78 エレベーターと階段の人生の比較。
僕が三十歳になった日、弟からお祝いLINEが届きました。
その中に「最近占い行った時に兄ちゃんの話をしたら、兄ちゃんは親から離れて力を発揮するタイプだって言ってたよ」とありました。
弟よ、なぜに自分を占ってもらっている時に、僕の話をしたの?
何はともあれ、僕は両親から離れて力を発揮するらしいです。
それが本当かどうかは置いておいて、この両親と距離を如何に取って生活しているか、と言うのが僕と弟の生き方を既定している部分はあります。
今回はその話をしたいのですが、まずは弟の話をさせてください。
弟は僕より二つ下で、実家からさほど離れていない場所で今は一人で暮らしています。
仕事、恋愛、人間関係あらゆることを器用にこなせるタイプで、話も理論的で自分の考えをしっかりと持っています。
リア充という言葉が今となっては、あらゆる意味を内包している気もしますが、僕の中では弟こそがリア充そのものです。
僕にとってのリア充とは、常に悩みを抱えていて、それを周囲に話して自分で解決していける人です。
読んで字の如くですが、リア充とはリアルが充実している人のことを言います。リアルが充実すれば、その分、あらゆる人間関係が結ばれ、上手く立ち回らなければ、更に厄介な立場や役割を求められます。
リア充とは常に周囲から期待されている人間と言うこともできそうです。
そんな訳で、弟は会う度に感心してしまうほど多くのことを悩んでいました。
自分のことも当然あるのですが、他人からの相談も受けて行くスタイルだったので、古今東西あらゆることを悩みを一緒に考えてもいました。
弟が受けた相談の話はまた別の機会に譲って、彼が自分自身に対して悩んでいたことを大雑把に分類すると、二十代前半は友達と恋人について、二十代後半が将来と生活について、ということになるかと思います。
そして、二十代最後の年を生きる現在の彼は、一切の悩みを見せませんでした。
会ったのは新年の1月1日。
実家に行くよとLINEがあった時、弟の親友のハマも一緒とのことでした。
ハマは弟が小学生頃からの友人で、高校三年間は殆ど毎日、僕らの家で夕飯を食べていました。当時、ハマが食卓にいることで、僕たち家族は今でも曲がりなりにも穏やかな関係が結べていると言っても過言ではありません。
本人にも何度か言っているのですが、我が家の恩人がハマなんです。そのため、弟や僕が家に来るよりもハマが来ると知った時の方が父も母もそわそわし、迎える準備を始めます。
本当の息子はもう食卓についてビールを飲んでいるんですけど? と言いたくなるくらいの、そわそわです。
ちなみに、そんなハマは去年(2021年)に結婚しており、新婚です。1月1日という大事な日をパートナーと過ごさなくていいのか、という疑問はありますが、来ると言うのだからまぁ良いのでしょう。
到着した二人を迎え、三人で母様のおせちを食べました。
しばらく家族団欒な時間を過ごしてから、「じゃあ兄貴、遊びに行こうぜ」と弟が言いました。僕らの中で遊びに行こうは、カラオケに行こうという意味なのだけれど、一つ引っかかりがありました。
弟が僕を「兄貴」と呼んだんです。
僕を兄貴と呼び続けているのはハマで、彼は昔からずっとそうでした。弟は最初「兄ちゃん」で、十代の終わりに「兄貴」になり、二十代の半ばから「兄ちゃん」に戻りました。
そして、今回「兄貴」にまたなっていました。
弟の中で何かの変化があったのかは分からないけれど、僕は兄貴と呼ばれる方がしっくりきました。
ちなみに僕は、エッセイか何かに書いたかも知れないけれど、弟を「○○(名前)さん」付けで呼んでいます。
高校生の頃からだから、もう十五年近くは「さん」付けで、多分生涯そう呼び続ける気がしています。
カラオケでは、僕が三十歳になったら弟とハマと三人で高校時代によく歌っていた曲を歌うという約束をしていて、それが実行されました。
まじで何も覚えてねぇーよ、と言いつつ曲を入れて盛り上がり、後半は思い思いの曲を歌ういつものカラオケになりました。
ちょっと違ったのは途中、二時間ほど誰も歌わずに真面目な話を三人でしたことでした。
そこで弟とハマは自分の人生をエレベーターに例えました。
社会人になっても地元の近くに住んで、就職して、恋人ができて、結婚して、子供ができて、家を買って、子供が成人して……、という風にエレベーターで何階には何があるって分かっていて後はボタンを押して、そこに居るんだ、と彼らは言います。
彼らにとって重要なのはエレベーターに乗り続けること。
動き過ぎて間違って下りないことです。
その想像力はあまりにも素朴に感じられましたが、僕は何も言いませんでした。
実家に帰る度に思うのですが、地元の景色は学生の頃から殆ど変っていません。今回、僕が昔アルバイトしていた和風レストランのお店が潰れていた(移転かも知れません)けど、それくらいの変化です。
彼らからすると日常の波は非常にゆるく、家族や友人、知人たちは、何十年と経とうと大きくそれらは変わらないように感じられるのかも知れません。
そして、実際にそれはそうなのでしょう。
とはいえ、彼らが自らの人生をエレベーターに例えた真意は僕には分かりません。
ただ想像するに弟にはハマがいて、ハマには弟がいる、という二人の関係性にも起因する部分があったのでしょう。
夫婦を二人三脚で進んで行くなんて言いますが、まさに彼らこそ二人三脚で人生を進んできており、母様いわく「ハマが結婚するのはおめでたいんだけど、本当におめでたいのは、弟と遊ぶことを許してくれる人と結婚したことよね」と言うほどで、結婚後も彼らは互いの人生を支えながら生きています。
そんな弟とハマから見ると、大阪で一人で暮らして小説を書いたりしている僕は異質な存在として映るそうです。
話の中で僕の人生は階段で一歩一歩進みながら、どこに辿り着くのか分からないのだろう、という話になりました。
言い得て妙でしょう。
二十代の混乱の日々を思い返せば、僕は本当に当てもない階段を上っては下りてを繰り返していました。
僕が二十代を生きて得た哲学は、階段を登る時は足元だけを見ろ、というものです。
階数が低い中で立ち止まって、周りを見渡しても視野は狭く、観察できるものは限られます。
けれど、三十歳になって曲がりなりにも階を登ってきたおかげで、少々高いところから物事を見渡せるようになったのでしょう。
今は色んなものが見えますし、これから更に遠くのものが見えるようになるのだろうとも思います。
階段の良いところは、登るリズムを掴めば体力が続く限り進めて、また時には踊り場もある、ということです。
踊り場を進む時、階層は変わらない為に、無意味な時間を過ごすような気持ちになるのですが、この踊り場があることで階段から足を滑らせても一番下まで落ちる心配がありません。
いわば、セーフティネットです。
僕は何度も、この踊り場に救われてきたような気がします。
同時に思うのは、弟とハマの言うエレベーターにはセーフティネットを作りにくいんじゃないか、という懸念です。
少なくとも彼らが語る就職して、恋人ができて、結婚して、子供ができて、家を買って、子供が成人して……、という人生設計は一人の人間の想定だけで出来るものではありません。
個人的な力とは別の要素で、上手くいかない可能性は十分に考えられます。
エレベーターそのものが壊れた時、彼らはどうするのだろう?
それはその時にならなければ分からないですが、横で階段を登っている者として、弟とハマの人生設計が狂った時、「まぁそういうこともあるよ」と話を聞いて、休める場所を提供できる人間でいたいと思います。
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