自殺志願者の少女は、死神くんの夢を見る。

瑠花

よく晴れた、ある夏の日のこと。

 よく晴れた、ある夏の日のこと。


 空は青く、雲は白い。雨続きだった街に一週間ぶりの快晴が訪れた。

 

 平日だというのに制服を来た高校生くらいの少女が、ビル屋上の縁に腰かけていた。

 腰まで伸びた黒髪は屋上の風で揺れる。


「もういいかな。私頑張ったよね……」


 誰もいない屋上で、少女のか細い声が風の音で消える。

 少女は自分を慰め、作り笑いを浮かべた。だが、自然と涙が膝に落ちる。


「せっかくの晴れた日に雨なんて……」


 分かっている。それが涙だということは理解している。

 だが、心の奥でそれを否定し、現実逃避に下唇を噛み締める。


 綺麗事を並べていた教師はここにいない。

 自分をいじめていた人間もここにはいない。

 両親もこの世にいない。少女の両親は少女が五歳の時に交通事故で亡くなったのだ。


 だから自分が死んで悲しむ人なんていない――


「そろそろかな」


 少女はその場で立ち上がった。


 一歩前に進めば、そこはビルの屋上から見える景色。

 勇気を振り絞り、少女は下を見た。

 涙に目が霞み、下にいる人たちが見えない。


 そして一歩。明日を出そうと刹那。

 誰もいないはずの屋上で、少女の声とは明らかに違う――もう一つの声が聞こえた。


「自殺か? はぁ、自殺なんかで僕の余計な仕事を増やさないでほしいね」


 少女は足を止め、振り返り、その声の主を自分の涙で霞んだ双眸で捉える。

 そこにいたのは黒いスーツに、黒い帽子を被った一人の青年だった。

 歳は少女と同じくらいに見える。


「誰、ですか……。自殺なんかってなんですか。あなたに何が分かるんですか!」


 再び下唇を噛み締める。鉄分の味がする。

 

「何も分からない。でもこれだけは言える。自殺されると僕の仕事が増えるんだ。だからやめてくれ」


「最低です……」


「最低? なんだ? 見知らぬ男に慰めてもらいたいのか?」


「結構です! もう意志は変わらないので。どんな仕事をしているかは知らないですけど、もう私の邪魔をしないでください」


「はぁ、そうだな。じゃあ端的に言ってやる。お前が死ねば悲しむやつがいる」


 青年の言葉に耳を傾けることなく、少女は再び空を見た。

 一週間ぶりの快晴。ため息は風の音に掻き消される。


「これが見えるか?」


 少女は振り返らない。


「これはさっき亡くなった女の子が作った花の髪飾りだ」


 少女は振り返った。

 青年が持っているのは白い花の髪飾り。


「亡くなったって……」


「あぁ、交通事故だ。女の子はまだ五歳だった」


「何を言って――」


 少女の言葉を遮るように、青年は続けた。


「さっき、僕がなんの仕事をしているかって話をしてただろ。僕の仕事は死人をあの世へ案内する死神だ」


「ここに来てそんな見え透いた嘘ですか。呆れました」


「赤梨千夏。高校二年生の十七歳。誕生日は先週の七月七日水曜日。血液型はAB型。他にもたくさん知っている。もちろん、学校でいじめを受けていることもな」


「や、やめてください! なんで……知ってるの……」


 少女――千夏は死神を名乗る青年を見た。


「僕は死神だからね。神から恩恵ももちろん受けている」


「本当に、死神……? 本当に死神なら教えてください。ら、来世は存在してるんですか」


「あぁ、存在している。だが、人々が期待する来世を望むなら自殺はやめた方がいい」


「来世があるんだ……」


 千夏はどこか安心したような表情を見せた。


「あなたは本当に死神なんです、ね……」


「僕はね、ついさっき五歳の女の子を天国へ案内してきた。その別れ際に渡されたのがこれだ」


 それは先程持っていた白い花の髪飾り。

 

「公園。女の子は母親と公園でこれを作っていた。そして母親がトイレに行っている隙に、少女は髪飾りを握ったまま、横断歩道でトラックとぶつかった」


 千夏は死神の言葉に、口を両手で覆った。


「俺が迎えるときには女の子は死んでいて、道に寝そべる自分の姿を見て死んだことを、五歳ながら自分で理解した。で、言ったんだよ。――お母さんのために作った髪飾りあげられなかった、って」


 死神は続ける。


「まだ五歳だとなのに感情を押し殺して作り笑いを浮かべていた。僕も長い間この仕事をしていたが、そんな子は初めてだ」


「なんで……死神なら女の子を救えたんじゃないんですか……」


「無理だ」


 死神は断言する。


「毎日、日が変わる瞬間に迎えに行かないといけない人が書いてある名簿が死神に渡される。名前も、死因も。死ぬ時刻さえもそこに記されている」


 でも、と死神は言葉を続ける。


「死神風情には救えない。何故ならそれが神の定めた運命というやつだからだ」


 千夏は死神の言葉に再び大粒の涙を落とした。


「この子は生きたかったはずだ。あの作り笑いも、生きたいと願い、自らの運命を恨んだ結果に出来た副産物だ」


「私どうすれば、いいの……?」


「生きろ。それだけでいい」


 それに、と死神は静かな口調でつづけた。


「今日届いた名簿に君の名前はなかった。つまり、まだ死ぬ運命じゃないということだ。頑張って生きろ。それがお前に出来る全てだ」


「頑張って……頑張って生きます……女の子の分まで」


 影で見守ることしかできない。だが、千夏の決意は死神にも伝わった。

 いじめを根絶することはできないが、千夏に何かを与えられた気がする。


 屋上から去る千夏を目で追い、死神を薄っすらと笑った。

 そして誰もいなくなった屋上で、死神は空を仰いだ。


「何が死神風情だ。何が神の定めた運命だ」


 視線を落とし、ズボンのポケットから出した紙を見る。

 そこには先程まではっきりと書いてあった赤い文字が薄っすらと消えかかっていた。


 ――赤梨千夏。十七歳。自殺。


「ふん。仕事が減ってちょっと暇になったな。かき氷でも食べるか」


 死神はその場で目を瞑り。

 死神は思い出す――自分の前世。自殺してしまった自らの人生を。

 それ以外の記憶はない。ただ、死ぬ瞬間が脳裏に浮かぶ。


「これが消えない記憶。自分が犯した罪、か」


 死神というのは前世に大きな罪を犯した人間がなるという。

 そしてその罪の中でも一番大きい罪は自ら命を絶つこと。

 

 前世の自らが犯した大罪を思い出し、死神は苦笑いを浮かべた。


「人々の期待する来世、か。僕も死ぬ前に死神に出会ってたら、今頃そんな来世があったのかもしれないな」


 死神の冗談っぽく吐いた言葉は、屋上の風となって消えていった。

 そして再び、死神は空を見る。




 ――よく晴れた、ある夏の日のこと。


 空は青く、雲は白い。雨続きだった街に一週間ぶりの快晴が訪れた。

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