79 三十一歳を控え『馬鹿ばかしさの中で犬死しないための方法序説』
年末年始の慌ただしさが落ち着きはじめた1月中旬に職場の隣の席にいる同僚が休んだ。
それも三日続けて。
当時、僕は何も考えていなかったけれど、今からすれば、まず最初にコロナの陽性を思い浮かべないといけない状況だった。
翌週、出勤すると隣の席の同僚がいたので、気軽に声をかけた。
休んだ理由は熱が出たのだと言う話で、しかしコロナの陽性ではなかったとのこと。
「これで、コロナの陽性だったら隣の席のさとくらくんと師匠(僕とは反対の隣席の人)を濃厚接触者にしちゃうかもって思ったら、気が気じゃなかったよ」
そこで確かに隣の席の同僚が陽性だった場合、僕は濃厚接触者になって出勤することができなくなってしまう。
本当にまったく思い至っていなかった。
けれど、濃厚接触者になったら、見ようと思って見れていない海外ドラマや書けずにいる小説を進めることができる。
給料面の心配はあれど、これはこれで僕にとっては有難い時間にはなる。
と頭の片隅では思っていた。
僕が理解している僕は、色んなものに時間がかかる人間だった。
とくに長編小説はフリーターや失業保険を貰っていた頃だから書けていたんだと言うことを最近強く実感する。
考えてみると、長編小説を書いている時の僕は現実に生きているのだけれど、半分は虚構を生きる感じになる。
そういう自身を半々に分けてしまうような状態は混乱も生じやすいけれど、幸福な時間でもある。
現実は真っ直ぐ生きるには、過酷すぎる。
僕にとって小説を書くことは、ある時から現実と距離を取り、逃避するようなニュアンスが含まれるようになった。おそらく二十歳そこそこの頃だ。
そういえば、ツイッターで13歳の子が投書した新聞記事が話題になっていた。
それは「逃げて怒られるのは 人間ぐらい ほかの生き物たちは 本能で逃げないと 生きていけないのに どうして人は 「逃げてはいけない」 なんて答えに たどりついたのだろう」というものだった。
庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の中で『馬鹿ばかしさの中で犬死しないための方法序説』という論文を主人公の兄貴が書いたのだと言う話が出てくる。
その中で「逃げて逃げて逃げまくる方法」というのがある、とあって、どう考えても浅田彰の「逃走論」を下敷きに考えられている内容だった。
「なんかの問題にぶつかったら、とにかくまずそれから逃げてみること」そうすることで逃げる力って言うのが上がっていくから、それが「そいつの力」で、けどその中で「どうしても逃げきれない問題があったらそれこそ諸兄の問題で……。」となる。
結局、「どうしても逃げきれない問題」は出てくる。
この時に逃げることが「そいつの力」になっているけれど、結局は問題に対処する必要は出てきてしまう。
どうして「逃げてはいけない」のかと言えば、つまり逃げ切れないから、そして、逃げることで蓄えられない力があるから。
けれど、同時に本当に逃げないといけない瞬間もある。
庄司薫の「白鳥の歌なんか聞こえない」の中で、主人公が兄貴に「偉い人にうかつに近づくな。こっちに十分な力がないうちは、むしろ逃げて逃げて逃げまくれ。」と言われている。
結局は、立ちはだかる問題に逃げずに対処したり、するりと逃げたりを程よくやっていく他なくて、過剰に「逃げるだけでいいんだ!」も「何からも逃げるべきじゃないんだ!」は間違っている。
さて、話を僕の創作活動に戻したい。
僕はある時期から辛い現実を小説世界に入ることで逃避するような感覚を持っていた。二十代の僕はそれが癒しだったのだろう。
けれど、もう僕は三十歳で、その当時の感覚で小説と向き合うこと自体が適さないような時期に差し掛かっているように感じる。
何も考えず、自分が書きたいものを書く時期は、もう良いだろうと言う気持ちが僕にはある。
小説やエッセイを今までと異なる書き方をするとして、それはどういうものなんだろう?
年始くらいから考えていて、僕の頭に浮かんだのは幼少期の頃に手伝っていたお米作りだった。
数年前に亡くなった祖母がお米を作っていて、幼少期は毎年田植えから稲刈りまで手伝っていた。お米作りの大変さは、この田植えや稲刈りと言うよりは、植えた後の管理だった。
水の量や雑草を刈る頻度。
田んぼに植えられた稲を育てる過程がとても地味だけれど、大事なんだなと僕は少年なりに学んだのだった。
その当時の学びを今、持ってくると以下のようになる。
何かを育てる時、どれだけ良い状態を維持し根気よく待てるかが大事になってくる。
幸い僕はプロではなくアマチュアなので、あらゆる部分を自分でコントロールすることが可能だ。
僕は何をコントロールすべきなんだろう? と考えた結果、今は小説を書く半年とエッセイを書く半年で分けているが、これをエッセイを毎月一回更新に変更したいなと思った。
それが最適解かは分からないけれど、一度それを試してみたい。
今のところ二月の中旬までは一週間に一回のエッセイを更新して、三月から月に一回にしていこうと考えている。
今年の二月で三十一歳にもなるので、小説とエッセイを両立させつつ、逃避とかただ楽しいだけの創作ではなく、世の中にある商品と一緒に並べても遜色ないものを提供できるように頑張りたい。
などと書いている間に、僕の職場でコロナ陽性者が立て続けに出た。濃厚接触者も出て、僕はそのリストになかったが、出勤者を減らす一環で一週間ほどのテレワークするよう急遽言い渡された。
この一週間、腰を落ち着けて僕は何を育てる為に、どのような良い状態を維持し根気よく待つべきなのかも考えたい。
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