50 もしも、もう一度二十代を繰り返すとしても好きになる十のキーワード。(前編)
今回は今年はじめてのエッセイということで、郷倉四季が「もしも、もう一度二十代を繰り返すとしても好きになる十のキーワード」を紹介したいと思います。
今年の二月に僕は三十歳になるので、総まとめみたいなものだと考えていただければ幸いです。
・「女の子を殺さないために」
2012年に出版された川田宇一郎の評論本です。元になっているのは第39回群像新人文学賞評論部門優秀賞を受賞した「由美ちゃんとユミヨシさん 庄司薫と村上春樹の『小さき母』」でした。
由美ちゃんは庄司薫の一連のシリーズ(赤頭巾ちゃん気をつけて、白鳥の歌なんか聞えない、さよなら快傑黒頭巾、ぼくの大好きな青髭)で登場する幼馴染です。
そして、ユミヨシさんは村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」で登場するヒロインです。ダンス・ダンス・ダンスは、村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」の主人公と同一人物で、他に「1973年のピンボール」と「羊をめぐる冒険」があります。
川田宇一郎の「女の子を殺さないために」は言わば、庄司薫のシリーズと村上春樹の「風の歌を聴け」の関係を書いたものになります。
より正確に書くと、
――「川端康成⇒庄司薫⇒村上春樹」という三人の系譜による圧縮された文学史(ツール)を使って、恋愛小説、そしてラブコメを成り立たせる「物語」を解きほぐしていけたらいいなと思います。
です。
もちろん、「女の子を殺さないために」だけでも、十分楽しめる一冊になっていますが、その中で引用されている作品を読むと、もっと深く理解できる内容になっています。
とくに「風の歌を聴け」を読んで、ハートフィールドという村上春樹が作り出した人工的な作家がいると知っておくと、より楽しめると思います。
・「菅田将暉」
言わずと知れた日本を代表とする俳優の一人です。
最近、舞台で演技をされている方と話す機会があって、そこで「演技が上手いと思う人は誰ですか?」と尋ねたところ、菅田将暉とのことでした。
その方は舞台の「カリギュラ」を生で見て、菅田将暉の迫力のある演技に圧倒されたそうでした。
「カリギュラ」を見に行けたのは、羨ましい。
ゲンロン5という雑誌の巻頭言のタイトルが「批評とは幽霊を見ることである」の中で、以下の文章があります。
――俳優はいまここにある舞台で演技をする。しかしそれは、いまここにないものを召喚するためである。俳優が演じる役柄はいまここには実在しない。
物語とは一般に、いまここにないものを召喚する語りのことである。あらゆる文化は物語なしには生まれない。
個人的に菅田将暉はとくに「いまここにないものを召喚する」のが上手い俳優だと言う印象を僕はもっています。
また、自分の中に「いまここにいないもの」を取り入れることに対し、とても素直な感情をインタビューやバラエティーで吐露する方でもあるように思います。
作品で言えば「そこのみにて光輝く」や「ディストラクション・ベイビーズ」などの乾いた空気の作品でこそ輝く俳優で、その到達点が「あゝ、荒野」だったと感じています。
他にもドラマや映画で素晴しい演技をしていて、人それぞれの菅田将暉像があると思うんですが、そういう俳優・菅田将暉をまとめる活動として音楽を推したいです。
とくに菅田将暉が作詞した「ピンクのアフロにカザールかけて」と「7.1oz」を是非。
インタビューやバラエティーで発言する菅田将暉の本音の入りきらなかったものが、この二曲には含まれているような気がします。
・「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集&日本文学全集」
2007年11月から刊行が始まった「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」全30巻が刊行されると知ったのは、おそらく23歳くらいの頃でした。
その際、30巻を読む上での指南本として「池澤夏樹の世界文学リミックス」を読みました。これは池澤夏樹が選んだ世界文学全集の作品を紹介していくコラムで、文体が砕けていて読みやすいものとなっています。
全30巻もある全集を明快な言葉選びで、9.11以降の世界情勢を鑑みて作品を選んだのだと言うことが書かれており、「池澤夏樹の世界文学リミックス」だけでも読む価値があります。
ちなみに世界文学全集の刊行が完結したのが2011年3月10日だったそうです。翌日に東日本大震災がありました。
その為、日本文学全集は「日本人とは何者であるか、我々はどういう種類の人間か」ということを東日本大震災をきっかけに考えられて、編まれた全集となっています。
