第10話 ユウジ その3(終わり)
もうカッコつけることも、ウソをつくことも、カナちゃんにどう見られたいかとか、そういったことに意味がないってことに気づいた。カナちゃんは、オレがどんなクソ野郎だとしても、好きでいてくれるだろう。オレがつまらないウソをついたとしても、地下牢にとじめて、剥製にされたとしても、その愛には変わりはない。
ユイと付き合っていた時、ユイを外で待たせることはあっても、2Kの三人暮らしの団地の中に入れることはなかった。
「おじゃましまぁす」
玄関で靴をぬぐと、すぐ目の前がダイニングなので、そこに妹が座っている。
「妹の、マナちゃん?」
マナは驚いて、「あ、はい」と緊張している。
「すごーい。ユウジ君と似てる」
マナは緊張しながらも、「よく言われます」と返事した。
「中二だよね。大きいね」
「はい。173あります」
「わぁ、うらやましい。私より15センチくらい高い」
「部活とか、何やって…………」
いつまで話しているかわかったもんではないので、カナちゃんの手を引いた。
「こっち」
オレとマナは同じ部屋で、二段ベッドがある。マナが女の子らしいアイテムを一切置かないので、男の部屋にしか見えない。オレはキャンバスケースを壁に立てかけた。エアコンのリモコンを手にすると、なぜか「ダメ」と、カナちゃんは言う。
「え? 暑くない?」
細いカナちゃんと肉厚なオレとでは、おそらく体感温度はかなり違うだろう。でも、もう季節は夏に近づこうとしているので、歩いた後は暑く感じる。
カナちゃんも「暑いと言ったら、暑いかも」と言う。
「え、じゃ」
オレが再びリモコンに手をのばすと、「ダメ」と言う。
「どういうこと?」
「ユウジ君、エコロジーって、言葉知ってるよね?」
「知ってはいるけど、興味はないが」
「別にCO2を一切だしちゃダメって、私は言ってるわけじゃないの」
「そりゃ、そうだろ。出さなかったら死ぬからな」
「でも、同じことをするならば、どちらかというとCO2が出ない方を選ぼうよ。ちょっと暑いな、この場合、どうすべきか」
「はぁ。すげぇ興味ねぇけど、聞けってオーラすごいから、きくけど……… どうすればいいですか?」
カナちゃんは満足げにウンウンとうなずく。
「扇風機です」
「エアコンって、そんな電気くうの? なんか省エネの買ったって、母さんが言ってた」
「残念ながら、ここ十年くらい、エアコンはそこまで進化していません」
「え? エアコンを使うな、ってこと?」
カナちゃんはウンウンと大きくうなずく。
「できるだけ扇風機にすればいいでしょ」
扇風機のスイッチを押す。
「それだって電気かかるだろ」
「ノンノンノン、エアコンの電気代は一時間でだいたい数十円。扇風機はどれくらいかかると思う?」
「十円くらい?」
「約一円」
オレが思っていた以上に安かった。
「ねっ? エアコンを我慢して、扇風機にすれば何十分の一の節電になるの」
「はぁ、まぁ、気をつけるよ、それなりに」
カナちゃんをオレの机の椅子に座らせて、オレはマナの椅子をかりて座った。
「そういえば、ユウジ君、さっき、なんて言った?」
「え? さっき?」
「そう さっき」
オレはどう答えていいか戸惑うと、カナちゃんは「暑い、って言ったでしょ」と言う。
「あぁ、そういうことか。言ったけど?」
「暑いってのはね、言いかたを変えれば体感温度なの。気温だけじゃなく、湿度、風がふいているか、とか、着てる服とかで、かなり変わる」
なんの話だ、これ?
