第48話 蠢く影
~東京・江東臨海病院~
翔たちは福岡に発つ足で知佐とダニエルの病院に来ていた。
「そう、太宰府に…。」
知佐は青白い顔で申し訳なさそうに目を閉じる。
長くカールしたまつ毛が寂しげなに震えていた。
「さぁちゃんも行くのね?」
心配そうに見つめる哀憐の眼差しに、紗織は決意の眼差しで答える。
「うん、絶対みんなで無事に戻って来る。」
「翔くん、みんな、さぁちゃんの事、よろしく…」
お辞儀しかけたが、激しい痛みに顔をしかめる。
「無理するな、じっとしてろ。」
「ごめんなさい…。」
「気にするな、俺たちは無事に戻って来る、その頃には知佐もダニーも元気になって退院だ!」
翔の励ましが気休めに過ぎない事は、知佐にはよく分かっていたが、それでも無理に笑顔を作る。
「みんな、気を付けて…。」
差し出した右手を握ってくれた翔の手、その暖かさが知佐の心に響き、涙が零れそうになるのを、誤魔化すように言葉を紡いだ。
「信じてるから。」
今にも壊れてしまいそうなその儚げな笑顔は、残酷な程に美しかった。
知佐の病室を出た翔たちが、ダニエルの病室に入ると、ベッドの上では、ダニエルが窮屈そうに上体を起こしている。
巨体のダニエルは日本の病院のベッドの規格に不適合で、お人形さんセットの小さいベッドにむりやり押し込まれたくまのぬいぐるみのようだ。
それが気に入ったのか、紗織は知佐だけでなくダニエルの病室にも毎日訪れて何やらお話をしているそうだ。
「もう行くとね?」
ダニエルは紗織とあいさつを交わすと、聞いて来た。
「あぁ、どうやら太宰府にあるっぽい。」
「太宰府!? そげん目と鼻の先にあったとか…。」
「今回は留守番だ、知佐の事は頼んだぞ。」
「くそ、あんヤブ医者が2週間絶対安静とか言いよってから!」
「おいおい、お医者さんの事をそんな悪く言うもんじゃないぞ。」
「そうよ、そうよ!」
半次郎と菜々に窘められて、ダニエルはバツが悪そうに俯く。
「ダニエルさん、絶対安静ですよ!」
10歳の少女にはそれが可愛いのか、紗織がにこにこしながら念を押す。
ますますバツが悪そうに頭を掻くと、急に真顔になって翔とレオナルドの方に顔を向けた。
「翔、レオ、頼みがあるっちゃけど?」
「ナンダ?」
「向こうに戻ったら、俺の屋台ば見てやってくれんね?」
「あぁ、任せとけ。」
「頼むバイ、あん屋台は命の次に大事な俺の愛車やけん。」
「大げさだな、心配するな、お前の愛車には誰にも手を触れさせん!」
レオナルドは黙っている。
「そんなら、俺も怪我治ったらすぐ飛んでいくけん、それまでみんな怪我せんごつね!」
「おう!」
別れの挨拶を済ませ、駐車場に戻ると、組み分けの相談を始めた。
ロングドライブになると、居住性はビートルよりウニモグのキャビンの方が上だ。
「崇継と紗織はウニモグだな。」
「じゃあ、俺と菜々さんは翔のに乗ってくか?」
「イヤ、ハンジロウはウニモグの運転をシテくれナイカ?」
「お前は?」
「俺はウニモグのキャビンでやりたい事がある。」
「じゃあ、僕はウニモグの運転席だな。」
「じゃあ、私は助手席ね。」
「じゃあ、俺は一人旅か。」
紗織が、捨てられた子犬を見る様な目で翔を見ているのに気づいて、慌てて言葉を続けた。
「やっぱ、真の男のドライブは一人じゃなきゃな!」
紗織が『ビートルに乗る』と言い出す前に手を打つと、レオナルドに話しかけた。
「で、キャビンで何するんだよ。」
「最終調整ダ。」
そう言って開け放たれたドアから中を覗いて仰天した。
キャンピングカーの様に広々と快適そうだった室内に、所狭しと見たことのない機材が積み上げられている。
ここ数日、レオナルドと半次郎が、しきりに秋葉原に行っては色んなモノを買い込んでは二人で何やら相談してるのは知ってたが、こんな事になってたとは。
「僕が開発した忍者道具に、彼が電子制御を組み込んでるんだぞ、どうだ、凄いだろ!」
半次郎が自慢げに言い残して翔の後ろを通り過ぎる。
