第3話 実家は安心するなあ
「さーってと。もう遅いし、そろそろ帰ろうかしら。お父さん、ちゃんとお医者さんの言うことを聞くのよ、いいわね?」
「ああ」
「若くて可愛いからって、看護師さんに手をだしちゃだめよ?」
「ああ」
「どんなに味が薄くても、病院のご飯を残さずちゃんと食べるのよ?」
「ああ」
「それから、それから……」
「ああ」
どうやら賢治は晴美の話に適当に返事をしていたようだ。しかし晴美はそれを咎めることもしなかった。
晴美のかなり一方的なマシンガントークが終わったとき、時刻は夕方六時半を過ぎていた。この病院の面会時間は夜八時までだが、洗濯や食事など帰ってから家事を行わなければならない晴美は、サッと荷物を持って立ち上がった。
「美奈子、帰るわよ。忘れ物しないようにね」
「はーい。じゃあね、お父さん。お大事に」
「ああ」
一方的に話をされて、聞くだけの賢治。その様子は美奈子が知っているまま、いつも通りであることにホッとした。
かなりお喋りな晴美と、かなり寡黙な賢治。足したらプラスマイナスゼロとなり、ちょうど釣り合っている。美奈子はそんな二人が喧嘩しているところを見たことがない。いつかこんな夫婦になりたいと思ってはいたが、相手がいない。その現実には、ため息をつくしかない。いつか結婚出来るだろうという甘い考えで過ごしていたら、あっという間に三十の一歩手前である。このまま未婚で、孤独死は勘弁したい。いい人に出会えないかと、病院内をチラッと見た。女性看護師と、老人が多い。美奈子は病院での出会いをすぐに諦めた。
病院を出て、再び晴美の運転する車に乗り込み、今度は生まれ育った実家へと向かう。冬は日が短いため、辺りはすっかり真っ暗だ。
病院から車で十分ほど離れ、車通りが少ない所にある美奈子の家。車のライトで照らされたその家は、何年も前に帰ってきた時と何も変わっていなかった。
広い敷地にドシンと構える一軒家。二階がないため、横に広い作りになっている。倉庫兼車庫になっている別の建物には、見慣れた機械が並んでいる。
「うーんっ! 着いたぁ!」
車から降り、大きく手を伸ばして深呼吸をする。
都会とは違い、暗くなったら家に帰る人達が多い田舎では、わずかにある街灯と星空が明るさをもたらしている。都会ではあまり見てなかったが久しぶりに、星空をよく見ることができた。
また、緑が多いこの地域の空気は汚れが少ない。大きく息を吸い込むと、肺に冷たく新鮮な空気が送り込まれる。同時に懐かしい空気が、美奈子を迎えてくれる。
「ほら、早く荷物を降ろして。晩ご飯作るの、手伝いなさいよね」
「うえー」
「ごちゃごちゃ言わないの」
「まだごちゃごちゃ言ってないんだけど」
「ほら、言ってるじゃない」
「あ、確かに言っちゃったわ」
真っ暗な中、晴美が長年の感覚で鍵穴に鍵を差し込む。そして誰もいない自宅の鍵を開けて入り、すぐに電気を付けた。美奈子もそれに続き荷物を持って家の中へ入る。
玄関には長年水槽で飼われた赤い金魚が悠々と泳いでいる。賢治が世話をしている金魚だ。それすらも変わっていない我が家が、実奈子に安心感を与えた。
「部屋はそのままにしてあるから。荷物置いて。それですぐ手を洗ってきたら夕食作るわよ」
「はーい」
玄関入って突き当たりにあるずっと使っていた自分の部屋。ベッドも机も何も変わっていなかった。誰かに使われた形跡もないが、ホコリが貯まっていない。どうやら、晴美が掃除をしてくれていたようだ。
そんな部屋に雑に荷物を置き、何も持たずに部屋を出て、台所へ向かう。
「来たわね。じゃあ美奈子はこれを切って。それで切ったやつをこっちに……」
「あー……はいはい。これ、シチューでしょ? もしくはカレー? どっちだとしても、言われなくても出来るって」
ジャガイモやニンジン、タマネギ……テーブルに並べられた具材から、夕食を予想した。