「夏、陰毛、どうしてる?」
「は? インモー?」
「そう。又の毛」
「え? どうしてる、って、どういう意味?」
「長さ」
「長さ? あんまり意識したことないけど、ひっぱれば、何センチか、なんじゃないのかな。女の子は夏とか処理とかするかもだけど、男はしないから、そのままだろ」
「刈りなさい」
なに言ってるんだ、こいつ。
「私は研究したの。陰毛を刈ると、夏の体感温度は二、三度下がる」
今のカナちゃんの又の毛、どうなってるのか…………
「じゃ、カナちゃんって、その、なんていうか、ツルツルなの?」
「そこまで、やる必要ないでしょ。かゆくなるし」
やったことはあるのか。
「ハサミでいい感じに切るのよ。もともとの四分の一くらいの長さにすればいいでしょ」
「いやさ、そんなことしてて、カナちゃんは女の子だから、そういう処理してるのねってだけど、オレがもしそんなことしてて、交通事故とかで病院に運ばれたら、変態だと思われるんじゃ…………」
カナちゃんはウンウンとうなずく。
「私がもし女医だったら、そう思うかも」
「なんだよ、それ。嫌だろ普通に。うかうか道も歩けたもんじゃない」
「じゃ、きくわ」
カナちゃんはオレに顔を近づけて、にらむ。
「ユウジ君の『恥ずかしさ』と『地球』、どっちが大事なの?」
すごい二択をつきつけられた。
結局、カナちゃんのエコロジー講座が一時間ほど続き、オレは陰毛を切ることを約束させられた。良かったなぁ、地球。
「そういえばヒイロさん、カゼで休んでるって?」
オレが名探偵ばりに問い詰めてから、もう二日たっているが、ヒイロさんは塾にきていない。誰にもバラさないって言ったのになぁ。
「まぁ、心配することじゃないよ」
「どうして?」
「公園でパンツでもぬいで、体冷やしちゃったんじゃないかな」
「なにその、スナック通いのおっさんみたいな冗談」
あの後、オレはヒイロさんに言った。
「オレはカナちゃんを裏切れないっ」
誘惑するヒイロさんを突き放し、オレも立ち上がった。
「誰だって、足りないところがあるんじゃないですかね。オレだって………… シホさんとふれあっている時だって、なにか足りないって、いつも思ってました。オレもヒイロさんも互いに無い物ねだりしてたって、そんなこと意味がないでしょ。永遠に三人でなんて、そんな関係、続けられるわけもない」
「だから、私が身を引いたっていいって」
オレは首を横にふった。
「そういうのを少しでもシホさんが望んでいたら、今頃、僕らはそういう関係になっていたんじゃないですか?」
ヒイロさんは目を見開いて、硬直する。ヒイロさんにも、『こうなるべきだ』という理想があったのだろう。でも、シホさんはそれを望んでいない。こんな簡単なことに気づけなかった。恋とは盲目、としか言いようがない。
「オレだって…………」
中学の時、オレが望んだことは、ほとんど思いどおりにはなっていない。
「オレだって、オレだって………… シホさんのだらしないあのケツをつかんでさ、遠慮なく攻めたいしさ、だってさ、シホさん、オレの初恋の相手だからな。それに加えて、ヒイロさんみたいな男の娘、すげー興味あるし」
一つ気になったことがあったので、オレはきいた。
「玉なし、ですか?」
「いや、違うんだけど。もともと小さかったけど、ホルモンの薬飲んでから、しぼんじゃって、ほとんど見えなくなってる」
「それっ オレ、大好物ですっ 手術しないで女の子に変わっていく、それ。大好物なんですっ」
ヒイロさんはおれの頬にふれる。
「だったら」
でもオレは、首を横に振った。
「カナちゃんはオレのことを想ってくれてます。かなり病的に。オレはたぶん、あれくらい自分のことを持ってくれる子じゃないと、不安になって、悪い部分がでて、そんで、他人を不幸にしてしまう。だから、オレにはカナちゃんじゃなくちゃダメなんですっ」
