49 父も母も、そして僕も、今のまま変わらず生きてきた訳ではない。

 カクヨムで今年最後の更新になります。

 何を書こうかな? と思って、過去のエッセイを読んでみると2018年と2019年の終わりに僕は、どちらも「結婚」について書いていました。


 今年も僕は結婚の「け」の字もない生活を送っていますが、せっかくなので今回は、どうして僕は「結婚」というものについて書くのか、をテーマにしてみたいと思います。


 まず、僕が18歳まで過ごした家庭環境は結婚という制度に対し、憧れられるような良いものではありませんでした。

 父が仕事をリストラされて、毎日酒を飲んでアル中の一歩手前で、毎晩電話越しで誰かと喧嘩していて、そんな父に八つ当たりされる母、更に酒臭い体で理解できない言葉で僕らに怒鳴ってくるのを見て、僕は「夫」や「父親」という役割に嫌悪感を抱いていました。


 今から振り返れば当時の父は理想の「夫」や「父親」という像を持っていて、仕事のリストラを機に、そこから外れてしまい、理想と現実の狭間で酒に逃げて、他人に八つ当たりを始めてしまったようでした。

 そういう時期が丁度、僕や弟が中学、高校の時期にぶつかってしまって、更にこじれてしまった、というのが今の僕の持つ印象です。


 このこじれた家庭状況を立て直せたのは一重に母の尽力があったからだと思います。母が、もう駄目だと投げ出せば、今の良好な関係はあり得ませんでした。

 また、弟の親友であるハマという存在も一つ大きなキーワードになります。


 ハマの両親は小学生くらいに離婚しており、彼が高校生の頃には母親が遅くまで仕事をしていた為、家に帰っても常に一人の状況でした。そういった事情を知った母は、ハマを夕食へ誘いました。

 それくらい毎日、ハマは我が家へ通っていたんです。

 ハマが食卓につく以上は、僕も弟も父親に対するわだかまりを持っていたにしても、共に夕食をとらなければなりませんでした。


 父は僕らに話しかけることはありませんでしたが、ハマには話題を振っていました。

 後にハマは弟の会話の中で「親父さんが言っていただろ、○○って」と僕らの父の言葉を引き合いに出して、喋ったりしていたようです。


 ちなみに、ハマは今年の秋ごろに彼女と同棲を始めました。

 弟いわくですが、

「ハマが同棲をしようって思ったきっかけは、兄貴の言葉だったらしいよ」

 と言っていたので、ハマは父の言葉以外にも僕の言葉も引き合いに出すようになっているそうです。僕と父がまともなことを言っているはずがないのですが、ハマは自ら咀嚼し意味を受けとっていたようです。

 それは、すでに一つの才能でしょう。


 母の頑張りとハマの存在によって、僕ら家族は離れ離れになることなく、一年に何度か集まって食事をするくらいには良好な関係を築けています。


 結婚って、つまり他人が集まって生活をすることで、家族の一員ではない人も巻き込みつつ、離れ離れにならずに過ごしていくことなんだろうなと思うんです。

 必ずしも、一緒に過ごすことだけが家族だとも思わないんですが、僕が体験し言葉にできるのは、そういう家族の形です。


 あくまで僕が体験し感じたことを続けて行きますが、父がリストラに遭うまでは、それなりに父を一家の大黒柱として存在し、母が専業主婦の典型的な家族だったように思います。

 僕らが小学生の頃に母が働き始めるのですが、それは父のリストラがきっかけではなく、本人の強い希望だったようです。


 また、少し恥ずかしい話ですが、母が仕事に出る前の日、母が僕らの部屋に来て「何かあったら、絶対に言ってね」と抱きしめてきたのを今でも覚えています。

 その意味が当時はよく分からなかったのですが、家に帰っても母親がいない、鍵っ子に僕らはその日以降なった訳で、おそらく当時、鍵っ子故の事故や問題がニュースでは報道されていたのでしょう。


