第2話 異世界 ダルタクスゼイアン
猫屋敷だけを乗せたエレベーターは、徐々にスピードを緩めて、静かに止まった。10階を示すランプが光っている。
扉がゆっくり開くとともに、眩い光が差し込んできた。エレベーターから出ると、そこにはオランダの田園地帯のようなのんびりとした風景が広がっていた。
青々とした芝生、澄んだ青い空に夏の雲がもくもくと浮かんでいる。空気は日本の湿度の高いものとは異なり、ほどよく乾燥している。遠くには赤レンガの西洋チックな街並みが広がり、遠くには風車が海風を受けてのんびりと回っていた。
「なんだこれは!?ここは、一体…。」
猫屋敷が唖然とした表情でそう呟くと、彼のポケットから機械音が聞こえた。
“ここはダルタクスゼイアンです。”
「おぉっ!?Ziriが勝手に喋った。」
どうやら本当に異世界に来てしまったらしい。Ziriの言うことが正しいなら、ここはダルタクスゼイアンという異世界で、おそらくハルカもここに来ていると考えて間違いないだろう。
「へい。Ziri。僕はこれからどうしたらいい。」
Ziriが答えてくれるか半信半疑だったが、他に頼れるものがなかった猫屋敷は、自信のスマホに問いかけた。
“せっかく来たのだから、この世界を楽しんではいかがですか。”
「すごいな、完全に会話できている。」
驚きを隠しきれない様子で、猫屋敷は再度尋ねた。
「もう少しこの世界について教えてくれないか。」
“ここは、ダルタクスゼイアン。サンタも、妖精も、ユニコーンも存在する世界です。”
遠くの草原には、青い甲羅の大型犬くらいサイズはある亀がのそのそと歩いている。
「僕はとりあえずどうしたらいい?」
“とりあえず、町のほうにいって、ジョブを獲得するのが先決課題かと…。”
「ジョブ?」
“この世界にたどり着いた人は、冒険者という立場になります。ジョブを取得することによって、特有のスキルが使えるようになり、冒険が一層楽に進めたり、お金を稼ぐことができたりします。”
まるでRPGのゲームに入ったかのようだ。ドラ〇エもファ〇ファンもよくやってきたが、そんなファンタジーの世界が目の前に広がっている。
“冒険者の目的は、この世界の悪の魔王を倒すことです。それを達成できた人は、元の世界に帰ることが出来ます。また元の世界に戻る際、一つだけ望みを叶えることができます。”
後ろを振り向くと、猫屋敷が乗ってきたエレベーターは影も形もなく、大きな大樹がでんとそびえ立っているだけであった。
「うーん。分からないことが多すぎる…。とりあえず、情報収取に街の方へ行ってみるか。」
もしかしたら、ハルカにも会えるかもしれないという期待を持って、猫屋敷は街の方へと向かった。
街のアーケードをくぐると、そこは大勢の人で賑わっていた。しかし、よく見ると耳がやけに長く尖っている人、勇ましい髭を蓄え背が低く斧を担ぐ人、いわゆるエルフやドワーフと呼ばれる者も多く混じっているようだ。その中に見知った人間を、いや見知った女子高生を発見した。
足音を忍ばせて、その女子高生の後ろに回り込む。そして彼女の脳天に、ハードカバーの化学の参考書を振り下ろした。パーンと綺麗な音が鳴り、ハルカは驚いた表情で振り返った。
「なぁあ!?何で猫屋敷先生がこんなとこにいるんですかっ!?」
「バカやろう、はやくかえるぞ、あほむすめ。」
「何で五・七・五調なんですか!後ろからいきなり頭をはたくなんてひどいです。体罰です。これはもう教育委員会に直訴するしかありません!」
「異世界に僕の嫌いな教育委員会はないよ。そんなことより、このよくわからない世界からさっさと帰りますよ。」
「絶対嫌です!この世界こそ、私が夢にまで見た異世界ですよ。私はここで、誰もが憧れるような勇者になるのですよ。」
「はぁ?寝言は寝て言えよ。とにかく僕はお前を連れて帰る。」
その時、猫屋敷のポケットから、Ziriの声が聞こえ、二人が揉めているのを仲裁した。
“この世界から帰るには、どのみち魔王を倒す必要がありますよ。”