ヒイロさんは座り、ベンチの背に小さい体をあずける。グデッとしか感じだ。視点がどこに合っているのかもわからない。オレも隣にすわった。なんて言っていいかわからずに、とりあえず「落書きの件は、黙っているんで」とだけ言っておいた。
「当たり前でしょ。そんなことしたら、あんたがシホちゃんとやってるところ、エロ動画サイトにアップするからね。シホちゃんの顔だけモザイクかけて」
そりゃ人生終わるな。ヒイロさんは放心状態という感じで、何分かぼんやりしていた。オレは帰るわけにもいかず、隣にいた。
ヒイロさんは最後に夜空に向かって
「なんも上手くいかなぁぁいぃなぁぁぁ」と叫んぶと、テクテクと駅へ歩いて行った。
オレがその夜のことを思い出していると、
「こ、これ……… ちょっと、本気? これ本気なの?」
ふだんのカナちゃんはおどろいた時でも、泣いた時でも、なんだか芝居がかっていて、本当は余裕があるように見える。でも、今のカナちゃんの声、本気で驚いているように聞こえた。
「カナちゃんっ ちょ、ちょっと、ダメだって」
カナちゃんはオレのパソコンをいじり、「mp3」「avi」「mpg」 とか動画の拡張子でファイルを検索して、そのファイル名の一覧を見ている。
「男の娘ものってやつ? そんなのばっかり」
確かに、その通りである。ヒイロさんのアレを見てから、そんな動画ばかり探していた。ヒイロさんレベルの上物を探せなかったが。
カナちゃんが真剣な顔で、「てかさ、私、どうすればいいの?」ときくので、「ど、どうもしなくていい」と答えた。
「え、胸にさらしでも巻いて、学生服とかきればいい? ポニテにしてハチマキでもすれば、見方によっては武士ぽく見えるかも。あと呼び方、アニキって呼ぶ?」
オレは内心かなり動揺していたが、それが表に出ないように心掛けた。
「たまたま、そういうモードに入ってただけだ」
「モードって何? そんな抽象的な言葉ではなく、もっと具体的な言葉で自らの性欲を語ってよ、さぁ」
オレはウンウンとうなずいて、余裕を見せた。
「ちょっと興味があって、集めただけだ。ほとんど見てない」
「ダウンロードしただけで、見てないと?」
「うん」
「ユウジ君さぁ、二度とウソつかない方がいいと思うよ。すぐにバレて恥ずかしい思いするから」
カチッカチッ
「クリックすなっ」
「え? 私がどんなのか見ないと、もしかしたらユウジ君の性欲の一部は永遠に満たされないかもしれないよ?」
カナちゃんがからかっているのか、ホンキなのか、わからないが、ワラワラと三十分くらいやっていた。
日も暮れようとしている頃、
壁にかけてあるキャンバスケースにカナちゃんの目がいく。大きいからな。かなり気になるよな。
「これ、キャンバス? 絵、描いてるんだ」
「まだ下書き」
「下書きはできてるの?」
「それなりに」
「見ていい?」
あまり途中のものを見られたくはないが、美術室では江崎先生や部長、部員にもジロジロ見られているので、さすがに慣れた。だから別にいいんだけど。
「完成してから見た方が、その、なんだ、カナちゃんがよく言う、なんていうか、作為的な感動ってやつ? 未来予言書に書けそうな。そういう方向に誘導できるんじゃないか」
「作為的って何よ。運命の道筋って言い直して」
「まぁ、なんでもいいが。完成を待ってくれるなら、それなりに感動させる自信はあるよ」
今ままで絵を描くとき、技術とか、上手く見せようとか、そういうことに一所懸命だった。でもそれは裏をかえせば『下手クソだ』ってことを内心認めていた。そのタガが外れたからかな。自分の絵として好きになれた。
「前も言ったけど、カナちゃんにさぁ、本当に絵を見る目が……」
ゴソゴソ
カナちゃんは躊躇なく、キャンバスケースを開ける。
「やっぱ、開けちゃうの」
「大丈夫、大丈夫、ユウジ君の絵なら二回見ても、一回目に見たのと同じリアクションがとれるから、私」
「はぁ、そうですかぁ」
街の絵。
「これ私?」
「あぁ」
「私、確か、あの時…… 私の目から見た街の絵、って言ってなかった? なんで私を描いたのかなって」
