第8話 突然だけど、決意しました
美奈子は昼食後、仕事を探そうとは全く思っていなかった。仕事探しは後回しと、自分の部屋で動画を見たり、本を読んだりと好きなことをしているうちにどんどん時間が過ぎていく。部屋でくつろぎ始めてから一時間半が経った頃、スマートフォンにメッセージが届き、初期設定のままの通知音が鳴り響いた。
美奈子は続きが気になるが、本のページをめくる手を止め、スマートフォンに手を伸ばして画面を見た。どうやら新着メッセージが届いているようで、その送り主は先ほど会った匠だった。もう仕事を見つけてくれたのかと期待しながら内容を確認する。
『仕事を紹介しようと思ったんだけど、それより重要なこと思いだしたから伝えとく。二丁目の間中さんが体を壊して、農業出来ないから土地を使ってくれないかって言ってた。お父さんに伝えといて』
匠からのメッセージは、美奈子の期待した内容ではなかったので、少しだけ肩を落とした。
美奈子が暮らす地域はかなり高齢化が進んでいる。もちろん農家も例外ではない。多くの農家は、代々子供へと引き継がれている。子供が引き継がない意思を見せたならば、自分たちでやれるだけやるしかない。体が動かせるうちは農家を続けるが、跡継ぎがいなければ離農。そうすれば今まで使っていた土地をどうもできずに、草だらけになってしまう。元が田んぼなので、田んぼを売ってそこへ家を建てようにも地盤が悪い。また、多くの田んぼは、住宅地から過ごし離れているので電気や水道などのライフラインを引かなければならない。それに農地から宅地へ変更する手続きや、土地の状態を計測し……と時間やお金がたくさんかかる。多くの田んぼは駅からも離れているため、そもそもその土地を購入する人がいるかすら怪しい。ならば離農して土地を売ったり放置しておくよりも、誰かに貸して、そこで米を作ってくれた方がありがたいというのが高齢農家の考えのようであった。
『オッケー、伝えとく』
ただそれだけを返し、スマートフォンをテーブルの上に置いた。
食後のせいか、だんだん瞼が重くなり、「ふわぁぁ」と大きなあくびがでた。美奈子はそのまま眠気に負けてしまい、仮眠をとった。
薄暗くなってきた夕方、トラクターに乗って賢治が帰ってきた。仮眠中だったが、大きなトラクターの音で目が覚め、美奈子は、家の中に入ってきた賢治に匠からの伝言を伝える。
ガラスに囲まれたトラクターのおかげで、あまり汚れていないつなぎを脱ぎながら、賢治は美奈子の話に耳を傾けた。
「お父さん、匠からの相談がきてる」
「なんだ?」
美奈子は匠に送られてきたメッセージの内容を伝える。
「二丁目の間中さんが、土地を使ってくれないかって」
「そのことか。前から……いや、稲刈り終わった時から聞いてた。今さっき田起こしもしてきた。あのばあさん、ぼけてるからな。何回でも同じことを言う」
「あ、そうなんだ」
「ああ。そこで何だが……美奈子。お前、就農しないか?」
「……は?」
美奈子の頭では理解出来ず、目を丸くする。
「間中さんちの土地、というより田んぼは広い。それに、いくつか他の家からもやってくれって言われてる。今年は間中さんの家のところを増やしただけだが、来年からはもっと増やす。俺と母さんだけじゃ、とても終わらない。だから、専業農家になれ」
「え? え?」
「どこもうちと同じ品種だし、種は既に買ってある。手続きもしてあるから問題ない。今年はみっちり教えるから、来年からは本格的にやれ」
「うん? え? 仕事を探せって……」
賢治はつなぎから、ラフな服装へ着替え終える。目の前で父親の下着姿を見たが、今更恥ずかしさも何もない。それよりも農家になれという突然の話に、美奈子の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいる。
「仕事は家のをやれ。大丈夫だ、やり方は全部教える。だから、お前の本職を農家にしろ」
今まで仕事を探せと言われていたが、ここになって急に農家だけをやれと言われて、戸惑うばかりの美奈子。
そんな美奈子の元に、台所の方から晴美がやってきた。