「ええっ、さっきもなんかそんなこと言ってたけど、やっぱり魔王倒さないと元の世界には戻れないのか!?」
“はい。現実世界に戻るには、そうするしかありません。”
「ふふふふっ。どのみち帰れないのなら…全力でこの世界を満喫しましょうよ!」
「うーん、まぁそれもそうか。よしっ、チートハーレム作って、魔王倒して元の世界に戻るぞっ!」
猫屋敷はぐっとガッツポーズを作って、さんさんと輝く地中海のような太陽を見上げた。
「そのためには、そんなんチートや、チーターやん!言われるぐらいのジョブをゲットしないと駄目ですね。」
「お前なんでいきなり、えせ関西弁なんだ?チーター?地上最速アニマル?」
「えぇ!?あの有名なアニメ見てないんですか?」
「社会人の忙しさをなめるんじゃない。」
「まったく、教員の仕事は忙しいとしても、先生は余裕ありまくりでしょ?毎年ある薄い本の即売会の常連らしいじゃないですか。」
「なぁっ!?なっ…なんのことだ…?!?」
「しかも買う側じゃなくて、売る側で参加してるって聞きましたけど…。」
「バカ野郎…同人誌即売会は全員参加のイベントなんだよっ!全員が参加者であって、客なんてものは存在しないっ!『販売』じゃない。『頒布』なんだ!」
「もはや自供してるようなもんじゃないですか…。ちょっとエッチな同人誌を売るサークルの中に、先生の姿を見たって目撃証言がちらほらと…。」
「くぁwせdrftgyふじこlp!?っうわぁ…まじか。道理で女子生徒の視線が、たまに生ゴミを見る目してんなと思ったよ。いやいや!?っでも、それ俺じゃないけどねっ!?ドッペルゲンガーかなんかだよ。ドッペルドッペルゥゥゥ!!」
「うわぁ…、うちの担任、とっても気持ち悪いなぁ。」
“先生だって人間なのですよ。誰しも恥ずかしいとことを持っている。それが人間です。”
「うぅ…Ziri…。お前はいい奴だなぁ…。」
「うわー、機械に励まされてるよ…。痛いなぁ。」
“そんなことより、お二人とも早くジョブを取得したらどうでしょうか”
「なんだ、ハルカもまだジョブを取得してなかったのか?」
「そうなんですよ。私も昨日来たばっかで、何をどうしたらいいのか…。とりあえず、多少の所持金はあったので、宿に一晩止まって街を散策してたぐらいですね。」
猫屋敷たちはジョブを獲得するため、Ziriからの情報を頼りに町の職業案内所という場所に向かった。街の中心街を行くと、大きな石造りの建物が目に入った。どうやらここが職業案内所であるようだ。
「職業案内所、ここでジョブをゲットしたらいいんだな。」
“その通りです。正面の機械が、あなたの才能から、向いている職業をいくつかピックアップしてくれます。”
真っ黒い椅子の周りには、センサーらしきもの、カメラらしきものが取り囲んでいる。
「なるほど、ここに座ればいいのか。随分と近代的だな。」
椅子に座ると、猫屋敷の身体の周りを“ウィィーーーン”と音を鳴らしながら、カメラとセンサーが舐めまわすように彼の姿をスキャンした。
“適正ジョブの診断が終わりました。正面の画面で確認してください。”
「おっ、これで終わりか。僕に向いてるジョブってなんだろう?竜騎士とか憧れるなぁ。」
「なんですか?竜騎士って?」
「そんなもんも知らんのか、今の若者は…これだから物理で赤点とるんだお前は。」
「物理と竜騎士は関係ないでしょっ!?」
「武器は基本槍で、特殊コマンドは『ジャンプ』だ。ちなみにひぐらしも大好きだ。」
「作者は関係ないでしょ。」
「そこは突っ込めるんだな…。」
“結果が出ました。早く確認してください。”
「ほら、しょうもないこと言ってるから、Ziriもおこですよ、おこ。」
「どれどれ…。おっ、ぼくのジョブは…!?」
“あなたのジョブ適正は、錬金術師です。”
「うぉっ!まじかっ!すっげー、やった。錬金術師だってよ。」
「錬金術師って、そんなに嬉しいですか?ちょっと地味なイメージが…。」
「バカヤロー、僕たちの世代はなぁ。みんな両手を合わせて機械の左腕を剣に錬成する練習をしたもんだ。もしくは地面に手をついて、でかいトゲを出す妄想してた。」
