第20話 田植え後の仕事とは
田植えを終えると、米農家は時間に余裕ができ始める。
天気予報を確認しながら田んぼの水量を調節したり、
家族で見回りをする田んぼを割り振り、雨が降らない限りは毎日田んぼへと足を運んでいた。
「美奈子、仕事だ」
いつも通りに作業着へ着替えている途中、玄関の方から賢治に呼ばれた。
時刻は朝の八時。
まだ日差しは強くなく、気温も高くない。農作業をやるならば、この時間はベストだった。
「十分で支度してこい」
「はーい」
今度こそ日焼けをしないように、作業着から露出する部位には日焼け止めをしっかり塗る。もちろん手の甲にも塗った。
美奈子はすでに着替え途中だったので、準備を整えるのに五分もあれば充分だった。
準備を終えると、賢治の運転で軽トラックで田んぼまで向かった。
「今日は田んぼに除草剤を撒く。手作業で、な」
「うわぁ……」
田植えを行っているので、どれだけの面積があるのかを美奈子は知っている。
そこへ手作業で除草剤を撒くのだから、相当歩くことになる。
大変な作業であることが、すぐに想像できた。
「苗を踏まないように気をつけて、田んぼの中を歩きながら除草剤を放り投げる。ムラがないようにな」
賢治が美奈子に手渡したのは、荷台に載っていた紙の袋に入った顆粒の薬剤――除草剤だった。これ自体は重くない。だが、田んぼの中へ一歩入ると泥のせいで足が重い。
「こことあそこと、そこと……とりあえず三袋の除草剤は置いておくが、足りなかったら電話しろ。俺は向こうの田んぼでやってるから」
一度除草剤を撒く見本を見せてから、賢治は乗ってきた軽トラックで、別の場所へ向かう。かなり広い田んぼをどうやら美奈子と賢治、それぞれ分担して除草剤を撒くようだった。
「よしっ」
一人になった美奈子は気合いを入れ、田んぼの中へ足を踏み入れる。
美奈子が歩く度に、びちゃびちゃと音を立てる。水中には小さな生き物たちも見えるので、苗と生き物たちを踏まないように気をつけながら歩き、除草剤をひたすら撒き続けた。
お昼のチャイムが鳴ったころ、賢治が美奈子を迎えに来た。
田んぼの横に車を止め、そこから降りてきた賢治は田んぼへまかれた除草剤を確認する。
「こんな感じで問題ない。今日一通りやるだけやって、十日後にまたやる。全部で三回な」
「十日後ねー! わかったー」
賢治がいる場所から、美奈子が今除草剤を撒いている場所までは離れている。
賢治の声は大きくないが、美奈子の耳が良かったのかハッキリと聞こえていた。なので美奈子は大きな声で返事をする。
「ここが終わったら帰るぞー」
「はーい」
あと少しでこの田んぼへと除草剤を撒き終えるので、キリがいいところでお昼にすることにした。
五分ほどで終えたので、田んぼの淵を歩きながら、賢治の元へ向かう。
「乗れ」
残った除草剤を荷台に載せて、賢治に促されるまま軽トラックに乗り込もうとした。だが、いくら農業用の車だと言っても、泥だらけの長靴のまま乗り込むのは気が引けた。軽く爪先で固い地面を蹴るだけでも、泥はそれなりに落ち、少しだけ綺麗になった長靴で軽トラックに乗り込んだ。
「終わりそうか?」
「頑張れば」
「そうか。じゃあ、次は東の田んぼだな。午後は暑いから、三時頃からやるぞ」
「はーい……あ、そうそう。田んぼに小さいオタマジャクシみたいなのいたんだけど、早くない?」
除草剤を撒く最中、見かけた生き物。
オタマジャクシのように丸い体に小さなしっぽを持った生き物が水中を素早く泳いでいた。
季節的にオタマジャクシにしてはまだ早い気がした美奈子は、その生物が何なのかわからなかった。
「そりゃ、カブトエビだな。カブトエビ農法……カブトエビが泳いでいると、雑草が生えにくいとか言われてたりもする」
