へい、Ziri!異世界への生き方を教えて。
冨田秀一
第1話 へい、Ziri!異世界への生き方を教えて。
六時間目の物理の授業を終えて、教室を出ようとした時、クラスで最も物理の点数が低い桃谷ハルカが「質問があるんですが…。」と声をあげた。
「うん…?なんだ、お前が質問なんて…、ちなみに先生に彼女はいないぞ?」
「そんなプライベートな質問じゃないですよ。ちなみにこれっぽちも興味もないです。」
猫屋敷の渾身のボケに対して、呆れた顔でハルカは言った。
「辛辣だなぁ。そんな子に育てた覚えはないんだが。」
「猫屋敷先生に育てられた記憶もありません。そもそも先生子どもいないでしょうが。」
「質問ならあとで理科室に来てくれないか?なんか職員室に呼び出しくらってんだよ。何しでかしたかな…。こないだムカついて、教頭のコーヒーに度数95%のエチルアルコール注いだのがばれたのかな。」
「何やってんですか…。もしかして不順異性行為とかがばれたんじゃないですか?」
「はぁ?女子高生に手をだした覚えはないよ。そうしたいのはやまやまだけど…。」
猫屋敷の言葉に、ハルカは眉をひそめてごみを見るような目に変わり、あからさまに嫌悪感を顔に出した。
「うわ、最悪ですね。こんな人が女子高で教師をしているなんて…。社会のために捕まってください。今すぐ教員免許を返上してください。」
「はいはい…。まぁ、というわけで、教頭に叱られてきまーす。」
猫屋敷はハルカに背をむけて、伸びをしながら職員室へと向かっていこうとする。
「まったく…呑気ですね。私も用事終わったら、理科室いって待ってます!」
ハルカの呼びかけに、猫屋敷は振り向かずに手を左右に振って、“了解”という意を示した。
職員室で、教頭から教育委員会に提出する書類を早く出せとお説教を受けた後、猫屋敷は理科室へと向かった。外は晴天だというのに、カーテンを閉め切った理科室の空気はどこか曇っている。
理科室にはまだ誰もいなかったので、ハルカが来るまで、中間テストの採点をしていると、理科室の扉が開く音がした。その音に採点中の中間テストから顔を上げると、ハルカが「あっ、先生いたいたー。」と明るい声をあげながら入ってきた。
「遅くなってすまなかったな。案の定、怒られたよ。今日中に教育委員会に出す書類を提出しろだと。」
「教師って、そんな事務仕事も多いんですね。」
「あぁ、結構いらない事務仕事が多いんだよ。ちゃんと見てねーだろって思いながら、校外学習の予算計画とか、年間計画やらいっぱい提出してるわ。」
「先生の仕事なんて、生徒のことをしっかり見てたらそれでいいと思うんですけどね。」
「そうだな。その点、僕は教師の鏡といえるね。」
「先生はいつも、犯罪者みたいな視線で私たちのことを見てますもんね。」
「おうおう、遂に先生を犯罪者呼ばわりとは…。本当に犯罪者になってやろうか?」
「そんな度胸ないくせに…。」
「うん?なんか言ったか?」
「なっ、なんでもないよ。そんなことより質問ですよっ!」
「おう、そうだった。何の問題だ?」
「勉強の質問じゃないのです。」
「あぁ?勉強の質問しろよ。なんだこのテストの点は。」
猫屋敷の手には、真っ赤な文字で17点という点数が書かれていた。
「ちょっー!?それ私のテストじゃないですか。本当にちゃんと採点したんですかっ?」
「こらこら、現実から目を背けるな。正真正銘の君の中間テストだよ。」
「それにしたって、今点数発表することないでしょうっ!」
「後回しにしたって仕方ないだろうが。ほら、間違えたとこ教えてやるからノート出せ。」
「……嫌です。」
「はぁ?いいからノート出せよ。」
「ちょっと、やめてください。変態っ!警察を呼びますよ。なぁっ!?」
「おい、何だこれは・・・?」
ハルカのノートには、ろくに板書もとらずに、落書きばかりが描かれていた。それもユニコーンだか、魔法使いだか、なにやらメルヘンチックな絵が描かれている。
「おいおい、小学生でももう少しましな絵を描くぞ?」
「もうっ!最低ですっ!勝手に乙女の恥部を見たって言いふらします!」