「ちょっと…何言ってるかわかんないです。」
「これが世代ギャップってやつか?あんな名作を知らないなんて…。全巻家にあって、半年に一回は見直してるから。今度異世界から戻ったら貸してやるよ。」
「ありがとうございます。まぁ物理化学の先生だし…。猫屋敷先生は確かに錬金術師が適正なんじゃないですか?ちなみに、他に適正なのは何があったんですか?」
「え~と、魔法使い…?」
「えっ、そっちの方が絶対いいじゃないですか?」
「はぁ?絶対嫌だねっ!っていうか?四捨五入したら三十だけどっ、まだ三十なってないし…、まだあと4年間の猶予あるしっ!」
「…一体なんの話をしてるんですか?」
「ハルカは知らなくていいことだ。僕の名誉のためにも知らなくていい。」
「まぁいいですけど…。私も適正調べてもらおっ。」
先ほどまで猫屋敷が座っていた黒い椅子に、ハルカも腰を下ろした。椅子に座ると、ハルカの身体の周りを“ウィィーーーン”と音を鳴らしながら、カメラとセンサーが舐めまわすように彼女の姿をスキャンした。
“適正ジョブの診断が終わりました。正面の画面で確認してください。”
「どうでしょうか…。私の適正は…えっ…。」
「うん…?どうしたんだ?」
「最適ジョブが、商人ってでたんですけど…。商人って、非戦闘ジョブですよね。」
「そんなん言ったら、錬金術師だって本来は非戦闘だよ。お前は人当たりいいし、明るくにこにこしてるから商人向いてるんじゃね。」
「絶対嫌ですよ!もっと魔法とか使って、ファンタジーしたいですよ!」
「いいじゃん商人!先生はト○ネコ好きだよ。前線パーティからは外して、終盤もずっと馬車で待機させてたけど…。城に人質として置いてきたけれど…。」
「駄目じゃないですか!他に適正はないの!?」
ハルカは画面をスクロールさせて、他の適正を確認した。
「……やっぱり、商人でいいです。」
「えっ、何だったの?」
ハルカの肩越しから画面をのぞき込むと、そこには『遊び人』という文字が書かれていた。
「あー、うん…。まぁ公式のトリセツですら、『まったくの役立たず』扱いのジョブだからね。でもまぁ、人間なれるものになるしかないんだよ。仕事なんて特にそうだ。自分の能力に一番適したところで活躍するのが、本当の社会貢献だよ。」
「遊び人なんて、ニートと一緒じゃないですか…。」
「いや、でもレベル上げたら賢者になれるかもよ。」
「遊び人が賢者になれるわけないでしょうが!現実みてくださいよ!」
猫屋敷はがっくりと肩を落とすハルカをしり目に、カウンターでジョブ専用のアイテムをもらっていた。
「おー、なかなかカッコいいじゃん。」
猫屋敷はモスグリーンのポケットがたくさんついたコートを身にまとった。
「ん?なんだこの赤い石のついた指輪は…。」
「先生!それルビーですよ。」
「おぉ、もう元気になったのか。切り替えの早い奴だ。そしてさっそく商人の『鑑定』スキル使ってんな。」
「その赤い指輪を装備してると、『加熱』スキルが使えるようです。」
「加熱?ようするに、物質を熱して、水を水蒸気に変えたり、酸素と化学反応させたりできるってことか。」
「さすが、化学物理の先生だけあって理解が早いですね。でも、魔力用に応じて熱を加えるので、どっかんどっかん火を起こしたりはできないみたいです。」
「指ぱっちんで相手を燃やし尽くすみたいな、どこぞの大佐みたいにはできないかー。そもそもあれは、大気中の物質を可燃性物質に錬成してるんだっけか。」
「何言ってるかわからないですけど、私も商人の初期装備もらってきます。」
しばらくすると、ハルカは女商人の装備を身にまとって猫屋敷の前に現れた。
「おぉ!女商人可愛いじゃん!馬子にも衣裳だな。」
「一言余計なんですけどっ。でも、本当に可愛くて、ちょっとやる気でてきました。」
ハルカはくるっと回転しながら、鏡の前で自分の衣装を確認した。可愛らしいチョッキ姿に、少しだぼっとしたアラビアンパンツの女商人の姿である。
「いいじゃん。そろばんめっちゃ強いから、そろばん。」