「何やら騒がしいけれども、何をしてるの?」
「お母さん。お父さんがね、なんかね……よく分かんない」
一から話そうにも、うまく話をまとめられずただ戸惑いだけを伝えた。もちろんそれだけでは晴美も何があったのか理解できない。なので美奈子に代わり、賢治が話の内容を伝えた。
「あらぁ、間中さんが。それもそうよねぇ、間中さんもずいぶん高齢だもの。旦那さんがメインでやってたけど、入院しちゃったのよね。奥さんだけじゃやっていけないし。もう、美奈子が就農するのもありよね」
「え? 本当に言ってるの?」
「当たり前じゃない。農家も悪くないものよ。食べていくのには困らないし。まぁ、大変なこともあるけど」
晴美は美奈子が就農することに賛成のようである。
賢治が話を持ちかけたので、もちろん賢治も賛成であり、最後は美奈子だけだ。
家を継ぐことには同意していたが、それはあくまでも兼業農家としてやっていくことに同意したのであって、本業が農家になるのは定年後だと思っていた。まだ大型特殊の免許をとっただけで、知識もろくにない美奈子が、専業農家になれと言われてすぐに頷くことはできなかった。
「今時、農業女子っていうのもあるのよ。ほら、見てみて。可愛いわよね」
晴美が自分のスマートフォンで調べ、出てきた画面を美奈子へ見せた。
結婚して農家になった女性、家を継いだ女性、自ら農家を始めた女性……若い世代から高齢の方まで幅広い年齢で、農業に従事する女性をピックアップした記事が載っている。
「こう言うのもあるんだし、美奈子も仲間入りしてもいいんじゃない? どうせ暇でしょうから、後でよく見ておきなさいよ」
「確かに暇だけどさ……ええ?」
スマートフォンを晴美に返し、途方に暮れる。
そんな美奈子を放置したまま、晴美と賢治は台所へと行ってしまった。
「農家、ねぇ……」
まだ美奈子が幼く祖父母が生きていた頃、せっせと米作りをする祖父母を見て、かっこいいと思っていた。その時は農業への憧れもあった。成長するにつれて、それはいつしかなくなってしまった。
米作りだけで、暮らしていけるのかという不安もある。
しかし突きつけられた選択は、「はい」しかなく拒否権はなさそうであった。
ひとまず部屋に戻り、賢治へ伝えたことを報告する。
『お父さんには伝えたよ。何だか、私が就農しそうな勢いになってるけど。どうしよう?』
他に相談する相手がおらず、匠に相談することにした。
悩む美奈子への返事はすぐにくる。
『農業は嫌いか?』
『嫌いじゃない、むしろ好き』
『ならやればいいんじゃないか? 前職は好きじゃない仕事をやって辞めたんだろ?』
『でも……』
『初めては誰でも不安なものだろう? 不安でも、立派な師匠がいるんだからやれるむて』
この匠の言葉が、美奈子の背中を押した。
見よう見まねでやるのではなく、賢治が教えてくれる。一人ではないから、心強いことは間違いない。
『そうだね。また変な上司のところで働くのも嫌だし、農家になろうかな! 農業女子に!』
『おう。応援するよ』
思い立ったらすぐ行動する美奈子は、決心し、そのまま両親がいる台所へ向かう。
「お父さん、農業やる!」
扉を開けるのと同時に言い放った。
「わかった」
新聞を読んでいた賢治は素っ気ない反応である。反対に夕食を作る晴美は肩を震わせている。晴美の表情が見えないため、どうしたのかと近づいた。
「お母さん?」
「えっ、いや、ねぇ……! お父さんがあんなに嬉しそうにしてるからっ……なんか面白くて」
晴美は笑いを堪えているだけだった。
美奈子は賢治の嬉しそうな反応を見たくなり、顔を見ようとするが新聞で隠された。
「仕事決めて、あとは結婚ねぇ! うふふ、楽しみだわぁ」
晴美は美奈子が農家になることよりも、結婚を報告した方がすごく喜ぶだろう。美奈子はそれが出来るのはいつになるか分からないが、農業と平行して、出来れば早めに恋愛そして結婚出来たらいいなという願望を抱いた。
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