83 大人になって、書き残しておきたい「とても個人的な」こと。

 4月になって、多くの人が新しい生活の一歩を踏み出している中、僕はとくに何の変化もなく3月を終えました。

 日常は僕自身が変えようと思わなければ大きくは変わりません。それは良いことだけれど、気づけば時間は真夏のカキ氷のように溶けていってしまいます。


 せっかくなら、カキ氷が溶けていくのに倣って、僕は僕で何かを始めてみようと思いました。

 そんな時に、評論家のさやわかがツイッターで以下のように呟いていました。


 ――一番いい選択がしたいという人に限って、オススメを言ったところでどの選択もしない。何も変わらない。本当は「どれでもいいから選択し、すぐ実行する」が一番いい選択なんだが。と考えていたら思い出したので真心ブラザーズ「すぐやれ今やれ」を聴いた。命は短い。だからあれもこれもすぐやれ。今やれ


 ――こんなシンプルなメタ行動指標を述べても、人には伝わらないのだと、近年覚えた。だから、自己啓発本があんなに大量に作られるのだ。


「どれでもいいから選択し、すぐ実行する」とは、とてもシンプルで良いですね。

 真心ブラザーズ「すぐやれ今やれ」も分かり易い。ということで、僕は4月からの座右の銘を「すぐ実行する」にしようと思ったんです。


 ここで、勘違いしてはいけないのは結論や結果を出せとさやわかは言っていないことでしょう。

 実行することで何かは変わる。けれど、自己啓発本のような結論や結果が得られるとは言っていない。

 重要なことは何かは変わる。

 それだけです。


 村上春樹が「職業としての小説家」の「第五回 さて、何を書けばいいのか?」で以下のように書いています。


 ――だいたいにおいて今の世の中は、あまりにも早急に「白か黒か」という判断を求めすぎているのではないでしょうか? (中略)情報収集から結論提出までの時間がどんどん短縮され、誰もがニュース・コメンテーターか評論家みたいになってしまったら、世の中はぎすぎすした、ゆとりのないものになってしまいます。あるいはとても危ういものになってしまいます。


 僕は、ゆとりのある人間でいたいと常に願っている部分があります。

 そして同時に、常に何はを変え続けられる人間でもいたいんです。


 村上春樹は同書の中で結論が出そうとになった時に「そんなに簡単にはものごとは決められないんじゃないか。先になって新しい要素がひょこっと出てきたら、話が一八〇度ひっくり返ってしまうかもしれないぞ」と考え直すようにしているとも書いています。

「新しい要素がひょこっと出て」くる為には、常に考え何かを選択し続けておかなければならない筈なんです。


 新しいカルチャーに触れるのには時に体力や勢いが必要で、それが面倒になることもしばしばあります。お金も時間もかかる場合だってある。

 それでも可能な限り、実行していきたい。


 同時に真逆なことを書くようだけれど、小説も進めなければならないとも思うんです。たまーに進んでは、壁がポンと現れてひーひー言いながら、それを乗り越えたり迂回したり。

 小説を書くというのは、本当に地味で小さな積み重ねなんだなと思います。


 時たま、どうしてこんなに実入りのない行為に向き合っているだろう? と自問自答することがあります。

 そんな自問自答の中で、江國香織と辻仁成の「恋するために生まれた」を読んでいて、江國香織の以下のような言葉にぶつかりました。


 ――恋は、無論とても個人的なものですから、それについて、物語以外のかたちで語るのはばかげたことです。


 うん、そうですね。

 恋に限らず「とても個人的なもの」は物語というかたちでしか語れない。

 少なくとも、そういう事象は存在します。

 僕はそれを語る為に小説と向き合っていて実入りが少ないから損だから書かない、と言うものではないんでしょう。

 江國香織は同書で以下のようにも書いています。


 ――大人になって本当に良かったって、思うんですよ。

 私の言う「大人になる」って、荒野に立つことなんです。荒野に立っていれば人と較べられることがない。そうすると不幸が起こらない。だから大人になった私はこんなに能天気でいられるんです。不幸が起こらないし、片思いというのも存在しない。でもそれで幸福、完璧っていうのはほんとうのことを言えば絶望的だし、私はもう随分ながいこと、絶望している。


 大人になると荒野に立つことなんだと僕が理解できたのは(そして、ちゃんと絶望できたのは)三十歳を超えてからだったと思います。二十代の僕はまだどこかで荒野じゃないと思い込もうとしていました。

 それは江國香織的に言えば「世の中にはちゃんと前後左右があると思っていたし、自分にも進むべき道があるんだろう、ただ、自分はそれが見えなかったり、ものを知らなかったりするから、どうしていいか分からないのだ、と思っていた」状態です。


 二十代の僕は「進むべき道が」あって、そこを進めば誰かが認めてくれて、僕に合った場所を用意してくれるんじゃないか、と漠然と思っていたんでしょう。

 甘えんなって話ですね。


 僕は大人で、荒野に立っています。

 そんな荒野の中で「とても個人的な」小説を書き残しておく、というのは僕が前後左右の分からない中を進んできた地図になるように思うんです。

 地図がなければ、なかったことになってしまう感情や事象が世界に存在するような気がします。


 だから、僕は誰かの為と言う訳でもなく自分の為に小説を書くのだと思います。

 同時に地図をより豊かにする為に僕は常に何かを変え続け、「どれでもいいから選択し、すぐ実行」しようと意識しています(実行できるかは置いておいて)。

 命は短い。だからあれもこれもすぐやるし、今やるんです。

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