おおぅ、ここで語られてたんですね。大人になる、という切り口で、ですが。
確かに誰とも共通しているようで、自分以外の何者でもない、という絶望感はわかって来たような気がします。わからないんじゃなくて、ないんですよね。なんだか映画のラストシーンみたいです。
でも、そこからをどうにかしなくちゃいけないのが難儀だなぁ、と思います。笑
個人的なことばかり書き残している僕もおそらくそうして、自分にわかるようにという意図があるのかもしれません。
作者からの返信
Askewさん、わざわざこちらまで読んで、コメントもくださりありがとうございます。
確かに、ないものは分かりようがありませんね。
そういう結論の映画は確かにありそうですね。
最近、東浩紀と渡辺大輔のトークショーの配信を見ていて、「人が何かを理解する為にはコメントが必要だ」って話が出てきて、なるほどなぁと頷いた次第です。
僕はエッセイを書いたりするのは、自分が何を理解しているかを理解する為なんだろうなぁと思うんです。
Askewさんが個人的なことを書き残されるのも、そういう側面があるのかもしれませんね。
大人になるって荒野に立つ事……目から鱗ですし、
そう言い切れる郷倉さん、カッコいいって思いました。
未だに私、道があるって進んでいるから……。
ずっと悩み事があったのですが、『荒野に立つ』『すぐやる』と教えて頂き
すごく励まされました。楽になりました。
ありがとうございます。m(__)m
作者からの返信
星都ハナスさん、コメントありがとうございます。
「恋するために生まれた」が出版されたのが2001年なんですけど、この頃の江國香織はキレキレでしたね。
言っていることが全部、名言に読めちゃうんです。笑
エッセイでは格好よく言っちゃったんですが、現実にそう実行できるのかは少し心配のところです。けど、頑張ります!
星都ハナスさんの悩みに何かしらの励みになったのなら、書いて良かったと心から思います。
こちらこそ、ありがとうございます。
郷倉さん、今更ながらになってしまいましたが、コメント失礼します。
>「大人になる」って、荒野に立つこと
これ、最近になってはっと感じることがありました。
僕の解釈だと、大人って、何もしないと何もイベントが起こらないまま寿命を迎えるということなんじゃないかと思っています。
おおよそ一般的と見られる就職→結婚→出産→子育てという生き方も、何もイベントが起こらないことに耐えきれない大人が歩く人生で、それなりの苦労と充実は保証されている。
一方、一般的な人生を歩めない、納得できない層も一定数いるわけで、そういう人たちは自分なりの生き方を見つけていかなければならない。いわば、何もない荒野で物事を起こしていかなければいけない。
それって、すごくクリエイティブなことだなと思いました。
作家であれば、ゼロからイチを生み出すことがそのまま仕事になるので、世の中にある生き方に納得できない人はちょうどいい選択肢なのかもと考えてしまいます。
>そんな荒野の中で「とても個人的な」小説を書き残しておく、というのは僕が前後左右の分からない中を進んできた地図
「とても個人的な」小説。というのは、もしかしたら、世の中にある生き方に納得できない同じような人たちにとっても、地図として機能するのかもしれませんね。
僕がさとくらさんのエッセイを読んで、自分の歩いてきた足跡がゼロではなかったと確認できるように。
今の僕の出せる結論としては、結局は自分が納得できる人生を送っているかどうかなのでしょう。ということです。
作者からの返信
鷹仁さん、コメントありがとうございます。
今更なんて、滅相もありません。
大人になっていく過程で人は「何も起きない」ってことに気づく瞬間があるのかも知れませんね。
そういえば昔、とあるマンションの一室を借りて仕事の行き帰りだけが日常になっている人たちを集まってイベントする会に参加したことがあります。
あれはあれで、自分の人生に納得できていない人たちの集まりだったのかも、と鷹仁さんのコメントを読んで思ったりいたしました。
僕のエッセイが鷹仁さんにとって「自分の歩いてきた足跡がゼロではなかったと確認できる」ものであることが、本当に嬉しく思います。
お互い、自分が納得できる人生を探す荒野の旅をしていきましょう。
振り返った時にしか分からないことばかりですけど、足跡を残して地図を作って、それを見せ合えたら一人の道のりも少しだけ豊かで楽しいものになるはずですから。