どの野菜もビニール袋に入っている。美奈子の記憶では、近所で様々な野菜を作っている人がいたが、今は冬。米農家が多く、野菜作りを
「それもそうね。一人暮らし歴七年の料理スキルを見せてちょうだいな。お母さん、テレビ見てるから。昨日録画したドラマがあるのよ」
「ええ? 一人でやるの? うへぇ……」
晴美はテレビを付けて、椅子に座った。流れるのは刑事ドラマ。美奈子も見たことがあるドラマで、やたらと事件が起こっては人が死んでいくものだ。夜九時から放送しているので、食事の前に見るものではないと思うが、本人が気にしていないようなので、淡々と料理する。
どこまでも自由な晴美に振り回される美奈子。不思議とそれが苦痛には感じなかった。
食材を食べやすい大きさに刻み、煮詰めてルーを入れて……調理開始から四十分が経った。
少し味見をして、最終確認をする。
「うん。できた!」
決してまずくない、美奈子的には上出来なシチューが完成した。
「ご飯は? 炊けてるの?」
「売るほどあるわよ。朝の分が」
晴美が指をさした先の炊飯器。
保温のままになっており、開けてみると余裕で二人分のご飯が残っていた。
「いや、売ってるんだけどね」
晴美にツッコミを入れながらも、作ったシチューを盛り、ご飯を茶碗によそう。
米農家だからと、シチューはご飯で食べてきた美奈子。シチューをパンと食べるという食べ方は都会に出てから知った。
しかし何年も続けた食べ方を変えることは出来ず、一人暮らし中も、そして今日もご飯と一緒にシチューを食べる。
「あら? 意外と美味しいわね。何か入ってるの?」
一口食べた晴美からの褒め言葉。
素直にそれを受け取り、ニヤニヤしながら美奈子は答える。
「味噌をちょこっと入れたの。これでも自炊してたから料理はできるよ」
「成長したねぇ。これならどこへ嫁に行っても大丈夫よ。でも、嫁に行くより婿を取る方がいいけど」
「そもそも、相手がいないんだけどね」
「そこは頑張らなくちゃ。意外と近くにいるものよ。そうそう、もう少ししたら白菜が出来るから、今度はそれを入れてもいいわね」
「産地というか、畑から直送だね」
「新鮮でいいでしょう?」
他愛のない会話をしながら、食べ進める。
近所のスーパーで購入した野菜と、実家から送られてくるお米。それを使って自炊していたので、料理は出来るようになった。しかし、一人で食べているものとはどこか味が違うように感じたのは、晴美がいるからかもしれない。何にせよ、久しぶりに人と一緒に食べる夕食は、美味しく感じた。
食後、自室へ戻るとベッドの上に置いておいたスマートフォンのライトが青く点滅していた。
食後に横になると、消化によくないと思った美奈子はベッドに座り、スマートフォンを操作する。
点滅していた理由は、メールが来たからであった。
『今日はデートだったのかな? 早く会社に来てほしいな。みんなが待ってるよ。というより私が待ってるからね』
メールの送信元は上司。
個人のメールアドレスは教えていないので、会社用のアドレスに送られて来ていた。
「うわっ……。仕事辞めよう」
メールには嫌悪感しかなかった。
すぐにメールを閉じる。このメールのおかげで、今の会社を辞めようとハッキリと決意できた。
仕事を辞める一ヶ月前には報告するように言われてはいるが、この気持ち悪い上司の下で仕事を続けることができるほど美奈子は強くない。今まで辞めていった人たちも、事前に上司に言うことなく、問題があった次の日から来なくなっていた。
本来ならば問題だが、そこはあれこれすぐに手配をして済ましていた。美奈子もこの方法を使うと決めた。
「やっぱり、地元が一番だよね……。仕事辞めて、こっちに帰ってこよ」
憧れの都会の生活は何年もした。都会の息苦しい生活よりも、田舎ののびのびとした生活の方が自分には合っていると感じ、退職の準備に取りかかった。
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