第16話 同僚と届いた荷物
「飯にするぞ」
種を蒔いては苗代田へ運んで並べて……を繰り返していた。正午を告げるチャイムが鳴ってからもそれを続けた。
播種機には種と土がちょうどよくなくなったところで、賢治が作業中断を指示した。
美奈子は腕時計で時間を確認する。朝から続けて現在昼の一時半。腹の虫が鳴るのも頷けた。
「もうこんな時間だったんだ。うーんっ! お腹空いたー!」
体を伸ばし、家の中へと向かう美奈子。匠はスマートフォンで時間を確認してから、賢治に近寄る。
「じゃあ俺、そこら辺で食べてきます。午後は何時から始めますか?」
「うちで食ってけばいいだろう? そうすれば時間も気にしなくていい」
「そんなご迷惑でしょうし、家も近いんで」
「気にするな。うちで食ってくれた方が、母さんも喜ぶ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
賢治が家へ入れと、匠の背中を押す。断り切れなかった匠は促されるまま、玄関へ向かい、その扉を開けた。
すると中から騒がしい声が聞こえてくる。その声は応接間の方から聞こえた。
「誰か来てるのか?」
庭先で種まきをしていたが、苗代田に行っている間にやってきたのだろう。種まき中に訪ねてきたのなら、庭にいる匠たちも気付くはずだ。いつの間にか来ていた来訪者については賢治も知らないようで、こっそりと部屋を覗く。匠も興味本位で覗いてみた。
「ほんと、ご迷惑おかけしてすみませんねぇ。娘がお世話になって……」
「いえいえ! とんでもないです! 僕こそ、お忙しい時期にお邪魔してしまい申し訳ありません!」
晴美と話しているのは、ここら辺では見たことのない若い男だった。賢治と匠は、見知らぬ男に眉をしかめる。
「ここまで来るの、大変だったでしょう?」
「そうですね、長い間電車に乗ってましたし」
「何もないところでしょう?」
「そんなことないですよ。都会にはないものがたくさん……空気も綺麗だし、急ぐ人もいないので静かですよね。僕、定年したら田舎で暮らすって決めてるんで」
「あら、そうなの? その時はぜひこの地域に住んでほしいわね」
おしゃべり好きな晴美が質問し続けているため、二人の会話は終わらない。
覗いていた二人の男たちは、胸の中でモヤモヤが貯まっていく。ふと後ろから気配を感じた賢治が振り向くと、そこには僅差で家へと入っていた美奈子がお盆に麦茶が入ったグラスをのせて立っていた。
「何してるの?」
後ろから声が聞こえ、やっと匠も美奈子に気がついた。何をしていたと聞かれても、明らかに覗いていたようにしか見えない。覗きをしていたことが気恥ずかしくなり、賢治と匠は何も答えることはなかった。
「まぁ、いいけど。お昼ご飯は出来てるから食べてて」
美奈子はそのまま部屋の中へと入り、応接間の扉を閉めようとする。
扉が閉まる直前、美奈子の姿を見た途端に男の顔がぱあっと明るくなったことを匠は見逃さなかった。
「とりあえず昼飯、食うか……」
「そうっすね……」
どこか元気のない二人の男たちは、しょぼしょぼと食卓で昼ご飯である親子丼を口にする。それは種まきの途中で晴美が抜けて作っていたものだった。美味しいはずなのに、気分が上がらず、二人はお通夜のような静けさの中で黙って食べ進めた。
食べ終えてから十分後、応接間の扉が開かれたようで晴美の声が聞こえてくる。その声を聞き逃すまいと、物音を立てずに二人は耳を澄ました。
「何から何まで、ありがとうございました。皆様にもよろしくお伝えください」
「いえいえ、こちらこそ。お邪魔しました」
「じゃあ私、送ってくるね」
「そうね、送ってらっしゃいな」
美奈子を見送る晴美の声の後、玄関の扉が閉じる音までハッキリと聞こえていた。
晴美がスタスタと食卓の方へやってきた途端、賢治が無言で晴美に圧をかける。晴美は賢治が何を言いたいのかを察したようで、少し驚いた顔をしていた。