「でも、これじゃタカと紗織ちゃんが寛げないだろ。」
「ソレは抜かりナイ。」
レオナルドが指さす一角にリクライニングチェアが二台置かれ、脇には小型の冷蔵庫が置かれている。
紗織が物珍しそうにチェアの座り心地を確かめ、崇継は恐る恐る冷蔵庫を開ける。
「中にはオレンジジュースとコーラがぎっしりよ!」
菜々も自慢げに言い残して翔の後ろを通り過ぎる。
「タカ、コーラ一本取ってくれ!」
翔は肩をすくめると、崇継からコーラを受け取る。
「よし行こう。」
二台は快晴の首都高湾岸線から、福岡へと走り出した。
**********
~福岡・太宰府天満宮~
<太宰府天満宮>
学問の神様として有名な菅原道真を祭神とし、京都の北野天満宮とともに全国の天満宮の総本社とされる、ここ太宰府天満宮には、受験前ともなると全国から参拝客が集まる。
広大な境内には数々の摂社・末社が鎮座し、整備された参道にはお土産屋や飲食店が軒を並べており、年間八百万と云われる観光客の胃袋を満たしている。
名物の<梅が枝餅>は、餡子を餅で薄く包み、それをたい焼きの様に鉄板で挟んで焼く焼き餅の一種だ。
菅原道真の誕生日と命日が、月は違えどどちらも25日だった事から、参道の商店では毎月25日を、<天神さまの日>として、その日だけヨモギ入りの薄緑の梅が枝餅を売っている。
なぜ天満宮では梅が名物なのか、その謂れは、流麗な本殿の右前に植えられている梅の木にある。
有名な<飛梅伝説>だ。
菅原道真が京の自邸で大切にしていた桜と松と梅の三本の庭木。
道真が大宰府への左遷を申し付けられると、
桜は悲しみのあまり枯れてしまい、
松と梅は、主人を想うあまりついには空を飛ぶ。
しかし、松は途中で力尽きて落ちてしまい、
梅だけは大宰府の道真の元へたどり着いた。
その伝説の梅が本殿の前に植えられている梅だという。
翔の<梅花の舞~飛梅~>も、ご先祖様がこの話から命名したものであるが、翔自身は露ほども知らない。
**********
夜の10時、その梅の木に見守られる本殿の奥で、白装束の宮司がうやうやしい手付きで、螺鈿があしらわれた包みを差し出している。
「さ、どうぞ、お手に取ってください。」
「うむ。」
低い声で答えたのは、南光院典明。
「お待ちを。」
制したのは、180cmを超える長身で30台中盤の目つきの鋭い男だ。
均整の取れた体つきだが、骨ばった輪郭と薄い唇が冷たい印象を与えている。
「小次郎。」
南光院は男を横目で見ると苦笑を浮かべた。
「念のため、改めさせて頂きます。」
風魔の頭領・風魔小次郎は、宮司の手から包みを受け取ると、一同を見回す。
傍には黒いスーツ姿の人間が7~8人だろうか、中には女性の姿も見える。
「ついにこの時が来たか。」
南光院は歴史の重みを感じる様に、目を閉じて灰の中の空気をゆっくりと吐き出すと、小次郎に命じた。
「開けろ。」
小次郎が包みを開き中の物を取り出すと、それは夜目にも鮮やかな深緑の半円形の翡翠であった。
だが…
小次郎は右手に翡翠を持ったまま、左手で宮司を殴り飛ばした。
「貴様、何のつもりだ!」
周りのスーツ姿も銃を取り出し、宮司に向ける。
「ひぃっ、私はただお預かりしているものをお持ちしただけで。」
取り乱した宮司は、腰を抜かし、股間を濡らして後ずさりする。
「菊の花が浮かんでおらん!これはただの翡翠ではないか!」
尚も蹴りつけようとする小次郎を、南光院が制した。
「待て、小次郎!」
南光院は尚も苦笑を浮かべたままだ。
「だからワシが受け取ろうとしたのだ。」
そう言うと、小次郎の手から翡翠を奪い、目の前に掲げた。
「見よ。」
翡翠自体が薄く発光するように輝き、菊の花がゆっくりとその儚げな姿を浮かび上がらせる。
南光院はこみあげてくる嬉しさを抑えきれず、にぃっと唇の端を上げて笑った。
「(降天菊花)は、天の皇子の血筋にのみ反応する。」
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