 何にしても、僕が過ごした家族は父が一番強く、彼が正しいとさせる世界でした。

 けれど、父は「父」だから正しい訳ではありません。

 当たり前ですが、父が間違っている可能性は十分にありますし、多くの人間は日常の中で間違いを犯します。


 問題は、その間違いを指摘できる人間がいるか、という点なんだと思います。そして、父にはそういう人がいたのかも知れませんが、彼はその指摘を聞かなかったし、何が間違っているのかも理解できなかった。

 それでも、今の父は「自分は間違っているのかも知れないし、必ずしも正しくあろうとしなくても良いのだ」という場に立っています。


 父は常に理想とする「夫」「父親」像に縛られてきた人間です。理想とし、立派な「夫」「父親」であると見られたいことが、彼の行動理由になっていました。

 今も、そういう理想を失った訳ではありませんが、立派であろうとはしなくなりました。


 そういう姿を目の当たりにして、僕の中で浮かんだのが舞城王太郎の「秘密は花になる。」という短編でした。

 こちらは母と娘の話なのですが、その中で母の以下のような語りがありました。


 ――「あなたは今の私しか見ていない。そして想像力が足りてない。私がずっと今の私のまんまで生まれてからこれまで変わらず生きてきたみたいに考えてるようだけど、そんなはずないじゃん!私は私でいろいろ頭をぶつけて生きてきたの。今上手く生きているように見えてるとしたら、そう見えるように私もいろいろ学んできたの。


 18歳の、というか20代前半の僕は、その時の父しか見ていなかったな、と「秘密は花になる。」を読んで反省しました。

 父が「父親」という役割を担うのは、ほとんど初めてで、僕らと接する中で間違えることも、そして、その間違いを認められないこともあって当然なんですよね。


 そして、これは母もそうで、20代そこそこの頃に一度、深夜に母と二人で梅酒を飲んだことがありました。

 リビングの小さい電球だけつけて、あれこれ喋って行く中で、「そういえば、昔の母さんの言葉とか理不尽だったなぁってこと、結構あったなぁって最近、思い出すよ」と言ったことがあります。

 言った瞬間に、余計なことだったと気づいたのですが、そんな僕を無視して母は「そりゃあ、そうよ。理不尽なことを言うよ」と言いました。


 その時、そりゃあそうか、と変な納得したのを覚えています。

 子育ての上で、理不尽ではないことを言わないなんて、そりゃあ無理だ。

 母だって人間だし、父も人間だ。


 育てられた側としては時々、母や父の存在が大きすぎて、自分と同じ人間だと言うことを忘れてしまいます。

 少なくとも子どもと大人では「人間」としての在り方も大きく違います。

 だから――、と言うのは言い訳であることは重々承知しているんですが。


 僕はそろそろ30歳になります。

 父や母と同じ人間として、この世界に生きています。


 人間は常に間違える存在ですが、両親に対し一つだけ正しかったと言えることがあります。

 それは彼らが結婚したことです。

 結婚し、子どもを作らなければ、僕も弟も生まれていません。


 18歳くらいまでの僕は、僕や弟がいなければ母は、こんなに苦しい場所にいなくても済んだのに、と思ってきました。おそらく母は僕らが生まれていなければ、父ととっくに離婚していたことでしょう。


 ありがとうございます、結婚してくれて。

 そして、離婚しないでいてくれて、ありがとうございます。

 今後も健やかな日常を送ってください。


 と書いて、僕はこのエッセイをまったく両親に読んでもらうつもりはないんですが。

 気づけば、こんなオチになりました。


 現在、12月30日の深夜2時37分です。

 深夜テンションで、恥ずかしいことを書いた気がするなぁと思いつつ、修正はしない……しなければ良いなぁ。

 後に変わっていても、生暖かい目で見守っていただければ幸いです。


 では、今年もエッセイを読んで下さり、ありがとうございました。

 これを読んでいる2020年の方は、良いお年を。

 2021年に読んでいる方は、今後とも郷倉四季をよろしくお願い致します。

 

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