「やだねぇ、お父さんたら! 何も心配することなんてないわよ! さっきのは美奈子が勤めてた会社の部下の方よ。会社に置き去りにされていた美奈子の荷物を、出張のついでにわざわざ持ってきてくれたのよ」
ほらと晴美が指を指した方向にあったのは、ホールケーキの箱を縦に三つ積みあげたくらいの大きさの段ボールだった。ガムテープでしっかりと封がしてあり、その中に何が入っているのかはわからない。
「お昼作っているときに来たのよ。三人とも苗代田に行ってていなかったときに。せっかくだからお昼ご飯、一緒に食べちゃったわぁ」
どこまで軽い人なのかと匠は思ったが、余計な口は出さない。匠の代わりに賢治が口を開いた。
「荷物ぐらい、郵送すればいいだろう?」
「そうなんだけど、会社辞めた人にお金を使うことは出来ないとか何とか。とんだブラック企業ね。着払いって方法もあったけど、申し訳ないから出張がてら持ってきてくれたんだって。ほんと、いい子よね」
納得した賢治は、これ以上聞くことはしなかった。しかし、匠はまだ納得できていない。来訪した男が美奈子に気があるのではないかという思いが残っていた。
美奈子が戻ってきたのは、出て行ってからおよそ十五分後。
食事を終え、お茶を飲みながら休んでいるときだった。
「ただいまー。送ってきたよー」
変わらぬ声が玄関から聞こえ、匠はどこか安心した。「お腹減った」と言いながら、美奈子は匠たちがいる方へとやって来る。
「はいはい、ご飯ね。もうお昼というより、おやつに近いけど」
「それでもお腹減ったし、後半やるのにエネルギー必要でしょ? 食べないと」
「はいはい。座ってなさいな」
美奈子が匠の隣の椅子に座る。詳しいことを聞きたい匠だったが、美奈子の両親がいる傍らで聞き出すこともできない。
「それで、何を会社に置いてきたの?」
晴美が親子丼を美奈子の前に出しながら、段ボールへと視線を送る。
「え、わかんない。開けていいよ」
箸をとり、遅い昼食をとる美奈子に代わり、晴美がガムテープを切ることなく、手ではがし、雑に開ける。
「折りたたみ傘に、文具に、上着……あなたおっちょこちょいにもほどがあるわよ」
一つ一つ中身を取り出していく。
段ボールから出てきたのは普段使っていたもの。箱のサイズにしては少ないが、それでもいくつも出てくる。
「あ、それ……」
箱の奥にあったために、出てくるのが遅かったもの。
それは、匠に見覚えがあるものだった。
驚きから、匠はぼそっと声が出た。
「まだ使ってたんだ」
晴美が床に置いたのを匠が拾い上げる。
折りたたまれたそれを懐かしさから広げた。
「使ってたよ! 忘れてきたのは申し訳ないけど……」
色あせてしまっているが、間違いない。
それは高校生のときに匠が美奈子へプレゼントした、白いブランケットだった。
悩みに悩んでプレゼントしたそれを、美奈子が何年も使ってくれていたのだと思うと、さっきまでのモヤモヤも吹き飛んだ。
匠に嬉しい気持ちが溢れる。
それを言葉にすることはないものの、口角が上がり、目尻が下がる。喜びが顔に表れていた。
隣に座っていた美奈子からは、匠の横顔しか見えなかった。しかしその横顔から、匠が嬉しそうであるということはすぐわかった。
「ふふっ」
美奈子はあまりにも嬉しそうなので、思わず笑ってしまった。
「な、なんだよ?」
「いや、嬉しそうだなーって。照れ方がお父さんに似てるなーって」
匠と賢治が見合わせる。
お互いにどこが似ているのかわからず、首をかしげた。
その仕草も同じだったので、美奈子も晴美もクスクスと笑い出す。
「何でもいいが、そろそろ午後も始めるぞ」
自分が笑われているということに耐えられなくなったのか、賢治が立ち上がった。
「了解です」
匠も続いて立ち上がる。
「待って、まだ食べてる!」
遅れぬようにと、美奈子はまだ残っているご飯を慌ててかき込んだ。
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