「あー……そんな名前だったね。小学校のとき、いっぱい捕まえたやつだ」
美奈子は小学生のころの記憶がよみがえった。賢治と共に暇していた美奈子は田んぼへ連れてこられ、そこにいたカブトエビを何匹も捕まえて、バケツで飼っていた。何を食べるのか、どのように育てたらいいのかもわからぬまま何十匹も捕獲して持ち帰った。そひて気付いた頃には、半分以下にまで数が減ってしまっていた。
その時に生き物を飼うことは向いてないと思い、美奈子はずっと何かをペットとして飼うことはしていない。犬や猫を可愛いとは思うけれども、飽きっぽい性格でもあるので、ずっと世話をし続けることは無理だと感じていた。
「ん? 雑草が生えないようにしてくれるのに、除草剤を撒いちゃってよかったの? カブトエビ、死んじゃうんじゃないの?」
「……カブトエビがいなくても、除草剤の効果は出るから雑草は生えない」
「なるほど……」
無農薬を
だが、美奈子の家で作るお米は、無農薬だとは言っていない。ある程度の農薬を使い、安定した品質で、それなりの収穫量を得るためには、今までの手法に
「そのうちカエルも出てくるし、秋にはトンボとかイナゴとか色々出てくるぞ」
「自然が多いね。田舎って感じがすごい。虫が苦手じゃなくてよかった」
「虫が嫌いじゃ、やってけねぇな。母さんも結婚してから虫嫌いを克服したし」
「そうなの? お母さん、この前ゴキブリを笑いながら叩いてたけど。虫嫌いには見えなかったけど……」
田舎には虫が多い。季節によって様々な生き物たちが姿を表す。
美奈子は田舎で生まれ育ったため、虫が苦手ではなかった。
「母さん、テントウムシすら触れなかったし、見かけると逃げてたぞ」
「あんなに小さいのに? 知らなかったなぁ……」
普段、晴美は虫を見て叫ぶことはない。そんな今の晴美から想像できない姿に、美奈子は驚きを隠せなかった。
「中には米の成長に悪影響を与えるもいるから、注意しろよ」
「そんなのもいるんだ。色んな生き物が見れるの、楽しみだなぁ」
窓から見える、どこの田んぼにも植えられた緑の苗。それを見ながら美奈子は呟いた。
お米の収穫以外にも、美奈子に楽しみが一つ増えた。
☆
田んぼの中へ除草剤を撒き、
日に日に日差しが強くなり、気温も上がっていく中、除草剤に草刈りにと毎日農作業に精を出した。
「美奈子! あんた、この前渡したチケット、使ってないでしょう? 早く匠くんと行ってきなさいよ!」
夕食前、晴美が美奈子に言う。
美奈子は、以前晴美が手に入れた水族館のチケットのことを今思いだした。
「すっかり忘れてた……」
「でしょうね。最近、全然休みの話をしないんだもの。忘れてると思ってたわ」
少し前までは次の休みはいつかと、しょっちゅう賢治に聞いていたが、ここ最近は全く聞いていない。むしろ、明日は何をするのかということを聞いていた。
「もう七月になるんだし、夏休みとかお盆で人が増える前に行ってきたらどう?」
七月末から始まる学校の夏休み期間には、人が増え混雑が見込まれる。都会で過ごした日々は、電車も街も、どこもかしこも人が賑わっていたので、美奈子は人混みが苦手ではない。
だが、一緒に行く匠は、どちらかと言えば人混みは好きではないタイプだった。幼なじみということだけあって、美奈子は匠の好き嫌いを知っていた。
「次の土日、雨降るらしいから農作業やらないわよ。その日辺りにでも行ってきたら?」
「それもいいかも。連絡とってみるよ」
出来れば天気のいい日に出かけたいものだが、農家の休みは雨の日が多い。
匠がそれでも構わないと言うのなら、晴美の言う日に出かけようと、スマートフォンを手に取った。
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