48 「♯はたらくってなんだろう」について考える。
僕はnoteというサイトでもエッセイや日記を書いています。そのnoteでは常にコンテストやお題が募集されていて、現在おこなわれているコンテストに「♯はたらくってなんだろう」というのがありました。
確かに働くってなんなんでしょう。
まず、思い浮かんだのは内田樹の「下流志向」という本の一節です。引用させてください。
――社会的能力のない幼児が、成長していく過程で、社会的な承認を獲得するために何をしたかというと、まず家事労働をしたわけです。ご飯を食べたあと、お茶碗を台所まで持っていくとか、庭掃除をするとか、打ち水をするとか、犬を散歩に連れていくとか、父親の靴を磨くとか……
中略
やがて、家庭内労働にとどまらず、外の社会的活動にも子どもはかかわってゆくわけですけれど、労働を行い、他人に何かを贈り物をして、それに対する感謝と社会的承認という対価を受け取るという交換を自己のアイデンティティの基礎づけにするという点では変わらない。
働くというのは社会で生きるためのアイデンティティの基礎にあたるようです。
また、内田樹は「下流志向」の中で、社会の最小単位が家族であり、家庭での生活や労働がその後の社会的活動の意識に繋がっていく、ということも書いています。
さきほど引用したものは幼児に家事労働をすることで社会と関わっていくことですが、それとは別に「子どもが動き回ること自体が家庭内の秩序を乱すファクター」になるため、「何もしないこと」を求められ、それが社会の関わりとなる幼児が増えている、という主張も本編には書かれています。
そして、それが「下流志向」の副題になっている「学ばない子どもたち 働かない若者たち」へと繋がっていくようです。
ただ、今回はその「何もしないこと」を求められた子どもたちの点は割愛させていただき、僕個人の体験の話をさせてください。
僕の実家での家事分担は、お風呂洗いでした。
高校生になって初めてのアルバイトをした時、まず最初に浮かんだのは、お風呂洗いの延長線上にあるな、というものでした。
アルバイトの仕事は基本的に、そういう雑用がメインですから、当然と言えば当然なんですけれども。
それから僕は色んな仕事を体験して行き、家事分担的雑用とは異なる仕事もするようになってきました。
そういった仕事をなんと表現すれば良いんだろう?
と考えて、浮かんだのは村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」でした(僕は大体なんでも村上春樹と結び付けてしまうんですね)。
「ダンス・ダンス・ダンス」の「僕」が自らの仕事を「ごみ集めとか雪かきとかと同じだ。だれかがやらなくてはならないのだ。好むと好まざるとかにかかわらず。」と言い、それを「文化的雪かき」だと表現していました。
今、僕がしている仕事は「文化的雪かき」で、「だれかがやらなくてはなら」ず、それは「好むと好まざる」に関わりません。
そして、僕のしている仕事は「好むと好まざる」に関わらなければ、誰でもできます。これは間違いありません。
同時に世の中には、天職という言葉があり、まるで神様から呼びかけられ、「これがお前のするべき仕事だ」と決められたような仕事をされている方がいます。
あるいは、神様から呼びかけられなくとも、その人にしか出来ない仕事をコツコツと積み上げていく方もいます。
内田樹の考えによれば、仕事によって社会的承認という対価を受け取ることで自己のアイデンティティの基礎づけが成されます。
仕事と自己のアイデンティティは結びついています。
それ故に、自分にしか出来ない職業、あるいは、世間的に認められた職業を目指すのはとても自然なことに思います。
と、書いて、ふと思い出したのですが、最近「僕のヒーローアカデミア」というアニメを僕は見ています。
世界総人口の約8割が超常能力“個性”を持つに至った超人社会が舞台のアニメで、原作は少年ジャンプです。
この生まれ持った個性によって、それを生かす職業につくことが自然になった社会でもあり、まさに人口の約8割がベルーフされた世界観を持った作品になっています。
言ってしまえば、「僕のヒーローアカデミア」は自分の個性を生かせない職業にはつきにくくなった社会です。
作中でもヒーロー向きではない個性を持った少年が苦悩するシーンは幾度と描かれています。
そういう点で、「僕のヒーローアカデミア」は王道の少年漫画でありながら、シビアで残酷な現実が確かに示されています。
職業の選別に関して言えば、椅子取りゲームみたいなところがあって、頑張れば必ず座れるようには作られていません。
大前提として、自分の希望通りの職業につける人は限られています。
また、逆に「するべき仕事」だと思わず就いた仕事が天職だった、と事後的に分かるパターンもあります。
改めて、noteのコンテストのタイトルに戻りたいと思います。
「♯はたらくってなんだろう」
まったくもって面白くない結論であれば、働くとは生活に必要だから、しないといけないことです。
誰でもできることなのか、自分にしかできないことなのか。
そんなことは関係なく、働かなければ家賃は払えず、ご飯を食べることもできません。
だから、働くとは生活の一部です。
少なくとも一人で生活をしていて、誰でもできる「文化的雪かき」を仕事にしている三十歳手前の若輩ものの素直な感覚としては、そうでした。
ただ、コロナウィルスによる緊急事態宣言があった時、僕の職場は生活に関係している、ということで稼働しており、出勤する必要がありました。
「文化的雪かき」をしないことで困る方たちは少なからずいるようです。
緊急事態宣言中の電車や、街並みは分かり易く人が少なく、それでも営業しているスーパー、コンビニ、ドラッグストアを見て、「好むと好まざる」に関わらず、「だれかがやらなくてはならない」仕事が社会を支えているんだな、と改めて思い知った次第です。
緊急事態宣言中の街並みの写真を僕は一枚も残していません。
けれど、おそらく今後の人生の折々で僕はがらんどうな大阪の街を繰り返し思い出すような気がします。
その時、おそらく「働く」ことについても思いを馳せるのでしょう。
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