第19話 初めての田植えで失敗したこと

 田んぼへ水を入れ、トラクターで代かきをする。乾いた土に行う田起こしとは違い、水を含んだ土はびちゃびちゃと音を立てた。

 代かきをすることで、土を平らにし、水がもれるのを防ぐだけでなく、苗が植えやすくなるので発育が良くなる。それに加えて雑草が生えにくくなるというメリットまであるので、必須の作業である。昔はこれを行うために、代かき用の道具を付けた牛に引かせてやっていた。それがトラクターで出来るようになり、運転席へ座っていればよいのだから、技術の発展に感謝した美奈子であった。


 稲の発育面に対していいこと尽くしの代かきでも、トラクターの走る速度に気をつけたり、トラクター自体の転倒にも注意が必要である。

 トラクターが横転する事故は、過去に何度も起きている。あの巨大なトラクターが、人の上に倒れてしまうので、下敷きになった人には重い障害や、最悪の場合死んでしまうこともある。便利だと言っても、決して気を抜いて作業できる訳ではないのだ。

 時間をかけて全ての田んぼの代かきを終わらせた頃には、すっかり田植えの季節になっていた。


「今日は田植えをするぞ」


「私は何をするの?」


 朝の賢治の指示は、当日の作業内容を簡単に説明したものである。

 大まかなことしか言わないので、具体的にどうやるかについては、聞き込まないといけない。美奈子は賢治に問いかける。


「結局田んぼ道を車で走る練習をしてないから、俺が苗を運ぶ。美奈子は田植えをしろ。田植機の操作は行ってから教える」


 また田植機には一度も触れたことがない。

 実際に触れてみないと、田植機の扱い方はわからない。

 じめじめと蒸し暑い中、初めての田植えが始まる。

 美奈子は作業着に着替え、徒歩で田んぼへと向かった。

 その後すぐに賢治が田植機を走らせてやって来る。

 トラクターに比べれば小さな田植機ではあるが、ガタガタと音を立てていた。

 田植機の後ろには、すでに緑色の苗がセットされていた。


「これがブレーキで、ここのレバーが……」


 運転席に美奈子が座り操作方法について説明を受ける。聞く限り、田植機の操作方法は何やら難しそうであった。

 そもそも田植えはまっすぐに進まなければならない。そのために、田植機の前方には目印となるよう細い棒が取り付けられている。これを見ながらハンドルを操作すると賢治が言う。しかし、以前美奈子が田起こしをした際にデコボコな地面にハンドルを取られ、斜めに進んでいたということがあった。田起こしならば、もう一度トラクターを走らせれば問題ない。だが、田植えともなればやり直しはきかない。もし、斜めに進んでしまい苗を綺麗に植えることができなければ、収穫までそのままになってしまう。

 斜めに植えられた苗など、不格好で、なんとも情けない。

 一通りの説明を受け、美奈子は気合いを入れてギュッとハンドルを握り締めて田植機を走らせた。


「その調子だ。次は後ろを上げて方向転換をしろ」


「はいさ」


 田んぼの端から端まで苗を植えたところで、レバーを操作してから、ハンドルを切る。そして再びレバーを操作して、田植機後方部を降ろす。

 植えた苗を見てみると、思ったよりもまっすぐに植えられていた。


「見てみて! 上出来じゃない!? すごくない!? あっ……」


 始めてにしては、上手く出来たと子供のように喜びの声をあげたのもつかの間。一瞬の油断から、斜めに進んでしまっていた。そのことに気がついた美奈子は慌てて視線を前へと戻す。


「気を抜いてるんじゃねえぞ」


 油断は禁物と、再びハンドルをしっかり握る。

 賢治の元まで戻ると、一度田植機を止めるよう言われ、エンジンを切った。


「見て見ろ。あの斜めに植えたところ。あれがなきゃ上出来だったな」


「うっ……あれは、ちょっと気を抜いたよ」


 田植機から降りて、植えた苗を見てみればよくわかる。明らかに斜めに進み、そこから慌ててハンドルを操作したことが。


「まああのくらいなら大丈夫だ。この調子で美奈子はそのまま植えてろ。俺が苗を軽トラックで積んで持ってくるから」


「うん」


「電柱の近くとか田植機で植えられない部分は母さんが手で植える。ひとまずはここと、あと隣の田んぼもやってくれ」


「わかった」


 その場を美奈子に任せると、賢治は歩いて家へと向かった。

 美奈子は田植機に乗り、田植えを再開する。

 田んぼの中に立つ電柱。田植機ではその周囲に植えることは難しい。なので、後から自転車で優雅に現れた晴美が、昔ながらの手で植える方法でその場所へと苗を植える。

 昼休憩を挟みながらも、続けること数時間。真っ赤な夕日が眩しくなると、この日の田植えはひとまず終了となる。

 苗を植えた田んぼを見ると、初めてにしては綺麗に植えるとができた。わずかに斜めに植えてしまっている部分もあるが、そこからリカバリーしてまっすぐ戻っている。苗が大きく育ったとしても、このくらいならば見た目的にも悪くない。そんなレベルだった。

 一日中、田植機を扱っていると、さすがに操作にも慣れる。美奈子は、田植機を運転して家へと帰った。

 田植機の操作には何も問題がなくなっていたが、ずっと座り続けるためにお尻が痛くなってきていた。またそれに加えて、別の問題が起きていた。


「おわっ……やばっ」


 帰宅後、洗面所にある鏡に映った自分を見て、思わず声が出てしまった。

 鏡に映った美奈子の顔は、鼻と目の下が真っ赤になっていたのだ。


「うわぁ……いてっ」


 雲もありつつ、太陽は出ており、晴れてはいた。だが真夏ではないので、日差しが突き刺さるほどの天気ではなかった。

 しかし、水の入った田んぼ――つまり水田であるために、日光は水面で反射し、上からも下からも日光を浴びていたせいで、何にも覆われていなかった顔の日焼けで赤くなっていたのだった。


「まずったなぁ……」


 日焼けをすると、黒くなってしまう体質の美奈子は頭を悩ませた。

 年齢が上がるにつれて、肌のターンオーバーは遅くなる。なので日焼けが元に戻るのも遅くなる。そのままシミとして残ってしまうこともある。

 会社勤めをしていたときに使っていた、弱めの日焼け止めでは太刀打ちできないことがわかった。


「あらあら、真っ赤っかね」


「やっぱり?」


「そりゃもうわかりやすいわよ」


 鏡とにらめっこしていた美奈子へ、通りかかった晴美。大変ね、と言いながら、洗面台の隣にある洗濯機で洗濯し始める。


「日焼け止めはこまめに塗り直さないと。手袋をしていても、手の甲が焼けるからそこも気をつけて」


 晴美に言われて手の甲を見る。

 手袋の編み目から、紫外線を浴びていたようで少しだけ赤くなっていた。


「……出来ればもう少し先に言ってくれた方がよかったんだけど」


 田植えをする前にそのアドバイスを聞いていたならば、日焼けはしなかっただろう。

 すでに日焼けしてしまったので、後悔しても仕方ない。次回から気をつけよう、ということしか出来ない。


「そうだった? ごめんなさいねぇ」


 晴美は洗濯機のボタンを押すと、そそくさとどこかへ行ってしまった。

 ガラガラと音を立てて洗濯機は動き始める。

 その隣の洗面台で、しっかりと顔の汚れを落としつつ、スキンケアを念入りに行った。

 そしてすぐに着替え、慌ててドラッグストアへと向かい、強い日焼け止めを購入することとなった。

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