39 理不尽な世界で「性」と「生」について考え続ける。

 LGBTという単語を見かけると僕は2016年8月のすばるの特集を思い出します。


 LGBT――海のむこうから


 と題された特集の説明は以下のようにありました。


 ――LGBT。この言葉が日本にやってきたのは、ごく最近のこと。

 しかし、セクシャルティーの多様性を描く創作・表現は、

 たえず探究されてきました。

 今回、小説/評論/エッセイ/インタビューを掲載。

 それに触れて、私は、あなたは、何を受けとるだろう。


 この中で松田青子が「内側からの自然な声」というエッセイを書いています。

 その中でクロエ・カルドウェルの『WOMEN』という本を紹介しています。


『WOMEN』は、ストレートの若い作家である「わたし」と、フィンという名前の十九歳年上のレズビアンの女性の恋愛のはじまりから終わりが書かれている。


 と松田青子は書いています。

 そして、その中で松田青子が読んでいて泣いてしまった場面として二つのシーンをエッセイの中で紹介しています。一つを今回、引用させていただきます。


 ――「フィンとのセックスの後には、後始末の時間は存在しない。わたしの体の中に精液が残る恐れもない。バスルームまでわざわざ行く必要もない。ベッドに敷かれたくたくたのタオルもない。床の上にも、トイレの中にも、コンドームはなし。終わってからの、別々のバスルームタイムもなし。わたしたちはベッドから出ない。眠って、話をして、またやる。めちゃくちゃキスする。深くて、心地のよい眠り。いい子だね、愛しい子。フィンはわたしをいかせる時に言う。五ヶ月後、彼女がもうそう言ってくれなくなったことにわたしは気づいた」


 僕は男性なので、この部分を読んだ時、とても新鮮な気持ちになったのを覚えています。

 男女のセックスには後始末の時間が存在する。

 確かに。

 僕はあまり、そういう部分について考えてきませんでした。

 女性同士と男女のセックスの違い。


 同時に浮かぶのは、吉田修一原作の「怒り」という映画です。この映画の中で綾野剛と妻夫木聡がゲイのカップルを演じています。

 男性同士のセックスがどういうものか、僕はあまり知識はありませんが、「怒り」のシーンは「ベッドから出ない。眠って、話をして、またやる。めちゃくちゃキスする。深くて、心地のよい眠り。」が描かれていたような気がします。


 僕は『WOMEN』や「怒り」には純粋な快楽を求めるセックスがあるように思います。

 説明するまでもないかも知れませんが、セックスには三種類あるそうです。ファック、セックス、メイクラブの三つです。性の発散とビジネスが「ファック」、生物として子孫を残すのが「セックス」、愛を確かめ合うのが「メイクラブ」です。


 同性の間で行われる行為はファック(性の発散)かメイクラブ(愛を確かめる)のどちらかです。

 男女の間でなければ、三種類に分けられたセックス(子孫を残す)をおこなうことはできません。


 男女のセックスで印象的なものは何があるだろう、と考えて浮かんだのが村上かつらの短編でした。

「村上かつら短編集1」に掲載されている「かさぶた」という一編で、以下のように始まります。


 ――別れようって決めてから、もう4回もセックスしている。


 高校生の女の子が彼氏の嫌なところを見ていく度に「直してほしい」と思っていたのだけれど、ある地点で無意識に彼氏を庇う機能を解除した。そうすることで楽になり、彼氏が嫌なことをすればするほど、自分が楽になっていくことに気づく。


 ――あんたに、出し惜しむものなんて

 もう何もない。

 とっておきをとっておく必要もない。

 好きじゃなくなって

 はじめてできることがある。


 という思いのもとに行なわれるプレイの後、家に帰ると母親に

「こめかみのとこ何かついているわよ。白いの。」

 と言われる。

 それは精子で、


 ――……ひからびてら……


 という一言で「かさぶた」は終わります。

 三種類の分類で考えると、これはファック(性の発散)になります。ただ、男女の行為においては、それがファックなのか、セックスなのか、メイクラブなのかを判断するのは少し難しい。


「かさぶた」にもあるように、好きじゃなくなったからできる行為というのは確かにあります。

 男性側から見れば、相手が嫌がるだろうことは好きな時には求めないけれど、好きではなくなって、嫌われても構わなくれば、そういう配慮を止めてしまう気がします。


 とはいえ、全て一概には言えません。

 村上春樹が質問に答える本「村上さんのところ」で夜の営みについての質問がありました。そこで、


 ――すみませんが、他のひとの性欲の事情まで僕にはわかりません。自分のだってろくにわからないというのに。申し訳ないけど、ご自分で考えて解決してください。


 と答えていました。

 村上春樹は1979年生まれ。「村上さんのところ」が出版されたのが2015年の為、当時66歳。

 60代半ばを超えても人間は自分の性欲さえ「ろくにわからない」けれど、「自分で考えて解決して」いくしかない、と。


 考えてみれば性欲は目に見えないし、感じる主体である肉体にも不調、好調があって、自分が何に反応しているのか、というのも掴みにくい場合が殆どです。

 そんなあやふやなものと、世の中の多くの人は付き合って生活をしているのだと思うと、少し感慨深い気持ちにもなります。


 なんにしても、性欲はろくに分からないものであり、同時にセックスにおいても大雑把とは言え、三種類の分類があり行為に至る時に、それがどこに分類されるのかも分からない。

 例えば、男女の場合、ファック(性の発散)であっても妊娠の可能性はあって、セックス(子孫を残す)がメイクラブ(愛を確かめる)になってはいけない訳でもないし、メイクラブ(愛を確かめる)が一見ファック(性の発散)に見える可能性だって十分ある。


 つまるところ、セックスを分類していくことは難しく、同時にあまり意味もない。

 けれど、それを語っておきたい、という欲求が僕にはあります。

「性」について語ることが、「生」を語る為のとっかかりになるような気がしているからかも知れません。


 最後に絲山秋子「イッツ・オンリー・トーク」に登場する痴漢というキャラクターについて語って終わりたいと思います。

 名前から、ヤバい感じはありますが、「合意の痴漢、嫌なことはしません」が「イッツ・オンリー・トーク」の痴漢です。挿入ではなく、触れることを好みます。痴漢ですからね。

 該当部分を引用するなら、以下になります。


 ――「僕は触るのが大好きだよ、でも別にそれだけじゃ勃たないんだよ」

「そうなの?」

「性的興奮とはちょっと違うんだよな」

「私は一緒だけど」

「うん、それを見て楽しむってだけだから変わっているんだろうね」

「ふつう射精しないと気持ちいいことしてないって思うでしょ」

「なんでそんないくいかないにこだわるのかね」


 そんな痴漢が少し面白いことを語っていました。


 ――「ねえ、クマノミって性転換するって本当?」

「本当だよ。一番大きな個体がメスになるんだ」

「人間も季節によって性転換できたら良かったのに」

「そんなこと出来たら確実に人であることを忘れるね。もうおやすみ」

「おやすみなさい」


 季節によって男性になったり女性になったりすると、人であることを忘れてしまう。

 面白いなと思います。人は自分が人であると考える前提に、自らの性が絡んでくる、ということですから。

 そして、その性は自分で選んだものではない。


 結局のところ人は自分が選んでいないもので出来ているし、後天的に選べるものも限られている。

 世界は当たり前みたいに理不尽です。

 そんな理不尽な世界で「性」や「生」について考えることを止めないでいきたいと思っています。

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