「もう、昔のゲームネタばっか言われてもわかんないです。」
「年代ギャップだなぁ。オタク第五世代(2000年代生まれ)には伝わらんね。とかいいつつもオタク第四世代(1990年代生まれ)のぼくも、レトロゲームの再流行がなければ知らないことは多々あるけど。」
「私だって、いろいろ知ってますよ。昔はユーチューブよりも、ニ〇ニコ動画で活動するのが主流だったんですよね。」
「よく知ってるじゃないか。ユーチューバ―が我が物顔でふんぞり返っているのに、違和感を感じざるを得ない。ニ〇動のうp主の方が人気だったのになぁ。某柑橘フルーツの歌で知られる有名歌手だって、もとはニ〇動で超人気のボカロPだったと知らない人も多い。誠に遺憾である。」
「うp主ってもう死語ですよ。オタクの友達だって使ってる人いないです。」
「まじかー。キタ――(゚∀゚)――!!とかは。」
「織〇裕二のものまねの人ですか?」
「ちげぇよ。何でそっち知ってて、電車男知らねぇんだ。まったく世も末だぜ。」
「過去を無駄に美化するなんて、もうおっさんになったってことですよ。」
「…orz」
「だから、古いですって。」
終わらない二人の雑談を、Ziriの機械音が遮った。
“ジョブを手に入れたので、町の外で敵を倒してきてはどうでしょうか。村長に挨拶に行くイベントの後、隣町までのおつかいを言い渡されます。その途中で、商人を襲う山賊に遭遇します。”
「なんだこいつ。どこの攻略本だよ。」
“大・丈・夫!ファ〇通の攻略本だよ。”
「情報ソースに不安を感じざるをえない。」
「商人を襲う盗賊って、私やばいじゃないですか。飛んで火に入る夏の虫じゃないですか。」
「まさか、序盤のチュートリアルの敵だろ?楽勝楽勝!」
猫屋敷とハルカは、村長から話を聞き、隣町に向かう際に山賊に襲われた。
”猫屋敷とハルカは、めのまえが まっくらに なった!”
「ちょっと待ってよっ!山賊めちゃつよいじゃないですか!」
「こんなもん勝てるかっ!山賊いきなり後ろから、刀ぶっさしてきたんだけど。気づいた瞬間には、どてっぱら風穴空いてたんだけど!」
「なんであいつら気配消して近づいてくるんですか。もっと『がっはっはー。』とか豪快に出てきてくれたらいいのに!」
“本当の山賊は、リスクを最小限に減らして襲います。”
「なんでそこだけリアルなんだよ!後ろからそっと近づいて来て刺すとか、あんなもん通り魔と変わらんだろうが!」
“いいじゃないですか。教会で復活できたのだから…。”
「よくねぇよ馬鹿野郎!刺されたとき普通に痛かったわ!悶絶して半泣きだったわ!」
「先生号泣してたじゃないですか。」
“復活の呪文は…
ゆうて いみや おうきむ
こうほ りいゆ うじとり
やまあ きらぺ ぺぺぺぺ
ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ
ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ ぺぺ、 です。”
「なんで復活の呪文あんだよ。名前がもょもとになってるじゃねーか。」
“冗談です。まずは雑魚モンスターでも倒してレベルアップしましょう。山賊は一応最初のボス的なあれです。”
「あぁ、最初のジムリーダーのタ〇シみたいな感じですか。」
「ハルカ、初代ポ〇モン知ってるの?」
「えぇ、でもタ〇シはもっと弱かったですよ。序盤の草むらに出る鳩以下のHP、電気ねずみ以下のこうげき、涙を誘う能力しかないイ〇ークをエースにしてましたよね。」
「詳しいな。」
“山賊さんに ちょうせん なんて 10000こうねん はやいんだよ!”
「手下のトレーナーのまねとか、わかりにくいんだよ!やめろ。もうお前らタ〇シさんの悪口言うな!仕方ない、近くのモンスター倒してレベル上げるぞ!」
猫屋敷とハルカの二人は、町の周囲をぐるぐるとエンカウントするために歩いた。
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