「その言い方は誤解しか生まないからやめてください。」
「先生はもう教師という仕事を辞めたらどうですか。」
「まぁ落ち着けよ…。っで、結局僕に質問って何だったんだ?」
「あぁ、そうでした…。」
ハルカは理科室の背もたれがない木製の椅子に座りなおして、真面目な顔をして尋ねた。
「先生、異世界に行くにはどうしたらいいですか。」
猫屋敷は涼しい顔をして、ポケットから彼のスマホを取り出した。
「へい、Ziri。僕のクラスの生徒を、正気に戻す方法を教えて。」
”すみません。わかりません。”
「何聞いてるんですかっ!私はいつだって正気ですよ。」
「先生が何でも知ってると思ったら大間違いだ。何でもはしらないよ。物理科学の知識だけ。」
「なんか、どっかで聞いたことあるフレーズですね。気のせいですかね。」
「本当に素晴らしい物は、古典として昇華されるんだよ。いわば、みんなが目指すべきお手本となるわけだ。」
「何言ってるかわかりません。とにかく、私は異世界に行きたいんですよ。」
「先生はお前が何を言っているのかがわかりません。」
「私はもうこの世界に飽き飽きしたんですよ!みんなして受験だ、恋愛だ、部活だ、私はただの高校生活には興味ありません。この中に異世界、魔法、魔物、ファンタジーの世界の行き方を知ってる者がいたら、あたしに教えなさい。以上!」
そう言い放つハルカを見て、猫屋敷は頭を抱えながら心配そうな表情で尋ねた。
「お前こそ、オタク界隈で日本一有名な自己紹介みたいな真似して大丈夫か?何か悩み事があるなら相談に乗ってやるよ?」
「別に悩みはありません。しいて言うなら異世界にいけないことが悩みです。」
「そんなこと言われても、僕にもわからないさ。もし知ってたら、先生は今この世界にいないよ。今頃きっとチートハーレムでも作ってるさ。」
「全く、どうしようもない先生ですね。へい、Ziri!異世界への生き方を教えて。」
ハルカは猫屋敷のスマホにそう呼びかけた。
“すみません。わかりません。”という答えを猫屋敷は予期していた。しかし、その予想は裏切られ、彼のスマホからは、予想だにしない答えが返ってきた。
”ダルタクスゼイアンへの行き方のことですか。”
「えっ…?ダルタクスゼイアン?」
ハルカが首をかしげて、きょとんとした顔でスマホを眺めている。
「おいおい、俺のZiriを壊したのか?」
ハルカは猫屋敷の困ったような声を無視して、質問を重ねた。
「ダルタクスゼイアンってなに?」
”ダルタクスゼイアンは楽しいところです!サンタクロースも、妖精も、ユニコーンも、みんなそこにいるんですよ。”
ハルカと猫屋敷は唖然とした顔で、白い大きな机の上のスマホに目を落とした。
「すごいですね!サンタも妖精も、ユニコーンまでいるらしいですよ!」
はしゃぐハルカに対し、猫屋敷は冷静さを取り戻していた。
「そんなもの、あるわけないだろう。ジョブスもユニークな悪ふざけを仕込んだもんだ。」
「そんな、Ziriは嘘なんかつかないです!」
「お前はZiriの何を知っているんだ。ネットの情報なんてあてにならないものがいっぱいだぞ。某大国の大統領だって、常々怒り心頭してるじゃないか。」
「Ziriは嘘なんてつきません。問題への解決の道を示してくれる。いうなれば、21世紀のド○えもんみたいな存在ですよ。」
「ド○えもんって21世紀から来たロボットって設定じゃなかったけ?」
「22世紀だと思いますよ。まぁどっちでもいいですけど…。」
ハルカはZiriに向かって、新たな質問をぶつけた。
「ダルタクスゼイアンにはどうやったら行けますか?」
一瞬の沈黙の後、機械音が理科室に響いた。
“10階まである建物のエレベーターに乗ってください。”
“1階から一人で乗ります。”
“4階、2階、6階、2階、10階と移動してください。10階に着いたら、最後に5階を押してください。”
“5階に着いたら、髪の長い女の人が乗ってきます。その人に話しかけてはいけません。”
「えっ…、女の人乗って来るとか、なんかホラーチックなんですけど。」