また、文藝という雑誌で掲載され、現在は「池澤夏樹、文学全集を編む」に収録されている池澤夏樹と大江健三郎の対談があります。
これは「日本人の文学」という視点で「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」はどのような意味があるのか、と語られています。
その中で大江健三郎が以下のように語っています。
――これからこの全集では、三十人近い、本当に実力を備えた日本文学の現役作家たちが、同じことをそれぞれの古典に即してやることになります。これは日本人の心の歴史の上でも大きい出来事です。非常に具体的に実りのある文学運動が、いまから数年の間に行なわれる。それは、まず翻訳した人間を変えるだろう。彼の文学観を変え、彼の文章を変えてゆくだろう。
日本文学全集で古典を翻訳した現役作家は圧巻と言う他ないメンツで、川上未映子、古川日出男、町田康、角田光代、森見登美彦、江國香織etc.となっています。
古典を翻訳した経験によって、彼らの作品がどのように変わったのか、という視点を持って今後の日本文学界隈の作品を読むのも一興なのかも知れません。
・「大江健三郎賞」
とくに順番に意味はないんですが、さきほど大江健三郎の名前が出たので。
大江健三郎賞は2007年から2014年までおこなわれた賞で、1年の間に刊行された作品で大江健三郎が「可能性、成果をもっとも認めた「文学の言葉」」を受賞作とする賞です。
選評の代わりに大江健三郎と受賞作家との公開対談がおこなわれたり、「受賞作品の英語・フランス語・ドイツ語のいずれかでの翻訳、および世界での刊行」が約束されたりしていて、文学賞としては異色な印象があります。
第一回の受賞作は長嶋有『夕子ちゃんの近道』で、最後の第八回は岩城けい『さようなら、オレンジ』で、全作品を通読している訳ではありませんが、人間が生きる上での日常が強く描かれている作品が選ばれていた印象を持ちます。
受賞作の中でとくに印象的なのは中村文則『掏摸』で、英訳されたことで「ウォール・ストリート・ジャーナル」2012年ベスト10小説などに選ばれている。
大江健三郎はこの賞を通して、日本の小説を世界に刊行させることを一つ目的にしていたようで、実際『掏摸』は大江健三郎賞を受賞しなければ、中村文則という作家がアメリカで認知されるのは、もっと後だったのではないか、と思います。
日本の文学について考える上で、また世界で翻訳される為の一つの指標として、大江健三郎賞の受賞作は読んでおいて損はないと思います。
・「ゆるく考える」
東浩紀のエッセイ集で「二〇〇八年から二〇一八年までの一一年に書かれた原稿のうち、比較的時評性が低く、文学性が高いものを抜粋して編まれた」ものが「ゆるく考える」です。
このエッセイ集が東浩紀を紹介する上で分かり易いかと思い、選びました。
文学好きの人間からすると、東浩紀は評論家という肩書だけれど、小説で三島由紀夫賞を取った方という印象があります。
受賞した作品は「クォンタム・ファミリーズ」で、「ゆるく考える」の中には三島由紀夫賞を受賞した後のエッセイ「現実はなぜひとつなのだろう」が入っています。
また、2020年の終わりに新書で「ゲンロン戦記」という本が出版されました。これは「作家・思想家の東浩紀氏が哲学の実践を目指すなか、中小企業の経営者として遭遇した予期せぬ失敗やトラブルを記した奮闘記」で、ノンフィクションライターの石戸諭が5回のインタビューをし、その後に東浩紀が手を入れたものです。
「ゆるく考える」に収録されている「ゲンロンと祖父」に言及されている箇所もあって、合わせて読むと面白いと思います。
あくまで僕の感覚ですが、30代を考える上では「クォンタム・ファミリーズ」を参照し、40代を考える場合は「ゲンロン戦記」を参照にし、その二つを繋ぎ合わせられるのが「ゆるく考える」なのではないか、と思います。
僕はこの先で30代を生き、更に40代へとなっていきます。
その時、東浩紀の考えや言葉に対し、僕が何を思うのかは分かりません。ただ、30代、40代を参照できるものがある、と知っておくのは、この先を生きる上で大事なのではないか、と考えています。
・まとめ
十のキーワードと言いつつ、まだ五つです。
このまま続けると恐ろしい分量になることが予想できますので、今回は分割にしたいと思います。
次回も二十代に好きになった十のキーワードをさせてください。
にしても、改めてキーワードで見てみると二十代の僕は文学についてずっと考え続けているんだなぁと思います。
おそらく、それは今も続いていて、考える地盤になっているんでしょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます