51 もしも、もう一度二十代を繰り返すとしても好きになる十のキーワード。(後編)

 前回に引き続き、「もしも、僕がもう一度二十代を繰り返すとしても好きになるキーワード」を紹介させていただきます。


・「岡田麿里」


 文学続きだったので、アニメの脚本家である岡田麿里を選びました。

 代表作としては「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」になるかと思うんですが、アニメの脚本、シリーズ構成としては「true tears」「とらドラ!」「放浪息子」「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 第1期」などがあります。


 個人的に一番推したいのが「さよならの朝に約束の花をかざろう」で、こちらは岡田麿里が監督を務めたアニメーション映画。ジャンルはファンタジーで、親子ものとして描いているんですが、現実的な不条理も描かれていて見応えがあります。

 僕はファンタジーものに詳しくないのですが、好みとして「ゲーム・オブ・スローンズ」や「図書館の魔女」、「アリソン」シリーズは楽しく見たり読んだりしました。

 共通しているのは、女性の活躍が描かれているファンタジー作品です。僕はそういうものに惹かれるようです。


 そういった点から見ても「さよならの朝に約束の花をかざろう」は女性的なファンタジー作品になっており、またこのような作品を「あの花」や「とらドラ!」「放浪息子」といったど真ん中の青春作品に携わっていた方が作った、というのも面白く感じます。

 青春作品から「さよならの朝に約束の花をかざろう」と言う母と子の物語。

 人生の中で一段深く成熟したような感触がそこにはありました。

 この後に、何が続くのか岡田麿里の今後に注目したいです。


・「朝井リョウと加藤千恵のオールナイトニッポン0」


 2015年4月3日から2016年3月25日まで放送されたラジオ「朝井リョウと加藤千恵のオールナイトニッポン0」に僕はハマりすぎて、一時期は一日に一回はこの二人のトークを聞かないと寝れない頃もありました。


 僕はそれまでラジオを殆ど聞いていなかったんですが、朝井リョウと加藤千恵のラジオをきっかけにオードリーのオールナイトニッポンを聞き始めました。

 本来喋ることが本職ではない朝井リョウと加藤千恵がラジオのパーソナリティーになったきっかけは、オードリーの若林がオールナイトニッポン側に「小説家さんって喋ると面白いですよ」と言ったことだったそうです。


 実際、オードリーの若林の言う通り、朝井リョウと加藤千恵のトークは面白く、毎週必ずある二人のフリートークが、なるほど小説家ってこういう視点で日常を生きているのか、と思える内容になっていました。

 ラジオ内にあるコーナーも小説家ならではで、とくに「国境の長いトンネルを抜けると......」という「小説の一行目」っぽい一文を送ってもらうコーナーは送られてくる内容も含めて素晴しいものでした。

 実際、送ってきた冒頭から始まるショートショートで雑誌掲載されたリスナーもいましたし、加藤千恵は自身の連載で許可を取って投稿された一文を使って短編を書いたりもしていました。


 また、215年に第153回芥川龍之介賞を取ったのが又吉直樹と

羽田圭介だった為、ラジオ放送の際に芥川賞の会見や授賞式の裏側を聞くこともできて、興味深かい内容の連続でした。


 ゲストはミュージシャンのaikoや純文学作家の村田沙耶香などが登場し、あくまで楽しい会話の中で、少し深い創作や感覚の話も含まれていました。

 放送全体を通して、楽しいトークと創作に関する内容が心地良く隣り合っており、ラジオという文化はなんと知的で、豊かなんだろうと感動したのを覚えています。


「朝井リョウと加藤千恵のオールナイトニッポン0」の流れがあって、僕は佐々木敦のトークショーを聞いたり、東浩紀のゲンロンのイベント動画というラジオより深い話のあるコンテンツに寄り道し、今はラジオに落ち着きました。

 週に8から9のラジオを現在聞いており、忙しい毎日を過ごしています。


・「鳥飼茜の地獄でガールズトーク」


 少女漫画的なキーワードも入れたいと考えて、行き着いたのが「鳥飼茜の地獄でガールズトーク」でした。

 この本は「Part1 Q&A・鳥飼茜のお悩み相談室」「Part2 エッセイ・鳥飼茜のまんが(じゃない)ライフ」「Part3 対談・鳥飼茜と3人の男たち」の三つに分かれていて、買おうと思ったのは後の旦那になる浅野いにおが対談相手として含まれていたからでした。


 その対談の中で、鳥飼茜の作品の一つ「地獄のガールフレンド」になぜ「地獄」という単語が入っているのか、と説明している箇所がありました。

 少々長いですが、引用させてください。


 ――アメリカで一番最初の女性の国務長官になった人が国連に出ると、自分と同じような立場で来ている他の国の女性が、本当に数えるほどしかいなかった。だからこの先、女の人が堂々と活躍するためには、女同士で協力しないことにはどうにもならないと。しかも、その人がそうやって活動していく上で――これ、たぶんみなさんもあると思うけど――男の人が敵っていう以前に、同性から邪魔が入るというか、水を差されるみたいなことが結構あったみたいで。だからその人はスピーチで「地獄には女の人を助けない女のために、専用の場所が用意されている」って言ったんだって。それがすごいカッコいい言葉だなと思って、そういうきっかけです。


 これを聞いた浅野いにおの反応が「今の話を聞くと、「男」ってものがまったく出てこない」「だから読んでると、怖いってよりも疎外感に近いかもしれないね」と言っています。