猫屋敷先生は少し青冷める声で言った。ハルカは真剣な顔で聞き入っている。
“女性が乗ってきたら、1階を押します。すると、エレベーターは1階ではなく、10階へと上がっていきます。”
“扉を出ると、そこは異世界ダルタクスゼイアンです。”
機械音が鳴りやみ、理科室は静寂に包まれた。沈黙に我慢できなくなった猫屋敷が声をあげた。
「お前、絶対やっちゃ駄目だぞ?」
「やるわけないじゃないですか。先生、今まで本当にありがとうございました。」
「なにそのお別れみたいな挨拶!?おい、お前絶対やるじゃん。今までって何だよ。明日も学校で会うんだよ。」
ハルカは自分のスクールバッグを担ぐと、笑顔で理科室を後にしようとする。
「それじゃ、先生!またお会いしましょう。」
理科室の扉が閉め切られると、理科室は一段と暗闇が増したように感じた。
「……まぁ異世界なんてあるわけないか。」
次の日、猫屋敷はいつも通り学校に通勤し、いつも通りに授業をした。しかし、彼は内心どうしようもない焦りを感じていた。
その理由は、クラスでいつも彼女が座っているはずの椅子にハルカの姿がなかったこと。そして、そもそもハルカの机がなかったこと。ましてや、出席名簿にも彼女の名前はなくなっていたことである。職員室に戻って、学籍名簿を調べたが、彼女に関する全ての資料が無くなっていた。大人の責任として、なんとか一日授業をやり切ったが、学校が終わった瞬間に、猫屋敷は大いに取り乱した。体調が悪いと同僚の先生たちに伝え、日が落ちる前に早退した。
「これはどう考えても異常事態だ…。ハルカの存在がなかったことになっている。」
桃谷ハルカという存在が消えたという事実。考えられることがあるとしたら、昨日の一件しかない。
猫屋敷はハルカが住んでいたマンションに向かった。彼女のマンションには、建築当時は真新しいモダンなデザインのマンションだったが、最寄駅から少し遠く、立地があまりよくないだとか、近隣住民に変な人が多いだとかで、最近は空き家も目立つようになっていた。
少し薄暗いエントランスを抜けると、猫屋敷は赤色のエレベーターを発見した。エレベーターを前に少したじろいだが、意を決して中に乗り込んだ。
4階のボタンを押す。ついで2階、6階、そして2階、10階とたどり着いた。ここまで特に何もおかしなことは起きていない。猫屋敷自身も、まだ少し半信半疑の気持ちだった。
次はいよいよ問題の5階だ。Ziriの話が本当なら…次で女がエレベーターに乗ってくるはずだ。彼は震える手で5階のボタンを押した。
“ゴォォォオオ”という音とともに、エレベーターは下降を始めた。体が重く感じるのは、鉄の箱の中で重力を感じているからだろうか、それとも緊張と不安を身体が感じているからだろうか。
猫屋敷を乗せたエレベーターは、9階、8階、7階と順調に降りていく。6階を通り過ぎたあたりで、一気に気温が下がるような冷気を感じ、5階に到着しようとしたとき、猫屋敷は窓の外を見て思わず息をのんだ。真っ白い服を着た髪の長い女が、エレベーターの外につっ立っている。
悲鳴を上げそうになったのをぎりぎりで堪える。金属の軋む音を鳴らせながら、エレベーターの扉が開くと、女は物音をたてずに入ってきた。
女は前髪が長く、何を見ているのかわからない。ただ明らかに体の向きは猫屋敷の方を正対する形で向いていた。
“5階に着いたら、髪の長い女の人が乗ってきます。その人に話しかけてはいけません。”
“女性が乗ってきたら、1階を押します。すると、エレベーターは1階ではなく、10階へと上がっていきます。”
“扉を出ると、そこは異世界ダルタクスゼイアンです。”
叫び声をあげたいのを抑えながら、1階のボタンを押した。下に向かうはずのエレベーターは、6階、7階、8階と登っていく。噂は本当だった。9階から10階に向かう間はやけに長く感じた。ふと振り向くと、エレベーターに同乗していたはずの女の姿は消えていた。
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