第9話 美味しいお米は土作りから

 薄いピンク色の桜が咲き、明るい色の服を着るようになる季節。太陽が昇るのも早くなっている。まだ気温が上がらず肌寒い朝に、美奈子は晴美にたたき起こされた。


「美奈子! 早く起きなさい! 今日は土をふるかないといけないんだから!」


「ふる……? へ?」


 瞼がまだ開かず、寝起きで頭が回っていないときに、「ふるく」という知らない言葉を聞かされる。


「土を砕くのよ! やる量が多いんだからはやくやるの!」


 そう言って晴美は美奈子の部屋から出て行った。

 美奈子は眠い目をゴシゴシとこすりながら起き上がる。

 時刻はまだ朝の七時だった。

 美奈子もパジャマのまま、台所へと向かう。

 食卓には、既に盛られた白米と共にわかめと豆腐の味噌汁、そして目玉焼きが並んでいた。

 既に賢治はネイビーのつなぎを着て、それを食べ始めている。


「おはよ……」


「遅いぞ。ふるくのやれよ」


「さっきから思ってたけど、ふるくって何……?」


「説明してなかったか? ふるくっていうのは、土を細かく砕くんだ。うちは種から育てるから、まずその土を準備する。それの最初の段階だ」


「ごめん、わかんない」


 賢治の席の横に座り、話を聞くまだ理解できていない。


「まさか美奈子は、お米の種を直接田んぼにまくなんて思ってないわよね?」


 湯飲みにお茶を注ぎ、賢治の向かいに座った晴美は嘘でしょうと言わんばかりの顔で美奈子を見た。


「まさか。なんかほら、黒いのに種まいて、育ったら植えるくらい知ってるよ」


「その黒いの……育苗箱っていうんだけど、それに土を入れる準備よ。田んぼから持ってきた土を機械に入れて細かく砕く。同時にわらと土を分けてくれるから、本当に土だけが分けられるのよ。で、細かくなった土と肥料と混ぜたら土が完成。それを育苗箱に詰めたら種まきの準備が整うの」


「へぇー……」


 晴美の言葉だけでは分からない。口だけの説明で理解するよりも見た方が理解しやすいので、晴美の言葉を聞き流しながら朝食を食べる。

 食べることにさほど時間をかけない美奈子は、まるで流し込むように食べ、作業の準備に取りかかった。

 以前は晴美の作業着を借りたが、今回からは違う。汚れてもいいもので、そして動きやすく、快適なもの。それでもって、見た目が悪くないもの。全てに該当するものをインターネットで探すと農作業服専門で扱うサイトがあり、そこで購入した作業着を初めて袋から出した。

 賢治が着ているようなつなぎも考えたが、女性の場合はトイレに行く度に脱がなければならず面倒なため却下した。そして購入したものはネイビーのジャケットとパンツ。ジャケットにはいくつもチャック付きのポケットがついており、スマートフォンもしまうことが出来る。パンツも同色で、ストレッチ素材で出来ているので動きやすい。

 届いてから初めて着て作業をするので、美奈子は少し浮かれていた。


「よし! やるぞっ!」


 作業着を着て、邪魔にならないように髪を一つにまとめる。念のため日焼け止めも塗り、準備は万端である。

 軽く両頬を叩いて気合いを入れてから、長靴を履き、外へ向かった。


「こっちだ」


 賢治がいるのは庭にある倉庫の奥だった。

 そこへ何やら見覚えのない機械を運んでいる。


「なにそれ?」


「これか? こっちに土を入れると、中でグルグル刃が回って、細かい土が下から出る。その他のゴミは反対側から出る」


 賢治が運ぶ機械こそが、土を砕くためのものだった。

 縦一メートル、横七十センチ、高さ一メートルほどの農機具としては小さめな機械。これを今日は使うようである。

 その機械を倉庫の奥へ起き、コンセントを繋いでスイッチを入れる。すると、ガコガコと今にも壊れそうな音を出しながら動いた。


「動きは問題ないな。これはオーケー。じゃ、俺が土を持ってくるから」


「あ、うん。わかった」


 賢治はトラクターへ乗り込む。

 田起こしをしていたトラクターには、ロータリーが付いていた。しかし、ロータリーでは土を持ってくることは出来ない。

 賢治は器用にトラクターを操作し、ロータリーを外すと、隣に置いてあった白い箱のようなものをトラクターにつけた。そして大きな音をたてて庭から出ていく。


「あれで持ってくるのか……」


 あの箱は何なのだろうかと、ポケットからスマートフォンを取り出して調べる美奈子。どうやら整地したり、土を運ぶ専用のもののようである。


「なるほどー」


 どうやら他に使う場面としては、整地や様々な機具の運搬、除雪の際にも使えるようだった。ただ、大雪となることはほとんどない美奈子の地域では、除雪する必要はないのでその場面で使うことはない。また、農機具を運ぶ際に役立つのは軽トラックの方がよく使うので、本当にこのボックスの出番は少ない。