 まさに鳥飼茜を読むと男である僕は、この作品を底の底まで理解することはできないんだ、と言う疎外感を覚えます。

 けれど、それは当たり前です。世界の全てに自分が参加できる訳もありません。

 とくに「先生の白い嘘」は、ある「できごと」によって自分が参加していた世界そのものを壊されてしまった物語で、「当たり前みたいに何かを食べて美味しいとか」「季節をなぞって美しいとか 誰かを愛おしいとか」「そういう当たり前が全部私の手からこぼれ落ちた」場所から、如何に、その「当たり前」を取り戻していくか。

 それが「先生の白い嘘」の主題です。


 そして、「当たり前」を取り戻した人間が何を語り、どう行動するのか。

 面白い、面白くないとか、共感できる、できないと言った判断は脇に寄せて、結末まで静かに読むべき物語が世の中にはあるんだ、と気づかされた漫画が「先生の白い嘘」でした。


 結論が「先生の白い嘘」になってしまった。

 鮮烈すぎる作品として「先生の白い嘘」はありますが、どうして鳥飼茜はレイプやセックスといったテーマを真正面に相対したのか、ということを知る為には「鳥飼茜の地獄でガールズトーク」や他の作品群を読むことが求められます。

 生きていく上で無視できない「性」を鳥飼茜を通して、真正面から真面目に考ええらたのは僕にとって良い経験になりました。また、今後も鳥飼茜作品を読みながら、考えて行きたいと思います。


・「文学問答」


 こちらは河野多恵子と山田詠美の対談をまとめたものです。帯には「人と文学をなめるひとはだめ」とあって、こちらは河野多恵子が言っていて、そして、その横に「うーん、凄い言葉ですねぇ」が山田詠美。

 戦後の日本文学を調べていると、女性が如何に社会進出していったか、みたいなものを追うことができて、その中で重要な登場上人物として、河野多恵子は挙げることができると思います。

 芥川賞の初の女性選考委員が河野多恵子と大庭みな子で1987年から2007年まで務めていました。


 僕は芥川賞の選評を第一回から読んでいく、ということを一時期していて、その際の河野多恵子の選評は彼女の作品の延長上にある言葉のようで、とても印象に残っています。

 文学問答の相方になっている山田詠美は文藝賞を受賞し小説家デビューを果たしました。

 その際の選考委員に河野多恵子がおり、その際の選評が以下のような内容でした。


 ――人工飼育のお魚や鶏のように肥大した今日の作品傾向のなかで、これは出色の作品である。背骨に瘤まで出来るほど懸命に尾鰭を振って渦潮を突っ切ろうとする鯛や放し飼いの地面を威勢よく爪跡だらけにする鶏を思わせる。肉に少しの無駄もない。すべての文章が完全に機能している。


 選評なのに、この表現力には脱帽する他ありません。

 河野多恵子に影響を受けた作家として、山田詠美は当然としても他に川上弘美や吉田修一がいます。


 小説家、とくに純文学の界隈では上の世代が下の世代へと、テーマや文学観といったものをバントのように引き渡していく部分があって、僕はそういった系譜で小説家たちを見るのが好きです。


 話は少しずれますが、彩瀬まるの「朝が来るまでそばにいる」という短編集を最近読んでいます。その中にある「君の心臓をいだくまで」が、めちゃくちゃ名作なんですけど、川上弘美の「蛇を踏む」の空気感があって、ちゃんとバトンが受け渡されているな、と思ったんです。

 勘違いかも知れませんが、そういう勘違いをさせてくれる文学が僕は大好きなんです。


・「キャプテンサンダーボルト」


 ラストです。

 キャプテンサンダーボルトは伊坂幸太郎と阿部和重の共作長編小説です。

 さきほどの「文学問答」では少し書きましたが、僕は小説家たちを系譜の中で読むのが好きで、面白いと思った小説家の好きな小説家を調べてしまう癖があるんです。


 伊坂幸太郎と阿部和重は大江健三郎が好きで、また現代作家として村上春樹を無視できず、彼を如何に超えるかというのが命題になっていて、その試みの一つとしてキャプテンサンダーボルトを共作で書いた、とインタビューで語っています。


 僕は小説家になりたいと常々思って生きてきました。

 けれど、何を思って小説家になったと僕は思うんだろうか? と最近は首を捻っている部分があって、賞を取ったり、本を出版できれば小説家ってことで良いんじゃないか、とも考えたのですが、少し違う気がしてきました。


 小説家とは、過去の小説の系譜の中でテーマや文学観を引き継いで、何かを書ける人のことを言うんじゃないか、と思っています。


 遠い過去の作家のテーマを引き継いで小説を書き、いつか遠い未来の誰かがその小説を見つけて、そこにあるものを引き継いで何かを書く。

 そういう循環の中に身を置けたと思えた時、僕は小説家になれたと実感するんだと思います。


 とするならば、僕が小説家になる為には、どの系譜の中で、どんなテーマを引き継ぐべきなんでしょうか。


 その片鱗、というか、欠片が前回から挙げているキーワードになるんだと思うんですが、見事にバラバラですね。

 仕方ありません。

 僕の頭の中にあるものですから。


 バラバラなものを繋ぎ合わせて、歪な作品を今後とも書いていきます。


 あ、キャプテンサンダーボルトの話が殆ど出来なかった。

 けど、他のところでもしている気もするし、多分また別の機会でも語るのでお許しください。


 そして、こんな脈略のないエッセイを読んでいただき、ありがとうございます。来週からは普通のエッセイに戻ります。

 今後ともよろしくお願い致します。

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