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郷倉さん、こんばんは。
私は逆に「恋愛ってめんどくさい」って言いたいなって思いました。笑
(実はそれはめんどくさいではなく笑いながら言っているやつの「めんどくさい」です。分かりづらいですが。笑)
最近、友人の恋愛の話を聞いて、懐かしくもそれこそ「あの頃」に戻れたとしても、同じ様に思えるかな〜なんて思っていたので。
でも、結局そんなことを言っていても誰かを好きになってしまうと、否が応でもそうなっちゃうんだろうなぁとも思ってしまうというか。
一日メール待っちゃうんでしょうね。
いくら「恋わずらわしい」と思っていても、恋におちてしまったらおばちゃんでもそう思うと思います。笑
佐藤健のLINEを登録しても待っちゃうかもしれません。
「愛がなんだ」、もし観たら感想教えてください。ちなみに私は空気感がとても好きでした。
あと、郷倉さんにかなりめんどくさい質問をしてもいいでしょうか?(良いとも言われていないのに結局はすぐ聞くのですが)
自分のことなのに、郷倉さんに聞くのはおかしな話なのですが……エヴァンゲリオンは私が観ても楽しめると思いますか?
伊坂幸太郎や寺山修司の話の時に、私の好みではないんじゃないかと言ってくれたのが印象に残っていまして。
よく分かってくださっている郷倉さんなら、この超絶めんどうであろう質問にもズバッと答えてくれるかな〜と。
四の五の言う前に観なさいよという感じなのですが、まずは郷倉さんの意見を聞きたくなってしまいました。笑
ちなみに、「BANANAFISH」。
息子が友達から聞いてきたらしく、観ようかどうか迷っていました。
「エヴァンゲリオン」と「BANANAFISH」どうでしょうか?(聞き方がおかしいですね。笑)
今回のエッセイの趣旨とは違ったコメントになってしまって、すみません。
ほぼ、おしゃべりにきてしまいました。笑
作者からの返信
ねむこさん、こんばんは。
おしゃべり大歓迎です。
ありがとうございます。
恋は落ちてしまうものだって、よく言われる話ですが、年齢なのか経験なのか、落ちた恋に対するスタンスは違ってくる気はしますよね。
十代の恋と、三十代の恋は「めんどくさい」し、一日メール待っちゃうけど、やっぱりちょっと違う気がします。笑
根っこは一緒でも、咲く花や枝につける葉っぱが季節によって違うみたいな感じで。
佐藤健のLINEは、丁度良く忘れた頃とかに「家?」とか「おはよ」とか「3/16の夜あいてません?」とか、来るのでめっちゃドキドキします!笑
「あいてません?」って、なんでそこだけ敬語なんだよ!
「愛がなんだ」必ず見ます!
そして、エッセイか日記にします。笑
質問は全然ウェルカムでよ!
ただ、「エヴァ」か「BANANAFISH」ですか~
まず「BANANAFISH」ですが、こちらは胸を張ってオススメ致します!
大丈夫です!
ねむこさんがラストをどう見るのか、すっごく興味があります。
アニメでしたらご存じと思いますが、EDがKing Gnuですし、井口くんが原作、大好きってエピソードをどこかで語ってもいました。
で、エヴァですけど、オススメするんでしたら、テレビシリーズ版ではなく新劇場版の序、破、Qをぜひ。
序、破まででしたら、仲が悪い父と息子を、周囲がなんとかコミュニケーションを取らせようとする話なので、普通に見れると思います。
けど、僕もねむこさんの好みではないような気がします。笑
上手く言えないんですけど。
編集済
暇のお話。とても共感しました。
労働というのは元々古代ギリシャでは奴隷階級のやることでしたし、プランテーションとかまさに時間を売る奴隷と、時間を持てあました貴族階級が知的活動をする場だったと思います。この構造は今も変わっていないと思います。だから、人間、時間がある方が良いんじゃないかなぁ。
ハンナアーレントのまとめを読んだことがあるのですが、労働/仕事(いわゆる創作活動)/活動(政治)という区分で活動力を定義していて、そもそもね現代の仕事はアーレントの言う「労働」であって、「仕事」ではないんですよね。
だからこそ、暇という時間は労働を行わないために必要だと思うんです。その時間こそが仕事や活動(ここでいう政治は意見の交換やアイデンティティの確立を含みます)を活発にして、暮らしや人を豊かにするんだと、なんとなく納得しているので労働だけの人間にならないように気を付けていきたいなぁ、と思っています。
作者からの返信
Askewさん、コメントありがとうございます。
ハンナアーレントの「活動」「仕事」「労働」の区分け、僕もどこかで読んだなぁと思って探したら、東浩紀の「ゲンロン0」でした。
>労働には他者が存在せず、労働者は賃金のためだけに働く。それは、労働は本質的に「私的」な(自分のための)経験であり、公共の意識につながらないことを意味している。
と東浩紀はハンナアーレントの言葉を噛み砕いています。
Askewさんがおっしゃる通り、私的な経験や公共の意識につながらない労働は「暮らしや人を豊かに」しないんでしょうね。
僕も人間的な豊かさから、公共への意識へと繋がるような気がしています。
だから、「労働」だけに囚われないAskewさんの「活動」が今後のどのような方向へと進んでいくのか、僕は「他者(観客)」として楽しみにしています。