コーヒーカップをお盆に載せて出てきた。お客さんがあったのだろう。美琴と目が合いにやりと笑う。

「仲いいじゃない」

「そんなんじゃねーよ」

「私が無茶言って怒られただけですから」

 千春から颯が目を逸らしたのに気づく。なんだろう。微妙な空気が流れている気がする。

「ごめんね、お邪魔しましたー」

「なんだよ、その言い方は」

「別にぃ。美琴ちゃん、時間あったらうちにも寄ってね」

 二人の間で戸惑っていると、作業場から工場長が顔を出した。

「颯、東工電機の吉田さんが来られたぞ。予定より早く着いたから、都合悪いならどっかで時間潰してくるそうだ。どうする?」

 東工といえば家電業界の最大手だ。美琴は反射的に立ち上がった。

「私、また後で来ます」

「勝手に早く着いたのは向こうだぞ。気遣わなくていい」

「でも、ゆっくり打ち合わせしたいですし。…貸しが出来るので」

 美琴がにっと笑うと、颯は顔をしかめた。

「悪いな。終わったら呼ぶから。千春頼む」

「東工なら二人組かしら」

「足りなかったら電話する。店で美琴ちゃん待たせてくれるか」

「りょーかい」

 千春は間延びしたような返事をしてお盆を片手で器用に支えると、美琴を裏口へ促した。工場の裏口と喫茶店の裏口は向かい合わせになっていて、表から回るよりも近い。


 鍵のかかっていない裏口に不用心だなと思いながら千春について店内に入ると、テーブル席には数組のお客さんがいた。

「留守番ありがとうございます」

「おかえりー」

「誰も来なかったわよ」

 カウンターから声をかけた千春に、お客さんたちがにこやかにこたえてくれる。 作業着を着たおじさんや、ラフな格好のおばさんばかり。

「昔からの常連さんだから、留守番頼んでも大丈夫なの」

 驚く美琴に、千春がくすっと笑った。お客さんから愛されているお店なんだと感じる。

「美琴ちゃん、なににする?」

「ミルクティーをお願いします」

「かしこまりました」

 千春はティーポットに茶葉を入れお湯を注いだ。小鍋で牛乳を温め、その間に持ち帰った食器を手早く洗い、後ろの棚から違うコーヒーセットを四脚並べ、コーヒーを丁寧に淹れカップに注ぐ。

 美琴の前へミルクティーを出し、お盆にコーヒーを載せると「ちょっと待っててね」とまったく無駄のない動きで裏口から出て行った。

 カウンター横の小窓から、千春が工場の裏口へ向かう姿が見てとれる。

 しばらくして手ぶらになった千春が現れた。

 窓越しにぼんやりと目で追っていると、立ち止まった千春の右手の指先が、そっと左手首、颯のブレスレットに触れた。引き結ばれた千春の横顔に、美琴の胸も締め付けられる。

 すぐに手を離した千春は、なにかを吹っ切るように歩き出した。

「お待たせ! エリート企業さんはお堅い感じねー。挨拶聞いてるだけで肩凝っちゃう」

 僅かな時間をおいて裏口から戻ってきた千春は、屈託のないいつもの様子でカウンターへ入った。さっきの張りつめた表情は欠片も見えない。 

 お客さんたちがそれぞれ席を立ち、会計を済ませた。

 千春は手早くテーブルを片付け、美琴が手伝いに入る隙もないほど滑らかな動きは、作品を作る颯の手によく似ている。

 ぼんやりとその動きを眺めていたら、「いたっ」と千春の手が小さく跳ねるように動いた。

「どうしたんですか⁉」

「ごめん、びっくりさせて。ちょっと切っちゃっただけ」

 カウンター越しに覗くと、ピーラーの刃が当たったらしく、千春の左手、人差し指の先から血がにじんでいる。

 千春はシンク横の引き出しから絆創膏を取り出した。

「貸してください。やりますよ」

「ごめんね、ありがとう」

 カウンター越しに千春の指に絆創膏を巻く。そんなに深い傷ではなさそうだ。 

「そういえば美琴ちゃん、この間はありがとうね」

「えっと……?」

 何に対してのありがとうかわからず戸惑う。

「暁人を叱ってくれたこと。美琴ちゃんに言われてけっこう反省したみたいよ」

「見ていたんですか?」

「暁人から聞いたの」

 暁人が自分から言うとは思わなかった。

「いえ、私も言い過ぎて…」

「ううん、暁人が悪い。あり得ないでしょ、気づいていたのにごまかすなんて」

 お店を切り盛りしている千春だ。その感性は美琴と同じようで安堵する。

「暁人が颯を傷つけたことも、美琴ちゃんが怒ってくれたんでしょう? ありがとうね」

 それをありがとうと言えるのは、幼馴染だからだろうか。それとも…

 そうだとしたら、さっきの颯とのやり取りはどう見えただろう。

「美琴ちゃんが颯を見つけてくれたことは、本当に嬉しいよ。私は颯の作品を、もっとたくさんの人に知ってもらえたらってずっと思っていたから」

 千春が美琴に向かって微笑む。その笑顔はとてもやさしくて、そしてとても切ない。

「颯、今までどんなところからオファーが来ても断っていたの。お金を積んでくるところは端から相手にしないし。感覚で決めるタイプだから、話持ってきてくれる人と合わないっていう理由がほとんど。それなのに、美琴ちゃんにはOKしたことに嫉妬しちゃって……ごめんね」

