第12話 弱ったときにはお酒しかない
匠が予約をし、待ち合わせは夜の七時。美奈子はその時間に合わせて、居酒屋までやってきた。お酒を飲むことを前提としているので、晴美に居酒屋まで送ってもらった。
白を基調とした居酒屋の扉を開けると、「いらっしゃいませーっ!」と元気な声が上がった。
「お一人ですか?」
黒のポロシャツを着て、腰に赤いエプロンを着けた女性店員に問われる。
「いえ、予約をしていると思うんですけど……」
「ああ! 山崎くんの! ってことはもしかして美奈子?」
「え、そうですけど……?」
「やっぱりー! あれ、もしかして気付いてない感じ?」
店員は美奈子のことを知っているような様子だったが、美奈子は店員のことはわからず、首をかしげる。
「やだなぁ、私だよ。
「恵梨香……恵梨香っ! え!?
変わったね!」
少し過去の記憶を遡り、佐藤恵梨香という名前を思いだした。恵梨香は小学校、中学校と同じ学校へ通っていた同級生であった。当時と同じく明るい性格で長く黒い髪と、右目の下にある泣きぼくろが特徴の恵梨香は、美奈子を見ながらニヤニヤとしている。
「美奈子も変わったね! 都会で働いてたんじゃなかった? こう……どこか雰囲気が大人って感じがする!」
「同い年でしょ。そりゃ私も大人だよ、おばさんに突入しそうだし。それよりいいの? お客さんが後ろにいるけど……」
ぞろぞろと後ろからお客さんがやってきていた。店の入口で立ち止まっているため、後ろがつかえている。
「あ、やばっ。とりあえず案内するねー! こっち、こっち!」
美奈子は店の奥へと案内される。入口付近の席とは違い、奥は扉付きの個室になっていた。
一番奥の個室へ入り、奥の席に座る。
「ちょっとお客さんを案内したらまた来るね! 待ってて!」
「うん、わかった」
恵梨香はすぐに後から来た客の案内へと向かった。
暇な美奈子は、メニュー表を手に取りページをめくる。
どれもこれも美味しそうなメニューで、目移りしてしまう。アルコールの種類も豊富にあり、何を飲もうかと悩むことが楽しくなっていた。
「お待たせ~」
数分後に恵梨香は戻ってきて、美奈子の向かいの席に座った。
「いいの? 仕事は?」
店員である恵梨香がここでサボっているのは問題ではないかと聞くが、恵梨香はずっとニコニコとしている。
「それな大丈夫なんだなー。ここね、うちのお店なの」
「うちの? って、ええ!?」
「正確に言えば、旦那のお店?」
「結婚したの?」
「そうだよー。佐藤は旧姓で、今は……」
苗字を言おうとしたとき、個室の扉が開かれた。
「おい、仕事サボってんじゃねぇぞ?」
入口に立っているのは恵梨香と同じポロシャツとエプロンを身につけた男性。呆れたような顔で恵梨香を見ている。そんな恵梨香は「見つかっちゃった」と言わんばかりの顔をしていた。
「し・ご・と」
「はーい! あ、これが私の旦那さん。
「旦那のことをこれとか言うな」
恵梨香は立ち上がり、早川の腕を組む。美奈子は早川の名前に聞き覚えがあった。だが、どんな人だったのかということまではハッキリとは思い出せない。
「あ、覚えてない? サッカー部で問題児だった人。中学校のとき一緒のクラスだったよ? 成人式で再会してから、ポンポンと結婚しちゃったの。で、お店開いたの」
「ああー! 思いだした!」
学校をよくサボっていた人かと思いだした。もっと不良のようにとがっていた早川が、今ではお店を開いており、ずいぶん大人になったんだなと感じた。
「仕事するぞ。注文入ってるから」
「はいはーい。じゃ、後でご飯でも行こうね、美奈子! 注文はそのタブレットでお願いね」
「うん」
バイバイと手を振りながら二人は仕事へ戻っていった。