「オレが描くんだから、仕方ないだろ」
「ふーん」
無表情で絵を見ているので、感情が読み取れない。
「カナちゃん、もしかして嫌だった?」
「え?」
「文化祭のときに飾るからな。まぁ、後ろ姿だし、視点から近いんで、遠近感だすために、そんなにクリアな線で描かないつもりけど」
「いや別に、恥ずかしくはないけど………… 絵に矢印いれて『オレの女』とか、書いちゃってもいいよ」
「うちの部の顧問とか、部長とか、かなりガチだからなぁ、そんなことやったら一時間くらい説教くらう」
カナちゃんはクルッと、オレの方に顔を向けて、ニコッと笑う。
「でもさ、本当に、私が見たキラキラした街みたいなんで、感動したよ」
「そうかい。色つけた後も、同じように感動してくれよ。見るのが二回目だとしてもな」
またカナちゃんは絵の方を向く。その間、オレはカナちゃんの横顔を見ていた。もはや造形美に近いこの子の顔。瞳がキラキラと美しい。
「でもさ、あのとき私が街並みを、『輝いて見える』って言った時に、ユウジ君、確か、『眼科に行け』って言ってなかった?」
「そんなひどいこと言った?」
「言った、言った。なに忘れてんの? てかさ、その時、私もひどい事言われたって思ったからねっ」
あの時の街並みは、オレの目にもこう見えていた。そんなこと言ったら、カナちゃんは調子にのって、キャキャとはしゃいだだろう。だから、あえて言わなかった。
「良い絵だと思うよ」
まぁ、そう言うと思ったよ。無条件に。彼女なんだからな。単純に嬉しかったが、なんだか恥ずかしくなって、誤魔化すように「本当にわかってるのか?」ときいた。
「誰にでもわかるよ」
少しだけ微笑むカナちゃん。ふと、こう思った。いつかオレは、カナちゃんの顔を描けるようになるだろうか。こんなに美しく、可愛く………… こんなに愛しく…………
「え?」
気づくと、椅子に座ているカナちゃんを後ろから抱きしめていた。顔を少し横に向けて、軽く唇をうばった。カナちゃんは驚いたと思うが、特に抵抗もなく、唇が離れると赤面した。段階ってのが重要なんだろ? だから、それ以上はしなかった。カナちゃんはうつむいて、耳を真っ赤にした。後で文句言われるかな。まぁ、いいけど。カナちゃんは制服の胸元の布をパタパタして、
「あ、暑いねぇ………… 温暖化の所為だね」と言う。なんでもCO2の所為にしちゃダメだろ。そんなに赤くなってるんだから、暑いだろうな。でもエアコンつけたら、怒るからなぁ。
「ほらっ」
扇風機をカナちゃんの方にむけやった。
「ん、すずしい」
カナちゃんの長い髪が風になびく。もう夕方になる頃だから、外からの赤い光が強い。カナちゃんは逆光の中、オレの絵を見ている。
「はじめてのデートだからね」
この絵の中のカナちゃんは、初デートにドキドキしている。
それ見ているカナちゃんは胸を押さえている。
「私、今も………… ここにいるみたい」
瞳に涙がたまっていて、キラキラと輝いていた。
美大をあきらめてから、なんで絵を描くのをやめたのかな。一生の職とならなくたって、趣味で描くのもいいだろう。たとえ、見てくれる人がカナちゃん一人だったとしても。夢を捨て去らなくては、それは未練となって、自分に悪い影響を与えるんじゃないかって、勝手にそう思っていた。母さんが心配していたのも、そういうオレの悪い部分を見ていたからなんじゃないか。本当は、そんな難しいことじゃない。やりたい事をやればいいだけ。描きたいと思ったときに、描けば…………
久しぶりに描いた自分の絵を見ながら、オレが感慨にふけっていると、
「それにしてもなぁ、画家の嫁か」
カナちゃんの高い声が聞こえた。
「え?」
「洗濯、大変そうだなぁ、って思って」
おわり
初恋は実らない @miyako-ginji
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