37 ライ麦畑でつかまえられなかったアッシュ・リンクス。

 お久しぶりです。

 エッセイを毎週更新しなくなって、7週間が経ちました。最後に更新したのが4月29日でした。

 何をしていたんだろ?

 ぱっと思い浮かばなかったので、noteを読み返しました。


 noteで僕は緊急事態宣言の間、日記を書いていて29日の分を読み返してみると、休日で「フリクリ オルタナ」と「フリクリ プログレ」を見たと書いていました。

 フリクリのアニメが好きだったので、その続編的な位置づけのオルタナとプログレは期待していたのですが、うーんという結果でした。


 その後から僕はアニメの「BANANA FISH」を見はじめました。理由は原作を描いた吉田秋生が好きで、一度漫画を読もうと挑戦したのですが、ネットカフェでは上手く集中できず断念したことがあったので、アニメなら見れるかな? と思ったのと、主題歌がKing Gnuだったからでした。


 吉田秋生の作品で個人的にとても好きなのが、 ラヴァーズ・キスです。

 ご存知ですか? 

 鎌倉が舞台で、後半辺りから男性が男性を、女性が女性を好きになる物語なのですが、構成がめちゃくちゃ上手くて無駄がない、読み終えた後その綺麗さに感嘆する他ない傑作だと個人的に思っています。


 なので、「BANANA FISH」が傑作であることを僕は疑っていませんでした。実際、見ている途中にnoteに書いていた日記にて「BANANA FISH」をBL的に読み解く内容を書いています。

 その際に引用したのが、「21世紀文学の創造⑦ 男女という制度」という本の横川寿美子[ポスト「少女小説」の現在 女の子は男の子に何を求めているのか」にある一文です。


 ――「ボーイズラブ」系の話が女の子に好まれるのは〈同性愛志向を持った美貌の男の子は、物語の主人公として、場合によっては女の子以上に、女の子の抱えている「居場所のない思い」とそこからの救済の方向性を、鮮明に表現できるから〉ということになるかと思う。


「BANANA FISH」の主人公、アッシュ・リンクスは女の子の抱えている「居場所のない思い」を注ぎ込まれた器として存在しているように見えました。

 それと同時に、少し調べるとアッシュ・リンクスにはモデルがいたそうです。それが俳優のリヴァー・フェニックス。


 リヴァー・フェニックスは映画「ジョーカー」を演じたホアキン・フェニックスの兄にあたる人物で、「BANANA FISH」の連載中にヘロインとコカインの過剰摂取で倒れ、23歳という若さで亡くなっています。

 リヴァー・フェニックスとアッシュ・リンクスの共通点を探すと、やっぱりこれなのか、と暗澹たる気持ちになります。


 彼らの共通点は幼い頃のレイプ体験です。

 そして、その体験の後のセカンドレイプまで重ねられています。

 僕は東野圭吾の「白夜行」のドラマが高校生だったか中学生くらいの頃にやっていたのを見た世代です。白夜行ではセカンドレイプ(裸の写真をばらまく行為)を「人の魂を殺す行為」とされていました。

 

 アッシュもリヴァーも魂を削り、殺されるような日々を過ごしていたのだろう、と僕は想像する他ありません。

 その上で、「BANANA FISH」はフィクションです。

 物語である以上、アッシュ・リンクスには救いが用意されていたように思います。


 それがアッシュに寄り添う奥村英二であり、ラストの手紙で英二が「僕の魂はいつも君と共にある」と書くのは、その為なのではないかと思いました。

 ちなみに、アニメ「BANANA FISH」の最終話の章タイトルが「ライ麦畑でつかまえて」です。


「ライ麦畑でつかまえて」には有名な台詞があります。

 引用させてください。


 ――「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走っているときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっと飛びだして行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」


 ホールデン少年が語るこの「ライ麦畑のつかまえ役」こそ奥村英二だったのでしょう。

 見方によっては「BANANA FISH」の物語中ずっと英二はニューヨークのストリートギャングの子供たちが崖から落ちないように、死の方へと行かないように、つかまえ役をやっていました。

 それは上手くいった場合もあったし、いかなかった場合もあります。


 けれど、ライ麦畑で走り回る子供たちにとって、英二というつかまえ役が必要だったことは明白です。

 英二自身もその役割をアッシュを見届けるという理由から引き受けてもいました。


 奥村英二はいわば、ニューヨークのストリートギャングたちにとってのヒーローだった。そして、そんなヒーローが自らの魂を差し出してでも救いたかったのが、アッシュ・リンクスだった。


「BANANA FISH」はそういう物語だったと解釈しました。

 そして、この解釈では「BANANA FISH」の幾つかの大事な部分を取りこぼしているので、僕は力不足を痛感する次第です。

 ひとまず原作を読んで、BLってなに? というのも含めて勉強したいと思います。


 ちなみに「BANANA FISH」は一緒にカクヨムをやっている倉木さとしもアニメを見て、原作の漫画も読んでいました。

 なので、メールしてみたところアニメ化されていないエピソードの話などを教えてくれました。その中で、


 ――アッシュ「おれ女じゃなくてホントよかったよ。女だったら、すんげーアバズレだよ」

 ショーター「そんなことはないさ。きっとおれたちなんか足元にも寄れないレディーだったさ」


 というシーンがあるとのことでした。

 倉木さんはショーターが一番好きなんだとか。

 僕もショーターは好きだけど、一番で言えばブランカかな? アッシュとの師弟関係も良いし、ラストに


 ――「自分の孤独を埋めるために俺を連れて行くのか?」


 と言われてしまう部分とかも超良い。


 さて、本当はLGBTに関することとして、2016年のすばる8月号の特集「LGBT――海のむこうから」の中にある松田青子のエッセイと「BANANA FISH」と絡めて書きたかったのですが、上手く引用することができませんでした。

 残念。

 このエッセイが本当に素晴らしいんです。

 また別の機会に松田青子のエッセイは紹介させてください。

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