 まっすぐに美琴を見つめる千春の浮かべた表情は、笑っているのに泣きそうに揺らぐ。その目は千春の思いを載せていて、美琴は慌てて首を振った。

「タイミングがよかっただけです。嫉妬なんておかしいですよ。さっきのことはほんとに怒られていただけですから。……千春さん、颯さんのこと?」

 美琴は座った姿勢から見上げる形でそっと尋ねる。

 千春は一瞬表情が固まり、それからふわっと笑った。きれいな、穏やかな表情で。

「美琴ちゃんみたいに、めげずにまっすぐ追いかけられたらいいのにね」

 

 ああ、やっぱり……こたえに納得して、千春の手首に目がいく。

 銀色に光るブレスレット。

 ふいに颯から聞いた話を思い出した。誰かを励ましたくて作ったという作品。

「そのブレスレットって、颯さんの最初の作品なんですか?」

「あ、うん。中学の時に私の母が亡くなってね」

 思いもしない話に、こちらから訊いておきながら戸惑った。

 千春はそんな美琴を気にした様子もなく、穏やかなまま続ける。

「けっこう落ち込んでたときに、颯が作ってくれたんだ。このモチーフの小花、母親が好きだったブルースターっていう花なの」

 お店の名前もブルースターだ。

 颯が励ましたかったと言った言葉に繋がる。

「あのときはすごく嬉しくて、元気出たなあ。颯の作るものには力があるって思ってるの。だから他の誰かのことも、こんなふうに力づけられるんじゃないかなって。これ、颯には内緒ね」

 ああ、なんだ。

 お互いきちんと相手の気持ちが伝わってるじゃないか。

 

 そのタイミングで裏口の扉が開き、お盆にコーヒーカップを載せて颯が入って来た。

「鍵閉めとけよ。不用心だろ」

「ごめん、うっかりしちゃった。カップ取りに行ったのに」

「いいよ。ご馳走さん、美味かった」

 お盆を渡す颯のタイミングや受け取る千春のその自然なやり取りだけで、二人の間に流れるものを感じられる。どうして気づけずにいたのだろう。

「早く終わったし、こっちで話してもいいかと思って。待たせてごめんな」

「お喋りできて楽しかったです」

 ドアベルの音とともに、新しくやって来たお客さんに千春が応対する。

「で? さっき戯言を言い残していった気がするけど」

「戯言じゃないですよ! 提案です、提案」

 憮然としながら、颯に身体を向けて仕事モードに入る。

「颯さんの作品なら、ユニセックスでワンポイントお揃いになってる感じがいいかなあ。あっ、もちろん颯さんの思うように作ってください。私の勝手なイメージで話してるだけなのでダメだったら断ってください……」

 口を出し過ぎたと気づき、だんだんと語尾が小さくなる美琴に颯が苦笑する。

「そんな具体的に言われたらデザイン浮かぶだろ」

「えっ、もう?」

「ぼんやりとだけどな」

 颯は「結局乗せられちゃうんだよな」と溜息をついた。諦めでも呆れてでもなんでもいい。期待が膨らむ。

「ちょっと仕事が立て込んできたから、いつになるかわからないぞ」

「急がないです! あ、でも、できればクリスマスには間に合って欲しいです」

「そこはわかってる」

 最初から話をきちんと聞いてもらっていたことに嬉しくなる。

「よかったわね、美琴ちゃん」

 カウンターの向こうで食器を拭いていた千春が笑う。

 その瞬間、颯が渋い顔をした。

「どうしたんだよ、その手。さっきしてなかったよな」

 颯が絆創膏に気づいたらしい。険しい表情を向ける。

「ちょっと切っちゃっただけ。大丈夫よ」

 慌てたように千春が手を隠した。

「痛むのか?」

「全然平気よ」

「ほんとか? 気をつけろよ」

 颯の少し怒ったような声。それが本気で心配しているものだと気づく。

「はあい」

 千春が肩をすくめて、美琴へ苦笑いを送ってきた。

 美琴も笑って返す。

 二人の話す雰囲気、もうそれだけでわかるのに。

 どうして気づかずにいたんだろう。 

 二人のやり取りを、美琴はなんだかすっきりとした気持ちで見守っていた。

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