 賢治が戻ってきたのは約十分後。

 大きな音をたてて、多くの土を持ってきた。その音で気付いたのか、晴美も作業着に着替えて美奈子の元へ来た。


「やるわよ! はい、軍手とスコップ」


「うい」


 倉庫の手前までバックでトラクターを移動させて止める。

 そしてそのままそこへ土を一気に落とした。そして再びトラクターは出ていく。


「……で?」


 このあとどうしたらいいのかと、晴美の顔を見る。


「この土をこの機械に入れて」


 先ほど賢治が置いた機械の口を指し示すが、その高さは一メートルほどある。筋力のない美奈子からしてみれば、土を乗せた重いスコップで持ち上げても、なかなか辛い高さだった。

 美奈子は思わず眉をしかめた。


「無理だって思ってるんでしょ? 大丈夫、こんなときはバケツがあるから」


 そう言ってどこからともなく持ってきたのは、銀色のトタン製のバケツ。一つではなく五個ある。


「お母さんがこれに土を入れるから、美奈子は持ち上げて機械に入れてちょうだい」


「持ち上げてって……」


「中で土が詰まってないかを見ながら、入れて。空いた時間にはバケツに土を入れて。さ、やるわよ」


 晴美が美奈子の返事を聞くことなく機械のスイッチを入れる。すぐに機械がガコガコと音をたてて動き出す。晴美はバケツに土を入れていく。


「早くやりなさい!」


「ええっ!? 入れろってこと?」


「そうよ!」


 機械の音が大きく、声がかき消される。

 渡されたスコップを地面に置き、土が入ったバケツに手をかける。


「おっ、もっい……よっこいしょっ!」


 久しぶりに重いものを持つ美奈子は、気合いを入れ直して持ち上げる。ふらつきながらも、やっとの思いで機械に土を入れるとさらに大きな音をたてた。そして下から細かくなった土がパラパラと落ちてきた。「おおー」と感動している間にも、晴美は残りのバケツに全て土を入れ続けている。


「早くするのよ! お母さんはこの土を端に寄せたり、藁を退けるから」


「やる、やるよ!」


 晴美が出てきた細かい土を鋤簾じょれんで壁際へと寄せる。美奈子は機械の様子を見つつ、土を機械へ入れる。二人の流れ作業となった。

 四つ目の土を入れたところで、賢治が再び土を持って戻ってきた。

 大きな塊ばかりの土の山が小さくなったと思ったのもつかの間、すぐに賢治が持ってきた土を積まれる。そして再びトラクターは庭から出ていく。終わりの見えない作業に思え、顔が引きつった。

 せっせと土を持ち上げて機械へと入れては、スコップでバケツにも土を入れる。

 いくら機械化が進んでいると言っても、こんなに重労働の仕事があるとは思ってもいなかった。

 何度も何度も繰り返すうちに、だんだんと美奈子の腕は力が入らなくなってきて、バケツを持ち上げるのにかかる時間が長くなる。

 それを見かねた晴美が、美奈子が持つバケツを奪い取った。


「あんたはお母さんがやってたやつを代わりにやって。見てたからわかるでしょ? 土を入れるのをお母さんがやるから。あんたがそんなちんたらやってたら終わらないわ」


「うん」


 晴美から鋤簾じょれんを受け取り、細かくなった土を寄せる。土の入ったバケツに比べれば鋤簾は軽い。それでもある程度力が必要である。


「ほら、藁もとって!」


「はい」


 鋤簾やスコップ、土に比べたら、藁が一番軽い。

 それにひとつひとつが長いので手で引っ張ればすぐにまとめてとれる。

 腕が使い物にならなくなった美奈子は、このあとずっと鋤簾を使った作業しかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る