第15話 種まきはまだまだ続く
種を蒔いた育苗箱は、一旦地面に積み上げておく。ある程度貯まったら、軽トラックに乗せて
美奈子の家の
「俺は先に行ってるから、すぐにこいよ」
「待って、私が運転する!」
賢治が軽トラックに乗り込もうとしたとき、美奈子が制止する。軽トラックを運転出来るようにとマニュアルの免許をとったが、運転するのはトラクターばかりであった。だから軽トラックも運転してみたい気持ちと、田んぼの中の道を走る練習をしてみたかったことから手を上げた。
マニュアル車特有のギアやクラッチもわかる。トラクターに比べれば、レバーもブレーキペダルもボタンもシンプルである。トラクターの扱いには少しずつ慣れてきている。それよりも簡単であろう軽トラックの運転をこの機会にやってみたいと思ったのだった。
「ダメだ。お前にはまだ早い。もっと田んぼの中で走る練習してからじゃないと。運転に失敗して、田んぼの中に落ちたら、せっかく蒔いたやつがぐちゃぐちゃになる」
「それもそうかも……」
「だろう? 並べる場所はすぐそこだし、早く来いよ」
「うん、わかった」
美奈子を納得させると、賢治は軽トラックに乗り込んで行ってしまった。
細く狭い田んぼ道は、直角に曲がらなければならない場所もある。普通の車なら、直角に曲がることは難しいどころか、車種によっては無理がある。しかし、運転席の下に前輪があり、前輪と後輪の間隔が狭い軽トラックならば、直角に曲がる農道でも走ることを想定し、小回りが利く。
田起こしをした場所ならば、それなりに幅のある道に面していたため、トラクターの運転が初めての美奈子でも難なく通ることができた。その道より狭く、一方通行の細い道での運転はやったことがない。そんな道を初めての車でぶっつけ本番でチャレンジするよりも、練習してからの方がいいことは美奈子にもよくわかった。
「やる気満々だな、おい」
つなぎの袖で汗をぬぐいながら、匠は美奈子に声をかける。
「もちろん。本職ですから」
ニコッと笑う美奈子。その顔を見た匠は、驚いたような表情を見せた。
「え? 何かおかしかった……?」
匠が驚いた理由がわからず、その真意を問う。
「いや、変わったなって」
汗をぬぐう手を止めて、匠は目を丸くしたまま答えた。
「仲良しなのはいいけど、早く行きなさいね」
晴美が割って入った。
美奈子たちが
「そうですよね。早く行かないと、遅いって怒られちゃうし」
「お父さん、口には出さないけど、怒るときは怒るんだよね。態度で示すというか……」
「そうよ。だから早く行きなさい。お母さんは次の準備しておくから」
晴美は美奈子と匠の背中を押して急かす。
「じゃあ、行ってくるねー」
美奈子と匠は苗代田へ向かって、歩き出した。
「遅い。すぐに並べろ」
苗代田では、賢治が既に育苗箱を二列に並べていた。慌てて美奈子たちも並べ始める。
軽トラックの荷台は腰までの高さ。そこから育苗箱を地面へと、水平を保ったまま降ろす。水を含んだ育苗箱は重い。賢治と匠は二枚、三枚まとめて地面へ降ろしてから並べるが、非力な美奈子は一枚ずつしか運ぶことができない。立ってはしゃがんでを繰り返す作業は下半身に、育苗箱の重さは腕に負担がかかる。また、地面は水が染み込んでおり、軽くたびにびちゃびちゃと音をたてる。一歩進むにも一苦労だ。
育苗箱をただ並べて終わりではない。細い支柱を使い、ビニールのトンネルで育苗箱を覆う。賢治が先に苗代田へ必要な道具を運んでいたようで、苗代田の端に支柱やビニールが置いてあった。
「匠くん、支柱を頼む」
「わかりました」
軽トラックにはあと十枚ほど育苗箱が残っているところで賢治が指示を出す。匠は短い賢治の指示を理解したのか、育苗箱を並べてるのをやめて、長い支柱を手に持った。
「美奈子も支柱を手伝え。残りは俺が並べていく」
「はーい」
どうやるかはわかっていないが、美奈子も並べるのをやめて立ち上がり、体を反らす。曲げっぱなしだった腰が、パキパキと音を立てた。
「俺が支柱をこっち側で刺すから、反対側を同じように刺してくれるか?」
「同じに、ね。わかった」
育苗箱を挟むように美奈子と匠は並ぶ。匠が刺した支柱を、反対側の美奈子も同じように地面へと刺してアーチを作っていく。
再び腰を曲げたまま行う作業なので、体がひどく痛んでいた。
「それが終わったらビニールを頼む」
「了解です」
苗代田の端から端まで支柱を刺したが、それだけでは育苗箱が並びきらなかった。賢治は隣に再び二列ずつ育苗箱を並べていく。
「次はどうするの?」
「あの白いビニールを支柱の上からかぶせて、その上からまた支柱を刺して……風が吹き込まないように、ビニールの端に泥をのせるだったかな?」
「詳しいね。でもなんでビニールで覆うの?」
「……それは知らない」
ビニールを運びながら匠が説明していたが、浅い知識のようで、詳しいことは知らなかった。
「ビニールで覆うのは、中の温度を上げて苗をよく育てるためだ」
育苗箱を取りに来た賢治は話を聞いていたようで、間に割って入った。
「米は日光でデンプンを作り、穂に貯めたものだ。デンプンをよく貯めるには、花が咲いているときがいい。そして、日光が強いのは夏。夏に花を咲かせるには早くに苗を育てないといけない。だが、四月末の気温じゃ低くてよく育たないから、ビニールハウスにして温度を高めることで苗を育てる」
「なるほど」
「昔ながらの知恵って感じだね」
匠、美奈子と続いて納得した。
「この方法を使えば、八月に稲刈りすることもできる。うちはそれよりも、苗を育てるために並べてるんだがな」
「ああ、田植えって苗が育っている必要がありますしね。それを作るために」
「そうだ。
「どういう意味?」
「植物を作り終えるまでの半分が苗を育てること。つまり、苗を育てるまでが重要ってことだ」
「へえ……最初って大事なんだね」
「何でもそうだろ。最初に躓いたら、残りもグダグダになる。最初が肝心だ」
賢治は育苗箱を持つと、再び静かに並べ始めた。
ただ並べればいいと思っていた美奈子だったが、作業の重要性を学んだ。
「納得したところ悪いけど、ビニール張るから片側を持ってくれ」
ロール状に巻かれている農業用のビニールを持った匠が美奈子を待っていた。匠は賢治の話を聞きながらも、作業を続けていたようであった。並べた育苗箱の列の端、そこへビニールの端を置き、その上には
「重いけどいけるか?」
「行ける行ける!」
「そうか、じゃあそっちを持ってくれ」
ロール状に巻かれたビニールは、またもや美奈子の想像以上の重さだった。美奈子はたかがビニールと舐めていた。匠は片手で持っているが、美奈子は両手で持たないと持ち上げることが出来なかった。
「足下気をつけろよ」
「うん」
ぬかるんだ地面にも注意し、カニのような歩き方で進み、支柱の上にビニールをかぶせていく。
「そのまま端まで」
「オッ、ケー」
全体にビニールをかぶせ終えると、今度は匠が支柱を持ってきた。
「また同じように刺す」
ビニールを抑えるように、上に支柱のアーチを作っていく。
そんな美奈子と匠の共同作業を、チラチラと見る人物に誰も気付かなかった。
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