昔の旧友が成長している。それに対して、自分は成長出来ているのだろうか。大人になって何か変わっただろうか。そう考えてみると図体だけが大きくなり、中身は何も変わっていないと思えてしまった。
「はぁぁ……」
大きなため息がこぼれる。
ただ都会への憧れだけで働いた。夢もなく、働いて得られたものは労働に見合っていない賃金しかない。ダラダラと嫌いな仕事をするために生きているだけだった。
恵梨香には「変わった」と言われたが、それは歳を取ったことによる見た目の変化だけだろう。精神的には何も変わることが出来ていない。そのため周りに置いて行かれてような感じがして、ため息がこぼれたのだ。
「なんか頼も……」
まだ匠は来ない。
一人で考えているとどんどんネガティブな思考になってしまう。嫌な思考を変えるためにはお酒しかないと注文した。
「遅くなったな……」
予約をしていた時間から一時間が過ぎてしまった中、自分の車を急ぎながら走らせた。
「いらっしゃいませー……って、山崎くん! すごく遅いよー!」
匠は店に入るなり恵梨香に言われて、苦笑いをした。
「道が混んでいたんだ。連絡はしておいたんだけど……」
「大変なのも知ってるけどさー。すっかり待ちくたびれて、美奈子、出来上がってるよ?」
一時間の遅れは大遅刻である。連絡しといたとはいえ、その後返事は来ていない。連絡自体を見ていない可能性が大きい。
恵梨香の案内で、店の奥の個室へ向かうとテーブルの上には空になった五つのジョッキ。そして頭皮まで真っ赤にした美奈子がテーブルに伏せていた。
「ごゆっくりー」
恵梨香は手を振りながらそそくさとその場を離れた。
匠は小さく「はぁ」と息を吐いてから、美奈子の肩を揺らす。
「おい、起きろ」
何度か声をかけつつ肩を揺らすと、ゆっくりと美奈子が顔を上げる。
「あ~。たっくんだ~」
すっかり酔っている美奈子の顔は真っ赤に染まっている。酔っているおかけで、昔の呼び名で呼ばれた。
「ああ、そうだ。遅れて悪かったな」
「ほんとらよ~。待ってたんだからぁ」
「悪かったな」
匠は美奈子の向かいにやっと腰を下ろす。
「お酒美味しいの~。たっくんもどう?」
「いや、俺は車で来たから。それに元々飲まない……飲めないからな。とりあえず、腹減ってるから何か食べたい」
「私も食べるのら~」
「そうだな。適当に頼んでいいか?」
「いいよ~」
匠はタブレットで注文を入れていく。
注文後、わずかな時間で恵梨香が料理を持ってくる。持ってくる度に恵梨香は匠に「頑張れ」と背中を押していた。
テーブルに並べられる料理は、サラダや唐揚げ刺身などバリエーション豊富。幼なじみであるので、美奈子の好き嫌いを知っている匠が、美奈子の好きなものを選んで頼んだものだった。
既に酔っている美奈子の分まで、匠が小皿に取り分ける。ずっとお酒しか飲んでいなかった美奈子は、それを受け取り真っ赤な顔で頬張る。
「おいひぃー!」
「そうだな。どれも美味しい」
真っ赤な顔で美味しそうに食べる美奈子。反対に匠の表情からは、何も読み取ることができない。
「そんなに、ここに来たかったのか?」
「そうだよー。知らない間にオープンしてたから、来たかったの」
「ここが出来たのは最近だからな」
「来たらビックリしたぁ。恵梨香が結婚して、早川くんと一緒に切り盛りしてるんだもん。大人になったよねぇ」
「そうだな」
「それに比べてさぁ……あたしは何も出来てないんだよ。なーんにも夢も目標もないまま、こんな歳になってさぁ。きっとあたしはこのまま独りで死んでいくんだー」
酔っているせいで美奈子の口から、ボロボロと本音が出る。
