郷倉さん、こんばんは。
うーん。
今更ながら言葉って難しいと思って今こちらにコメントを書いています。
今回のエッセイについて、伝えたいことや聞きたいことはあるのですが……。
例えば話して、一つ一つ丁寧に聞きながら進めるのと、「きっとこうですよね?」と推測しながら書き進めるのとでは、全然変わってきてしまいそうで……言葉選びって難しいなぁって改めて思います。
結局、コメントしておいて何にも触れずにすみません。
ただ、
「何か大きな間違いを犯した時、それを認めて間違いを自分の言葉で発表し、謝罪できる人間ではありたいと思います」
実際に出来るかどうか、不安がないと言えば嘘になってしまいますが……私もそうありたいと思います。
そうなってしまった時の自分にはそれしか出来ることはないかなと。
考えるだけでとても怖いですが。
作者からの返信
ねむこさん、こんばんは。
コメントいただき、ありがとうございます。
改めて考えてみると、今回のエッセイを一つ一つひも解いていくと、ねむこさんがおっしゃるように、全然違ったものになっていくのかも知れません。
でも、今の僕が書ける限界値はここにあるんだと思います。また、出来事が全部終わっていれば、もう少し踏み込んだことが書けたのかも知れません。
戸惑わせてしまって、申し訳ありません。
大きな間違いを犯した時の自分を僕はよく想像してしまいます。
どんな間違いをするのかは、全然想像つかないんですけど、
後悔して謝罪しても、また文章を書くんだと思います。
お酒があればどこへでも行く人は好きです。自分がそうなので。同士を見つけた気がして嬉しくなりますね。
大きな間違いをしたことに気付いていても、それを言葉にするのはとても勇気と労力がいりますよね。去年の今頃、犯罪者になって会社を去るかどうかという時に、色々と自分の悪いところとそうではないところをエッセイ調で書いていました。
疑われている時に自分の悪い所を書くって言うのは非常にきまりがわるく、気を抜くと言い訳がましくなってしまうのが、自分の弱さと頭の悪さを実感できるようで今でも思い出せますね。
だからこそ、僕は今までも大きな勘違いや間違いを重ねてきたのですが、それを今になって振り返るとき、まずは自分の失態を認めた上で言葉を紡ぎたいなと、郷倉さんの文章と決意を読んで思いました。
それがとても難しいんですけどね笑
作者からの返信
コメントありがとうございます。
Askewさん以前、エッセイで日本に帰国している間、ずっと友人たちと飲んでいた、と書かれていた記憶があります。
それを読んだ時に、Askewさんはお酒の席なら行かれる方だと思っていたので、同意してもらえて嬉しいです。
大きな間違いをした時に必ずしも、それを振り返り、言葉にしなければならない訳ではないと思います。
ただ、そうなった時に自分を振り返られるAskewさんを僕は尊敬します。
とても難しいことですが、今回のエッセイで言えば傷ついた人がいて、自分が加害者になってしまった時、それが故意なものでなかったとしても、それを認めたい、とだけは強く思っています。
繰り返しですが、それが難しいでしょうけど。笑