「親から結婚とか期待されてもさぁ、なぁーんにもないんだよ。あたしはこのまま生きていても、成長もできない」
美奈子の話を匠は食べながら黙って聞いている。
「みぃーんな、大人になっているのに、あたしだけ子供のままなんだ。ずーっと親の言うことを聞いて。農業をやってるけど、作業の役に立たないし。あたしがいても意味がないんだ」
美奈子は箸を置き、テーブルに伏せた。
「初めて農業やる人が、すごい役に立つ人なわけないだろ。俺はお前が随分大人になって、綺麗になったと思うけどな……」
匠は自分の発言が恥ずかしくなり、顔が熱くなった。慌てて冷たい水をグイッと飲む。落ち着いたところで、美奈子にそれが気付かれていないか様子をうかがう。
そしてその時に気がついた。
「……って寝てんのかよ」
スゥスゥと寝息が聞こえたことで、美奈子が眠ってしまったことに気付く。真っ赤になったことは気付かれていない。安心したと同時に、呆れもあった。
まだまだ注文した料理は残っている。頼んだものを残して帰るのは店に悪いと匠はそれを一人で全部食べた。その間、美奈子が起きることはなかった。
「はいはい、お会計ですねー」
注文をするときに使うタブレットから、会計ボタンを押すと恵梨香がやって来る。
酔い潰れて眠った美奈子をみて、恵梨香は「あちゃー」という顔をしている。
「タクシー呼ぶ?」
「いや、いらない。俺、飲んでないから送ってくよ」
値段を確認し、恵梨香にお金を支払いながら話す匠の顔を見て、恵梨香はニヤッと笑みを浮かべた。
「なんだよ?」
「いやぁー……片思いし続けた美奈子が戻ってきて嬉しいんでしょー?」
「ばっ……! 何のことだし!」
「照れちゃってー。涼太から聞いてるんだよ? 中学のときから好きだったんでしょ? わざわざ高校もレベルを落として同じ所に通ったのに、告白できないままで。今日だってさ、それ、美奈子にプレゼントでしょー?」
恵梨香は匠の席の隣に置いた紙袋を指さして言う。
「いちいちうるせぇなぁ……そのごちゃごちゃ言う旦那に黙っとけって言っとけよ?」
匠はお酒を飲んでいないが、耳まで赤くなってしまった。それを隠すように恵梨香にさっさと仕事に行けと、出ていくように手で払う。
恵梨香が去った後、眠る美奈子を家まで送るため、美奈子の肩をゆすりながら声をかける。
「帰るぞ」
「うーん……いやぁ……」
「嫌じゃねえよ。送ってくから」
「うー……」
なかなか動こうとしない美奈子の腕を匠の肩へと回し、無理矢理立たせる。
「お、帰るんか? また来いよ!」
そのままズルズルと引きずるように店の出口へ向かい、歩いているときに店主でもある同級生の早川に声をかけられた。
「お前、余計なことを言ってんじゃねえよ」
「さあて、何のことだか」
「お前が俺のことを知ってるように、俺もお前のこと知ってるんだからな。片思いしてた中学のときの先生に……」
「あーわかった、わかった。もう言わねえよ」
「ならいい」
店を出ようと早川に背を向けたが、最後に一言背中を押される。
「たまには思い切って行動する方がいいぞ。これ、親友からのアドバイス」
「……頭の片隅に入れとくよ」
早川とはずっと仲良くしていたため、匠は何でもよく話していた。そんな親友の言葉を受け取り、店を出た。
「頭ぶつけるなよ」
「ふぇぇい」
匠の車の後部座席に座らせて美奈子の家まで走らせる。
「う……なんか吐きそう」
「ちょっ! 頼むから吐くなよ? あとちょっとだから!」
「気持ち悪い……」
バックミラーで口元を抑える美奈子の様子を見ながら、急いで車を走らせた。
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